おはようこんにちはこんばんは、江草です。
今日は、「そのワークはエッセンシャルか」を皆さんに問いかける記事になります。
自分の仕事が不要じゃないかという悩み
緊急事態宣言が出て、あれやこれやと自粛要請が出ています。
「不要不急の活動は控えてください」とずっと言われ続ける毎日。飲食店や公演関係の仕事の方を中心に「自分の仕事が不要不急と言われているようで」と悩む声を最近伝え聞きます。
特にコロナとの闘いで連日奮闘が伝えられる医療従事者などのエッセンシャルワーカーと対比してしまうと、「不要不急な仕事」扱いの自分たちは不要な存在なんじゃないかと、思いつめてしまう可能性を江草も少し心配しています。
エッセンシャルワークとは「水分」
でも、自分は不要なんじゃないかと思う前に、少し考えてみませんか。
まず、そもそもエッセンシャルワークとはなんでしょうか。
「エッセンシャルワーク」とは止めた途端、社会がすぐ崩壊する仕事
コロナ禍でよく言われるようになった用語「エッセンシャルワーカー」ですが、明確な定義はないものの、概ね、医療や、警察、電力などのインフラといった、社会維持のための基本的な仕事をしている人たちを指しています。
要は、止めた途端、たちまち社会が崩壊するような仕事です。
水分をとらないと人はすぐ死ぬ
「エッセンシャルワーク」とは「水分」と考えると分かりやすいと思います。
人は食べ物を摂らなくても何日間も案外生き延びるそうなんですが、水分を摂るのをやめると1日2日といった短期間で死んでしまうそうです。
エッセンシャルワークも、人の体における水分と同じで、摂るのをやめた途端、死んでしまうような大事なものと考えるとよいでしょう。
「エッセンシャルワーク」でないワークも必要
しかし、いくら水分が大事だからといって、それだけで人は生き続けられるわけではありません。
炭水化物やタンパク質、脂質といった三大栄養素を摂らないと当然長くは持ちません。
エッセンシャルワークは「途切れてはいけない度」が高いだけで、他の仕事だって結局は必要なのです。
大切さに気づかれなかったビタミンC
たとえば、そうした摂取の必要性に長らく気づかれなかった栄養素として有名なのが「ビタミンC」です。
歴史上、船乗りの間でビタミンC不足で引き起こされる「壊血病」が蔓延して、多くの人が死に至りました。
ビタミンCは新鮮な野菜や果物に含まれますが、この存在に人類はなかなか気づけずに、長い航海の間では保存食ばかり食べて、ビタミンC不足になってしまったのです。
なぜビタミンCの大切さに人類が気づかなかったかと言えば、それはやはり「ビタミンCを摂取しなくなってもすぐには気づかないから」だと思います。
水分や、三大栄養素は、摂らなくなったらすぐに喉がかわくし、お腹が減るので気づきますね。だからこそエッセンシャルな栄養素です。
しかし、ビタミンCは摂らなくなってもすぐに気づかず、いつの間にかビタミンC不足が身体をむしばんでしまったわけです。
「エッセンシャルワーク」でないからといって不要ではない
こうしたビタミンCと同様に、エッセンシャルワークじゃない仕事も「途切れた途端に死ぬわけではない」だけで、不要というわけではありません。
確かに、医療やインフラと違って、止めてもすぐに社会が崩壊することはないかもしれません。
ですが、飲食だって、ライブだって、人類の文化としてかけがえのない活動です。
いずれはちゃんと取り戻さないと、ビタミンC不足のように、いつの間にか社会全体が病んでしまうことでしょう。
個人にとって「ワークがエッセンシャル」であることが問題
と、ここまでの話で、「エッセンシャルワークじゃないから」「不要不急な仕事だから」といって、自分の仕事が不要だと思わないでいいよというメッセージを伝えたつもりです。
「水分」ほどのエッセンシャル度じゃなかっただけで、自分の仕事、ましてや存在が不要なんてことはないですから、そこで悩まないで大丈夫です。
それよりむしろ江草が問題に思うのは、「各々の仕事がエッセンシャルワークかどうか」よりも、「個人にとってワークがエッセンシャルすぎること」です。
働き続けないと死ぬ私たち
ここまでは、「各仕事の社会にとっての必要性」についての話でしたが、少し視点を変えて、「個人にとって仕事が必要である最大の理由」はなんでしょう?
そう、「お金」ですね。
仕事をせずに、会社や店が潰れてしまったり、収入が途絶えてしまったら困るからと、多くの人は仕事を続ける必要性に駆られています。
すなわち働き続けないと生活が維持できないから、食べていけないから、私たちは働き続けているのです。
うわさでは「泳ぎ続けないと死ぬ魚」というのがいるそうですが、どうやら私たちも「働き続けないと死ぬ生物」になってしまっているようです。
個人にとってワークがエッセンシャルすぎ問題
このように「誰もが働き続けないといけないこと」――すなわち「個人にとってワークがエッセンシャルであること」こそが問題だと江草は思うのです。
たとえば今回の緊急事態宣言で、いくら自粛を要請しても、多くの企業やお店、労働者が、なかなか仕事を止められないのは、この「個人が働き続けないと生活に困る」要素が強く影響しているのは否めません。
給付金や助成金などの補償制度もありますが十分ではなく、結局ほとんどの人が「仕事を続けざるを得ない状況」になっています。これでは自粛が進まないのも仕方がありません。
特に「エッセンシャルワーク」でない仕事で、臨機応変に誰もが仕事を止めることができないなら、それは非常に脆弱な社会ではないでしょうか。
ワークが止められなくて、命を落としては元も子もないのではないかと江草は考えます。
時には仕事の手を止めて人生のビタミン補給ができる社会を
「働くこと」は人生にとって大事な意味を持ちますし、必要な活動であることは間違いありません。
しかし、それは「少しも止めることができない」という意味でエッセンシャルであるべきでしょうか?
どうも、今の世の中は、「働かざる者食うべからず」と言わんばかりに、「働くこと」がことさら止めることができない活動として扱われすぎではないでしょうか。
少しは「働くこと」を休んだり中断できる社会が健全だと江草は思います。
休息だったり、趣味だったり、交友だったり、人生には他にも大切なものがたくさんあるはずです。
――そう、それはまさにビタミンのように。
このコロナ禍が、「災い転じて福となす」と、そうした「人生のビタミン補給」ができるように、社会のあり方を見直すきっかけになればと感じます。
以上です。ご清読ありがとうございました。
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