佐藤岳詩『「倫理の問題」とは何か~メタ倫理学から考える~』読書感想文

本に乗る女性のイラスト読書

発売日に買ったくせにしばらく積んでしまっていた佐藤岳詩『「倫理の問題」とは何か~メタ倫理学から考える~』読みました!

 

「倫理の問題」とは何か~メタ倫理学から考える~ (光文社新書) | 佐藤岳詩 | Kindle本 | Kindleストア | Amazon
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前著『メタ倫理学入門[1]メタ倫理学入門 | 佐藤岳詩 | 倫理学・道徳 | Kindleストア | … Continue readingが素晴らしかったので今回も期待していたのですが、そんな高まりきった期待をも超える良書でした。

 

どんな本か

本書を一言で言えば、『「倫理の問題」とは何か』を紐解きながら進む、メタ倫理学の入門書です。

 

単行本サイズでなんだかんだそれなりの文字数、ページ数でもあった前著『メタ倫理学入門』に比べ、本書『「倫理の問題」とは何か~メタ倫理学から考える~』は新書ということで、より手に取りやすく読みやすい形になったと言えます。

 

前著とかぶっている内容のところもあるようですが、基本的には別の切り口での「メタ倫理学入門」であり、読んでいて重複が気なるようなところはありませんでした。

前著を読んでいたとしても、また本書でむしろ別角度から改めて入門させてもらうことで、より理解が深まったと思います。

 

今回も著者の文章はかなり読みやすく、難解な単語を排していますし、文体も真似したいほど丁寧さと誠実さに満ちたものになっています。

丁寧なステップを踏む章立てもすばらしく、読者を自然と違和感なく考えさせてくれる構成です。

 

取り上げられたテーマも秀逸です。

『「倫理の問題」とは何か』というメインテーマはもちろんのこと、

  • 「倫理に正解はあるのか」
  • 「倫理的な正解を目指すことは大事なのか」
  • 「《良い》とか《~するべき》とはどういう意味か」
  • 「倫理の問題にどんなふうに向き合えばいいのか」

など全て大事なテーマだと思います。

 

  

大変面白い「倫理に正解はあるのか」にまつわる議論

特に多くの人が面白いと思うのではないかと思うのが「倫理に正解はあるのか」というテーマです。

 

日常ネットで起きる様々な議論を眺めていても、

「客観的な正解なんかないんだから主観で決めるしかないだろ」

的な「倫理的な正解はない」と考えていると思われる意見が出たかと思えば、

「どう考えても絶対こんなことは許されるはずがない」

的な「倫理的な正解はある」かのようなふるまいの意見もよく見かけます[2]いわゆる「ポリティカル・コレクトネス」もこういう振る舞いをしがちですね

なんなら、人によっては話題に応じてそれぞれの立場を都合よく使い分けてることさえあるでしょう。

 

本書でも解説されていますが、実のところ「倫理に正解はあるのか」というのは倫理学者の間ですら決着がついてない、いわば「未解決問題」なので、一般大衆の私たちがこの両者の立場の狭間で混乱するのは当然ではあります。

「未解決問題」ということはもちろん「どちらも間違いとは言えない」とも言えますが、同時に「どちらの立場にもツッコまれると痛い弱点がある」ということでもあります。

「未解決問題」ですから当然本書であっても「倫理に正解はあるのか」に対する解答は示されませんが、本書はそれぞれの立場に対する「厳しい批判」を紹介することで、私たちに慎重な態度を取ることを促してくれます。

 

「倫理に正解なんてないだろ」「倫理に正解はある」どちらの信念をお持ちの方もきっと唸らされることうけ合いですので、ぜひ体験してみてほしいところです。

 

  

耳が痛い「証言的不正義」の指摘

もうひとつ、第三章の「証言的不正義」の話も非常に興味深かったです。

 

「証言的不正義」とは、本書中の表現をそのまま借りると

「この人は○○だから、話は割り引いて聞けばいいや」「この人は○○だから、どうせ嘘だろう」「この人は○○だからどうせ本当のことなど分かっていないに違いない」という態度で、話し手の発言を聞いてしまうこと、それが証言的不正義です。

佐藤岳詩『「倫理の問題」とは何か~メタ倫理学から考える~』p205-206

というものです。

 

この態度の問題点について本書はこの後ページを割いて丁寧に説明してくれています。

 

たとえば、この指摘は江草の普段からの問題意識にも近く、心にきました。

 

聞き手の否定的な応答を通じて送られたメッセージに基づく自己認識、すなわち自分は、真理を伝える能力、あるいは真理を捉える能力を持たないという自己認識は、話し手としての徳をも破壊します。自分の言葉を誰も聞いてくれないのに、それでも正確に、誠実に語り続けようという意志を、いったい誰が持てるでしょうか。

佐藤岳詩『「倫理の問題」とは何か~メタ倫理学から考える~』p208

 

「寛容な聞き手」が不在になればなるほど、「誠実な話し手」も居なくなってしまう――非常に恐ろしいことです。

この「証言的不正義」、残念ながら世の中で高頻度に見られるものであり、我が身も含め反省しないといけない大事な話だったように思いました。

 

 

まとめ

さて、最後、総合的な所感を述べます。

 

誰もがSNSで発信したり受け取ったりすることが日常となり、個人による世界との交信が規模・頻度ともにインフレしてしまった現代社会において、著者が語る「世界とのかかわりあい方」としての「倫理」を各個人が考えることはますます重要になってると感じます。

 

「科学リテラシー」や「医療リテラシー」なども言われるようになって久しいですが、それならば「倫理リテラシー」というものもあるのではないでしょうか。

当然、誰もが道徳的な意見を言う権利はあると思います。しかし、「倫理の問題とは何か」の基本的なところを押さえずに、むやみに「○○するべき」「□□は悪いことだ」などを強弁してしまうのは時に危ういことのように感じるのです。

もちろん奥深い専門的なところまで押さえるのは無理としても、本書が語る話ぐらいは「倫理リテラシー」を身につける上で、ぜひ誰もが触れておいても良いんじゃないかなあと思います。[3]江草自身も素人なのでまだまだ勉強しないとですが

 

 

とにもかくにも、本書『「倫理の問題」とは何か~メタ倫理学から考える~』

とてもオススメな本ですので、興味を持った方は是非読んでみてください。

 

リンクも再掲しておきます。

「倫理の問題」とは何か~メタ倫理学から考える~ (光文社新書) | 佐藤岳詩 | Kindle本 | Kindleストア | Amazon
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以上です。ご清読ありがとうございました。

 

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