おはようこんにちはこんばんは、江草です。
今日はねほりんぱほりんの「ウィキペディアン」回を見て感動した話を。
ねほりんぱほりんのウィキペディアン回を見た
昨年11月の放送分なので遅まきながらですが、録画したまま置きっぱなしになっていた、ねほりんぱほりんのウィキペディアン回を見ました。

これがまた江草的にはヒットで、なかなかに感動したのです。
実際のウィキペディアン二人の生き様
番組では実際のウィキペディアン(wikipediaの記事の投稿や編集をしている人)お二人をゲストに呼んでインタビューをしていました。
とにかくそのお二人のwikipediaの発展にかける情熱が凄まじいです。
9年かけて調査研究しようやくまとめることができた記事があったり、街中でwikipediaに載ってない物やスポットを見つけるとその足で図書館に駆け込んで調べたり(それもなんとデート中だったとのこと)、脅しや嫌がらせに耐えながらも荒らしに対処する管理人の役割を果たしたり。
何気なく便利に使わせてもらってるwikipediaの裏にこんな人たちの努力があったなんて、感謝しかありません。
学者魂の真髄を感じた
江草は番組中しきりに感動させられて、しまいにはうるっときてしまったのですが、それはなぜかと考えると、このお二人に学者魂の真髄を感じたからかなと思います。
報酬は無い
まずウィキペディアンには報酬がありません。要は趣味の扱いになるわけです。
趣味なので記事執筆のための調査研究に必要な費用は自分の持ち出しです。
それなのに熱心に良い記事にしようと努める姿は眩しさしかありません。
名声も学位も与えられない
そして、名声も学位も与えられません。
普段の本業とは別に、あくまで匿名で活動しているので、それによって特に日常で褒められたりとか、賞をもらったりとかないですし、ましてや学位ももらえないわけです。
自身の経歴に彩りや箔が付くわけでもないのにひたすら知の拡大のために調査研究してる姿、知的探究者の鑑と言えるのではないでしょうか。
知識をまとめ誰かの役に立つことをただ求めて
こうした、自身の利益になるかどうかに関係なく、純粋に知識の拡大を求め、皆が広く利用できるように知識をまとめる姿は、ゲストのウィキペディアンのお二人が大学や研究所に所属してないだけで、その生き様はまさに学者や研究者の理想そのものです。
そんなお二人に学者魂の真髄を感じて、江草は胸が熱くなったのです。
ひるがえって学術界も反省させられるところはあるのでは
ひるがえって、学術界はどうなのでしょう。
- 学位審査で自教室員の研究の妥当性にケチをつけた教員を村八分にしてみたり。
- うちの業績にするからと協力研究者による論文化を止めさせたり。
- 特に研究に関わってないのに共著者にいっぱいなぞの人たちがいたり。
- 科研費などの研究費の取得のためにそれっぽい「この研究が役に立つ理由」をこさえなきゃいけなくなったり。
- とりあえずなんか学会発表しろというから、まだなにも研究してないけどそれっぽいアブストラクトを書いて提出することになったり。
- 大学院生なのに研究時間はどんどん減って、無給医として働く時間ばかり長くなったり。
- 「学位が無いやつにディスられた」などとアカデミアのヒエラルキーでマウントしてみたり[1]https://togetter.com/li/1649414。
本来、学問というのは人類の知の蓄積に貢献するものであって、そんなんじゃないはずですよね。なんならインパクトファクターだって最重要な要素ではないはずです。
もちろん学術界の人たちも多くは真摯に取り組んでるとは思います。
ですが、時々あれやこれやのひどい話を聞くにつけ、番組のウィキペディアン達が示したような学者の魂の真髄を忘れてしまってないかは学術界も反省すべきところがあるのではないかと感じます。
以上です。ご清読ありがとうございました。
コメント