おはようこんにちはこんばんは、江草です。
今日はクリスマスイブということもあって、プレゼントの話でも軽く。
プレゼントのチョイスを巡る議論が白熱
先日からネット上で、プレゼントのチョイスを巡る議論が白熱しています。

某アクセサリーのプレゼントが彼女でもない30歳女性に贈るには微妙なチョイスではないかということで、論争を呼んでます。
このアクセサリーブランドさんにとってはほとんど風評被害に近く、かわいそうな気はするものの、確かに、プレゼントをどうするかはいくつになっても悩みますし、受け取ったけれど正直「イマイチだなあ」と感じた経験は誰しもあるでしょう。
「何を贈るべきか」は万人共通の悩みと言え、正解を求める気持ちはわからなくもありません。
「何をプレゼントするか」ではなく「なぜそのプレゼントをするのか」
ただ、漠然と江草が思うのは[1]たいして経験値もないのですが、こういう「何のプレゼントがふさわしいか」の議論は本質的ではないんじゃないかなと。
プレゼントでほんとに大事なことは「何をプレゼントするか」ではなく、「なぜそのプレゼントをするのか」なんじゃないでしょうか。つまり、「what」ではなく「why」です。
その「why」の意図が相手にも伝わって納得感が引き起こせられれば、そのプレゼントは成功してると言える気がします。
なぜ今なのか
例えば「なぜ今プレゼントするのか」。
二人の特別な記念日だからプレゼントするのか。
クリスマスやバレンタインなど、一般的にプレゼントする風習のある日だからプレゼントするのか。
記念日ではないけれど、なにかお祝いしたいことがあったり、慰めたいことがあったり、そういう個別の理由があるからなのか。
なぜこれなのか
また、例えば「なぜこれなのか」。
定番の品だから選んだのか。
相手に似合うと思ったから選んだのか。
相手が欲しいと言っていたから選んだのか。
相手に伝えたいメッセージが表現できるものだから選んだのか。
なぜこの人にあげるのか
そして、例えば「なぜこの人にあげるのか」。
もっと親密になりたくてお近づきの印としてあげるのか。
毎年プレゼントを贈り合う約束をした仲だからあげるのか。
慣習的にこの間柄だと贈るものと思ってるからあげるのか。
何か個別のエピソードに関して感謝の気持ちを示したいからあげるのか。
定番の品を定番の時に定番の理由でプレゼントするリスク
こう「why」の要素を並べて見ていくと、冒頭の論争のプレゼントのような「手頃なアクセサリーを、クリスマスシーズンに、恋愛感情を持ってプレゼントする」という、まさしく「定番の品を定番の時に定番の理由」でただプレゼントする行為のリスクがなんとなく見えてこないでしょうか[2] … Continue reading。
あまりに理由が定番づくしだと、残念ながら「私が貴方のために特別に考えてプレゼントしました」という「why」が感じられないんですよね。なにもかも要素が一般的すぎて、もらう側にとって「ほんとに自分を想ってプレゼントされた感」が弱くなっちゃうと思うんですよ。それってプレゼントにとっては致命的ですよね。
プレゼントとはプレゼンである
とはいえ、定番を避けるために奇をてらえばいいというものではないですよ。あくまでその「why」に対する相手の「納得感」が必要です。
なので逆に、もしたとえ物自体が「ド定番」のアクセサリーのプレゼントであったとしても、それが「その人との過去のエピソードに絡んだチョイス」だったり、「何か面白いいわれがあるチョイス」だったり、もらう人に「なるほどね」と思わせる何らかの理由「why」さえ説明できるならば、プレゼント内容がド定番のアクセサリーであるという「what」はあまり関係ない気がします。
「プレゼントの理由」を説明しご納得いただくプロジェクト――そういう意味では「プレゼントとはすなわちプレゼンである」と言えるかもしれません。
【まとめ】「モノ」から「コト」へ
人々の消費文化が「モノ消費」から「コト消費」に変化したと言われて久しくなりました。
プレゼントというのも、確かに一見すると「モノのやり取り」ではあるんですけれど、これこそまさにその「プレゼントのやり取り」という体験――「コト」――をいかに演出し楽しませるかという、「元祖コト消費イベント」だと思うんですよね。
論争激しい「what」にとらわれず、贈る相手が納得するであろう「why」を念頭にプレゼントを考えることで、贈る人も、もらう人も、お互い幸せになれるプレゼントイベントになるんじゃないでしょうか。
以上です。ご清読ありがとうございました。
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