「日本のコロナ対策論議に根本的に欠けているもの」の記事に欠けているもの

病院と救急車のイラスト医療

おはようこんにちはこんばんは、江草です。

とあるコロナ対策についての記事があまり妥当とは思えない内容でしたので、今日はそれを批判的吟味させていただきます。

「日本のコロナ対策論議に根本的に欠けているもの」記事の概要

問題の記事はこちらです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/69ad2d59b74bbc490c31879348c7bc6fe7071da3[1]2021/06/20リンク切れ確認。代替アーカイブ↓
https://archive.md/20201220012614/https://news.yahoo.co.jp/articles/69ad2d59b74bbc490c31879348c7bc6fe7071da3

「日本のコロナ対策論議に根本的に欠けているもの」と題したこの記事は、コロナ対策に見る、日本の医療法制度の欠陥を指摘しており、そこそこのバズと評価を得ています。

しかし、江草としては疑問を感じる内容でした。

本来、この中身を読んでいただかないと始まらないのですが、Yahooニュースの記事なのでいずれリンク先が消失してしまうことが予想されます。

ですので、勝手ながら引用を交えつつ記事の概要を説明します。

医療逼迫を理由にした行動制限措置を否定

この記事の特徴的な主張の1つは、「医療逼迫を理由にした行動制限措置を導入することを否定していること」です。

医師でありまた法学者でもある東京大学法科大学院の米村滋人教授は、医療の逼迫を理由に大規模な行動制限措置を導入することには否定的だ。なぜならば、日本の医療逼迫の最大の原因は、日本の医療体制とそれを巡る法制度に問題があるからであり、医療体制が問題を抱えたまま単に行動制限を導入しても、国民に大いなる負担や辛苦を強いる一方で、根本的な問題は何も解決されないからだ。

「日本のコロナ対策論議に根本的に欠けているもの」https://news.yahoo.co.jp/articles/69ad2d59b74bbc490c31879348c7bc6fe7071da3

ここ最近、医療逼迫を理由に相次いで病院団体からの行動自粛のお願いが出ていることを考えると[2]「東京都病院協会からの緊急メッセージ」など、それに真っ向から対抗する思い切った主張です。

ありあまる民間病院の一般病床をICUに転換できてないことをやり玉に

その主張の理由として、医療に関する法整備が未成熟で、行政の医療機関に対する権限が弱いために、せっかくの第一波からの半年間ほどの猶予期間中に、有り余る民間の一般病床をICUに転換して医療のキャパシティを拡大させることができなかったことを挙げています。

平時には潤沢すぎるほど病床数を抱える日本は、感染症の爆発などが起きた有事には、通常の病床をICUに転換する必要が出てくる。しかし、現在の医療法では都道府県は医療機関に対して病床の転換やICUの設置、感染症患者の受け入れなどをお願いすることしかできないのだと米村氏は指摘する。

「日本のコロナ対策論議に根本的に欠けているもの」https://news.yahoo.co.jp/articles/69ad2d59b74bbc490c31879348c7bc6fe7071da3

まず医療界が自主的に協同して一般病床をICUに転換し、コロナウイルスに対抗する体制を整備するべきで、それができてないのに国民が我慢を強いられるのはおかしいというロジックです。

ギリギリまでGOTOなどで国民の人気を取っておいて、最後は自粛要請で国民に負担を押しつけるようなことを繰り返すのではなく、手遅れになる前にそろそろ本気で制度面や法律面での体制作りにとりかかるべきではないだろうか。

「日本のコロナ対策論議に根本的に欠けているもの」https://news.yahoo.co.jp/articles/69ad2d59b74bbc490c31879348c7bc6fe7071da3

で、現状を見るに医療機関の自主的な動きが期待できない以上、医療機関にコロナ受け入れ体制の整備を命令できるような行政の権限強化を盛り込んだ法整備が必要ではないかという提言をされて、記事を結んでいます。

記事の主張は本質的な問題でないし、行き過ぎた結論を導いている

この記事の主張は一見もっともらしいのですが、本質的な問題でないし、行き過ぎた結論を導いていると江草は考えます。

もう少し具体的に言えば、

「確かに医療の法整備のあり方は一課題ではあるが、医療逼迫の根本的な原因ではない」

「病床転換ができてないからといって行動制限措置を否定する根拠にはならない」

が、江草の主張になります。

以下、その理由について説明していきます。

病床を転換すればコロナに対応できるわけではない

記事の主張は「有り余る一般病床をICUに転換すれば医療のキャパシティは増え、コロナに対応できるはず」という命題を主要な論拠としています。

しかし、これはそう単純な話ではないと江草は考えます。

人材は半年ごときでは育成できない

ICUという箱だけ増えても、コロナ対応ができるわけではありません。当然ながらそのICUを運営するスタッフも必要です。

ただ、どの業界の方でもご存知の通り、人材の育成というのは物品や設備の用意以上に大変です。一般病床とICUでの業務は別物なので、一般病床のスタッフをただ連れてくればいいものでもありません。

言うなれば、戦争になったからと、警察官にライフルを渡して自衛隊の隊員を急に増員しようとするようなものです。当然ながら、適切な訓練もないままで、うまくいくはずはありません。

「半年も猶予があったのに」と記事は言いますが、それは逆で「半年ごときでは人材は育成できない」と考えるのが自然です。

コロナの重症者管理は特に大変

しかも、コロナウイルスのICUでの重症者管理業務は、他の疾患に比べても高度で、何倍も労力が必要であることが指摘されています。ECMOのような高度医療機器を使いつつ、感染力の高いコロナを相手に感染防御も徹底しながら、重篤な患者に対応するわけですから、当然です。

そうした高度なスキルを持ったスタッフが、大量に必要になるわけです。号令を出した途端に、急にエリートたちがゾロゾロとどこからともなく湧いて出てくることなんてあるでしょうか。

それを「半年間の猶予があったのだから用意できるはず」と考えるのは浅慮と言わざるをえません。

感染者は指数関数的に増えるので行動制限が必要なのは変わらない

そもそも、いくらか医療のキャパシティを向上させたとしても、限界はあります。

例えば、法整備をして、それなりの数の一般病床をなんとかICUに転換したとしましょう。そうすればキャパシティが向上して医療逼迫するまでの余裕が生まれる可能性はあります。

でも、それでも行動制限措置が必要なのは変わりません。

なぜなら、感染者は指数関数的に増えるので、増加傾向が続くならば多少の医療キャパシティの向上をあっという間に凌駕するからです。

半年間のICUの整備で、ICUを増やせたとしてもせいぜい数倍でしょう。しかし、コロナウイルスの感染は、倍々ゲームで増えるので、無策であればすぐに数百倍、数千倍に達するわけです。現状の第三波がピークアウトしてないことを考えると、行動制限措置をしないままで大丈夫と考えるのはかなり楽観的な見方でしょう[3]第二波のようになぜか下火になる可能性はありますが、その可能性に国民の生命を賭けてよいのでしょうか

確かに、医療界の自主的なコロナ対策の体制づくりや法整備に問題はあるのかもしれません。でも、だからといって「行動制限措置が不要」とまで主張するのは、論の飛躍があり、妥当な結論とは言えません。

根本の問題は医療の「安全保障」役割の軽視

続いて、「本質的な問題は何か」という点についてです。

記事の主張にある通り、法整備が医療キャパシティの拡大を阻む1つの課題であることは否定しません。

しかし、医療キャパシティの拡大を阻む根本の問題は、法整備ではなく、医療の担う「安全保障」の役割を国が軽視してきたことと江草は考えます。

コロナ以前でも長年こうした新型感染症のパンデミックに対する警鐘はなされていたにも関わらず、新型感染症に対する「もしものときの備え」に国が注力していなかったのが、最も問題なのです。

医療の「安全保障」の役割を国がいかに軽視していたかを象徴する具体的な要素を3つ挙げていきます。

医療費抑制

まず1つ目は「医療費抑制」です。

年々増える医療費の増加を受けて、最近ではずっと「医療費の抑制」が国をあげての大きな目標として掲げられています。

「医療費抑制」を目標にすると、まずは今目の前にある通常診療の維持に精一杯で、「不要不急」である「もしもの時の備え」に回す余力がなくなるのは容易に想像に難くないでしょう。

実際、病床利用率を高めにキープするよう求められるなど、医療機関は無駄をなくし効率的に病床を運用するように強いられています。

そうした効率化の方針の下ではいざという時に余裕のある設備がないのは当たり前です。

医師数抑制

2つ目は「医師数抑制」です。

医師不足がずっと問題として上げられているなか、国は医学部の増員や医学部の新設には及び腰でした。今は高齢化のピークで医師需要が高いけれど、いずれは高齢者人口も減少に転じ、医師余りになるからというのが、よくある説明です。医師数増加に関しては、医師の一大派閥である医師会も抵抗姿勢を示していることで有名です[4]理由としては開業医が多い医師会としてはライバルが増えるのを嫌っているというのが定説です

医師不足対策の是非についてはここでは議論しませんが、こうして医師数を抑制するとなると、当然ながら「もしもの時に出動する医師人員の余裕」もなくなるのは明らかです。

こんな方針の下で、いざICUを急に増やそうとしても、それを担う人材がいないのは当たり前です[5]なお、医師会が絡んでる以上、医療界自身の責任も確かにあると言えます

防疫体制の未整備

3つ目が「防疫体制の未整備」です。

一躍有名となった神戸大学感染症内科の岩田健太郎教授は、以前より「日本にはアメリカのCDCのような感染症対策の専門組織がないことが問題」と指摘されていました。

つまり、専門家から警鐘は鳴らされてたのにも関わらず、感染症対策で司令塔となる組織が整備されてなかったことになります。

そうした平時からの防疫体制の整備がないままに、有事になってから急にうまく協同対応せよというのは難しいはずです。それを「半年も猶予があったのに医療界は人員をうまく融通しあえてない」と批判されても理不尽でしょう。

平時から余裕がないと安全保障はできない

これらの3点から見えてくるのは、平時から人員や設備やお金の余裕、そして有事に備えた体制作りがないと、いざ有事になった時に急に対応できるはずはないということです。

考えてみれば当たり前のことですが、火事がない時も消防署はありますし、紛争がない時も自衛隊はいます。平時から余裕がないと安全保障はできないのです。

行政が医療機関に病床転換の指示を出せる権限がないことも、課題の1つであることは否定はしません。しかし、そんな権限があったとしても、無い袖は振れないのです。まず振る袖を用意することが先決で、権限の問題は二の次なのです。

↓医療の「安全保障」の役割を意識する重要性についてはこちらの記事も参考になると思います。

医療界には「弱い追い風」 医療経済学者が新型コロナの影響を前向きに捉えるわけ
新型コロナウイルスへの対応で、医療現場も大きな影響を受けました。100年に一度とも言われるこの疫病のインパクトはどれほどあったのか。医療経済学者の二木立さんは意外にも前向きな評価をしています。

まとめ

と、長々と「日本のコロナ対策論議に根本的に欠けているもの」の記事に対して批判的吟味をさせていただきました。

江草の主張を再掲しますと、

「確かに医療の法整備のあり方は一課題ではあるが、医療逼迫の根本的な原因ではない」

「病床転換ができてないからといって行動制限措置を否定する根拠にはならない」

の二点になります。

実際のところ、法整備の課題についての記事の指摘も一理はあるのです。そこは否定はしていません。

しかし、記事は結果としてあまり本質的でない問題をことさら強調しているだけになっていますし、また、特に行動制限措置を安易に否定する主張は今後の感染拡大防止に水を差す可能性があり看過できないものです。

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

脚注

脚注
1 2021/06/20リンク切れ確認。代替アーカイブ↓
https://archive.md/20201220012614/https://news.yahoo.co.jp/articles/69ad2d59b74bbc490c31879348c7bc6fe7071da3
2 「東京都病院協会からの緊急メッセージ」など
3 第二波のようになぜか下火になる可能性はありますが、その可能性に国民の生命を賭けてよいのでしょうか
4 理由としては開業医が多い医師会としてはライバルが増えるのを嫌っているというのが定説です
5 なお、医師会が絡んでる以上、医療界自身の責任も確かにあると言えます

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