コロナワクチン接種の実施に関して、公平性の問題が最近よく議論になっています。
いわゆるVIPな人物がコネで早く接種することに非難が集まったり、職域接種の解禁の報道で「非正規雇用者や主婦などに取り残される人がいるのではないか」と懸念の声が挙がったり。
こうした公平性を求める訴えに対し、
「公平性だなんだと言ってワクチン接種拡大の足を引っ張るな。とにかく誰でもいいから早く接種するべきに決まってるだろう」
と「公平性」への懸念を一言で切り捨てる意見をよく見かけます。
医師インフルエンサーでもこうした態度をとる者は少なくありません。
実際、「人を選ばず打てるところから打つ」というのは、効率性の観点からも合理的ではあるわけで、気持ちは分かります。
しかし、それでも「当然効率性が大事に決まってるだろう」とあっさり断言してしまう態度は、「公平性の問題」を軽視しすぎではないかと思うのですよね。
特に、医師であればなおさら、この「公平性の問題」には最大限の慎重な配慮が求められると思うのです。
良い機会ですので、以下、ワクチン分配の「公平性の問題」の難しさを簡単に解説してみます。
ワクチン接種プログラムの思考実験
といいつつ、自前ではなく借り物での説明から始めます。すみません。
こうした医療資源分配の倫理を考える上で江草がオススメしてる書籍『誰の健康が優先されるのか 医療資源の倫理学』の冒頭の思考実験を紹介します。
ちょうどいい例なので。
紹介するのは、書籍内の冒頭で登場する、ちょうどワクチン接種を題材にした面白い思考実験です。
本当はもっと詳細な設定があるのですが、ブログで分かりやすい範囲に収めるため、便宜上、江草が多少改変してまとめています。
プランAか、プランBか、どちらを選ぶ?
で、その思考実験はこういうものです。
国際援助プログラムとしてある島国で感染症Xに対する予防接種を実施することになった。
感染症Xは子どもだけがかかる致死性の疾患である。
この島には海岸平野部に住む800人と山間部に住む200人と、合計で1000人の子どもが居る。
山間部にはアクセスの問題があり、海岸平野部で実施するのに比べ1人あたり4倍のコストがかかってしまう。
貧しい国であるため予防接種実施のための予算は限られており、全員に実施するのに必要な半額の予算しかない。
作戦として、次の2つのプランのどちらかを選ぶこととなった。
A) 海岸平野部の子ども800人全員に予防接種を行うが、山間部の子どもには一切行わない。
B) 海岸平野部の半数400人に予防接種を行い、山間部の子どもの半数100人にも接種を行う。
あなたはどちらのプランを選ぶだろうか。
いかがでしょうか。
人数だけ見ればプランAは800人の子どもに接種でき、プランBは500人の子どもの接種にとどまることになります。
しかし、プランAでは山間部の子どもたちには、ただ山間部に住んでいるという理由だけで接種の権利が全くなくなってしまいます。
これをどう考えるかが判断の大きな分かれ目になるでしょう。
この問いを、著者たちは実際に講義で学生たちによく提示するのだそうです。
すると、学生の大半はプランAを選び、残りのいくらかの人数がプランBを選ぶ傾向があるんだとか。
ざっくり言えばプランAは「利益最大化」重視、プランBは「公平性」重視なので、この学生の選択の傾向を単純に受け止めると、人は「利益最大化」を重視して選択する人が多いということが言えそうです。
プランCか、プランDかどちらを選ぶ?
ところが、興味深いのがここからです。
この思考実験には続きがあるのです。
プランAを選んだ人にはまた追加の問いが出ます[1] … Continue reading。
プランAを無事実施し終えた時、喜ばしいことに予防接種の追加予算が認められたという報告を受けた。さきほどの予算と同額の追加である。
さらに良いことに、別の感染症Yに対する予防接種も利用可能になったという。この感染症Yは感染症Xとはあくまで別の疾患だが、全く同等の特徴を持っており、子どもだけがかかる致死性の病気である。
この追加予算の使い道として、あなたは次の2つのプランのどちらかを選ばないといけない。
C) 未接種に留まっている山間部の子ども200人に感染症Xに対する予防接種を実施する。
D) 海岸平野部の子ども800人全員に感染症Yに対する予防接種を行うが、山間部の子どもには一切行わない。
あなたはどちらのプランを選ぶだろうか。
いかがでしょうか。
予想外の追加の予算と追加のワクチンが登場しました。
プランCを採れば海岸平野部と山間部の子どもの合計1000人全員に感染症Xの予防接種が行き渡ることになります。しかし、感染症Yのワクチン接種は誰もできません。
プランDを採れば海岸平野部の800人の子どもが感染症XおよびYの二種類の予防接種を受けることができ、のべ1600人分の接種ができますが、山間部の子どもは予防接種を二種類とも受けられないままです。
著者によると、この追加の問いに対して、プランAを選んだ学生の圧倒的多数がプランCを選ぶのだそうです。
プランAかつDという人はまずいないのだとか。
第一の問いでは「利益の最大化」を重視してプランAを選んだ者も、第二の問いでそれを繰り返すことには抵抗を感じ始める。つまり、「公平性」を重視し始めると言えます。
しかし、「利益の最大化を図るのが当然」と考えるならば、プランAと同様の理由でプランDを選ぶのが一貫した態度とも言えます。
でも、それが案外できないのが人間というものなのです。
この思考実験から分かるように、「公平性」と「利益の最大化」は複雑な関係性を持っています。
コロナワクチン接種は「この社会で初めての不公平」か?
さて、この思考実験を踏まえて、現実のコロナワクチン接種の分配の問題を見てみましょう。
もちろん、思考実験の状況と、現実の状況は異なります。
しかし、こうした思考実験から得られる知見を押さえることは重要です。
たとえば、さきほどの例では「不公平が繰り返されること」には多くの人が抵抗を示すことが示唆されます。
それと同時に、「独立した単回の判断」では「利益の最大化」といういわば「合理的判断」を好む人が多いということも言えるでしょう。
で、問題になるのは、今議論になってる「コロナワクチン接種の分配の不公平」は「この社会における初めての不公平な判断か」という点です。
「不公平が繰り返されてる」なら人は怒る
「新型コロナウイルスの感染拡大防止」という日本社会でも初めて、かつ、もう繰り返すことはないと思われる(そう思いたい)判断において、これを「独立した単回の判断である」と考えれば、功利主義的な「利益の最大化」の観点から「誰でもいいから早く打て」と言い切るのは確かに合理的ではあるでしょう。
しかし、ワクチン接種分配の「公平性の問題」を訴える人たちがなぜ不満を漏らしてるかと言えば、そうした判断を「またか」と感じてるからではないでしょうか。
そう、彼らは「また不公平が繰り返されている」と感じているからこそ怒っているのです。
毎回毎回「利益の最大化」と称してプランAやプランDばかり採用されて、一切いわば「山間部の自分たち」には回ってこないじゃないかと。
もちろん、文字通り「ワクチンが毎回回ってこない」という話ではなく、もっと広い意味になります。
つまり、「ワクチンを含め、社会のリソースの分配に関して、毎回なんだかんだ理由をつけて自分たちが後回しにされてる」という怒りです。
たとえば、市長や大手企業の経営者がワクチン接種を優先されたと報道された時に上がる不満の声には、「彼らは普段から優遇されているのに」という前提が隠されています。
また、職域接種の拡大に対して上がる不安の声には、「ただでさえ正社員は普段から優遇されているのに」という前提が隠されています。
さきほどの思考実験で言えば、たとえば「海岸平野部の子どもたち」が豊かな暮らしをしていて、「山間部の子どもたち」が貧しい暮らしをしていると考えれば分かりやすいかもしれません。
いわば、こうした格差を知った上で本当に「利益の最大化」を掲げて「豊かな子どもたち」を優先するプランAをあっさり選べるのかという話なのです。
もっと言えば、プランAもしくはプランDという選択に「不公平だ」と怒る声に対して、「利益の最大化という意図もわからないのか、足を引っ張るな」と無下に突き返すことは、どれだけ残酷な発言でしょうか。
ワクチン接種の問題は「単回の独立した判断」ではいられない
もちろん、こうした判断には正解があるものではないですし、そうした格差を考慮してもなお「利益の最大化」を採る選択をすべき時はあるでしょう。
今回のコロナ禍の被害の甚大さを考慮すれば、確かにワクチン接種の作戦として「公平性」を犠牲にしてでも「利益の最大化」を優先するべきかもしれません。
だから、かくいう江草自身も別に「人を選ばず迅速な接種拡大」を採ることを否定はしていません。
しかし、問題はそうした選択を考える際に、社会には今まで積み上がった複雑な経緯や関係性があることを忘れ「公平性の問題」を軽視してしまう態度です。
ワクチン接種の問題は複雑な現実社会においては「単回の独立した判断」ではいられないのです。
であるからこそ、結果として「利益の最大化」を選ぶことになったとしても、その過程で「公平性」について考えなくてよいことにはならないでしょう。
医師がワクチン接種の公平性を軽視する傲慢さ
ましてや、社会の中でも格段の高待遇に恵まれ、医療倫理に通じていることが期待されており、率先してワクチン接種の権利を得ている「医師」という職業でありながら、ワクチン分配の「公平性」を足蹴にする態度をとるのは、極めて傲慢に思います。
「持てる者」が、「持てない者」による不公平の訴えに対してとる反応としては、むしろ最悪の対応と言えるでしょう。
なんなら、医師がそうした「公平性なんて考えなくて良い」とばかりの傲慢な態度をとることで、人々の反感を買い「ワクチン忌避」が広がる可能性だって十分ありえるでしょう。
そうなっては「ワクチン接種の拡大」の阻害要因となりますし、「利益の最大化」という点でも逆効果でしょう。
完全に本末転倒です。
そういう意味で、医師は今回のワクチン接種優先度の議論に関しては、かなり繊細な立場にあることを自覚すべきです。
「利益の最大化」を主張することはかまいませんが、その際には「公平性」への十分な配慮と、丁寧な説明と謙虚な態度が必要不可欠です。
せめて、最低限、医師の皆様におかれましては、「接種のスピードが第一で公平性なんて考えなくて良い」などと「ワクチン接種拡大の足を引っ張る発言」は控えていただくようお願いしたいです。
接種のスピードはもちろん大事ですが、公平性だってやっぱり忘れてはならないのです。
以上です。ご清読ありがとうございました。
脚注
↑1 | 本当はプランBを選んだ人に対しても追加の質問があり、これまた興味深い結果なのですが、本稿はプランAを選ぶような「利益の最大化」主張に対する記事なので、今回は省略します |
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