個人が毎日書くブログの役割とは何か?

ペンのイラストブログ

 

ブログをどう書くべきか。ブログは何のために書くべきか。

 

「三行で撃つ」の近藤康太郎氏は書籍を執筆する際、予定の何倍もの量の初稿を書いてから、何度も推敲するそうです。

「読みたいことを、書けばいい」の田中泰延氏も「編集されてない文章は、文章ではない」と語っていました。

表現としての文章にするためには、それぐらいの覚悟と洗練が必要なのでしょう。

 

 

しかし、そうなると、今や重要メディアと言って過言ではないブログやTwitterとは何なのでしょう。

編集が付かず、孤独に毎日記すつもりであった、江草のブログもどうしたものか、考えています。

あるいは、ブログを毎日書くのは意味がないのでしょうか。

ブログやTwitterの「文章としての役割」はどこにあるのでしょうか。 

 

 

もしかすると、アクセス数稼ぎの「いかがでしたか」が跋扈して久しいブログ、日々罵声が飛び交う戦場のようなTwitterは、下品なメディアとして忌避するべきなのかもしれません。

しかし、これだけ多くの人が目にし、実際に政治を動かす事態も引き起こしている、ブログやTwitterを無視し放置することが、はたして良いことなのか疑問が残ります。

近藤氏が語るように、「綴った言葉」が「その人の生き方」そのものであるならば、「ブログやTwitterで書かない」という選択も否応なしに「生き方の選択」となります。

江草はその選択には抵抗があるのです。

 

 

Twitterはひとまず置いておいて、ブログの役割は詰めておかないと、江草にとっては好きになってきている「書く習慣」の存亡の危機です。 

出版社が関わる書籍やネット記事と、編集がなく個人が直接世に出すブログは、そもそもからして異質です。少なくとも異なる役割を担うべきなのは間違いありません。

なんとかして毎日書く個人ブログが果たせる役割を考えてみましょう。

 

 

まず考えられる役割の一つ目は、「情報提供」です。

ブログはネットメディアであり、検索にかかりやすく、ブラウザで読みやすい特徴があります。

質が低いものも混入してるといえど、ちょっとしたことを調べる時には重宝します。

公的情報がわかりにくい場合も少なくないので、(正確であることが前提ですが)そうした情報を読みやすくまとめてくれるブログのメディアとしての役割は小さくないでしょう。

 

しかし、有益な情報を毎日まとめることは難しいです。

作業として大変なのもさることながら、まとまった有益な情報を個人が毎日提供できるはずもありません。アウトプット量が過大で、いずれ情報をインプットするバランスと噛み合わなくなります。

せいぜいがネット上の情報を切り貼りするような「コタツブログ」になるのが落ちでしょう。

毎日ブログを書くとなると、情報提供としての役割を十分に果たすのは難しいと言わざるを得ません。

 

 

次に考えられるブログの役割は「ログ」です。

ブログはもともと”weblog”の略でもあり、「ログ」、すなわち「記録」としての役割は正統なものと言えます。

 

オンライン記事はさておき、発刊までに時間を要する書籍では日単位でタイムリーに起きている事象を語ることは不可能です。

その点、ブログはその時点での「考え」や「想い」を即座に記すことができます。

特に、ネット上の情報をまとめる機能には長けており、ネット上での議論や事件に関してのまとまった速報レポートが容易に作成できるのはブログならではと言えるでしょう。

 

一点、これでブログの役割は出てきたと言えます。

しかし、毎日速報性を要するような議論や事件が発生するわけではありません。

また、ただ記録であればいいならば、非公開の個人の日記やノートに記すのでもいいはずです。

公開記録としてブログを綴るのであれば、公開であることの意味が必要となります。

 

  

そこで、最終的に考えられるブログの役割が「問い」です。

「世に問いかけること」が隠されたブログの役割ではないでしょうか。

 

まず、書籍やオンライン記事を執筆できる職業ライターは限られています。

彼ら、彼女らも積極的に取材し多様な声を拾い上げているはずですが、少人数であることから視界が限られていることは否めません。

しかし、ブログであれば多様な個人からの視点で世に問いかけることができます。

代表例は「日本死ね」で知られた保活問題の記事でしょう[1]正確にはブログではなく匿名ダイアリーですが、個人視点の重要性を示す例とは言えるでしょう。粗い文章でありながらも、まさに当事者の視点から語られた言葉により、世に問題を広く問うことになったのです。

 

だから、「問い」です。

唯一無二の個人の立場から、しっかり観察され、考えられ、発せられた「問い」もまた唯一無二の存在となります。

こうした「問いかけること」こそ、ちっぽけな個人ブログが担える重要な役割ではないでしょうか。

 

 

逆に何がブログの役割でないかと言えば、「問いに対する解の提示」は役割ではないと考えます。

ブログを毎日書いてみて分かったのは、「ブログで解を示すのは荷が重い」ということです。

ある程度妥当な解を示そうとするならば、相当の文量や緻密な論構成が必要です。しかし、そこまで長く正確なブログはもはや論文です。

丁寧な論を記述しているブログ記事も公開される意義はあると思いますが、読者が「ブログ」に抱いているイメージと異なり過ぎて、ニーズに合っていないでしょう。

ましてや、毎日丁寧な「解を提示する」のは「情報提供」以上に困難なのは間違いありません。

 

 

ですので、毎日書く個人ブログが果たせる役割はこのようになるでしょう。

 

「個人の日々の思考や想いの記録となり、世に放つ問いを立てることである」と。

 

編集がなく粗いまま出てくるものですが、だからこその「生の記録」としての価値が出ます。

また、未完成な文章として放たれるからこそ、「未解決な問い」としての存在感が光るはずです。

 

ひとまず、江草のブログはこの役割を果たすための文章であることを意識して、文章力の精進をしてみたいと思います。

 

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

 

脚注

脚注
1 正確にはブログではなく匿名ダイアリーですが、個人視点の重要性を示す例とは言えるでしょう

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