日弁連が医療従事者のワクチン接種関連の人権問題の相談内容を公表して、医療クラスタ内で話題になりました。
医療従事者や介護施設職員などから「職場で拒める雰囲気がなく、接種をしなければ退職などを求められている」「ワクチンを打ちたくないのであれば、ここでは働けないと言われた」など、ワクチン接種の強制に関する相談が多数寄せられた。
(中略)
日弁連の川上詩朗人権擁護委員会委員長は6月9日、記者会見で「ワクチンを打つ打たないは自らが判断することができ、その判断は尊重されなければならず、打たなかったからと言って不利益を被ることがあってはならない。現場ではそれが十分に考慮されていない実態があるのではないか」と話した。
「ワクチン接種しないと退職要求」「職場にチェック表貼り出し」医療従事者の相談、日弁連が公表

確かに、医療者において高いワクチン接種率は望まれるところですが、パワハラ的な強要はいただけないですよね。
ところが、この報道に対して医療クラスタの中で、
「ワクチン接種を義務付けるのは当然だ」
「打ちたくないなら医療従事者を辞めればいいのに」
「自由と義務を履き違えてないか?」
などのような、むしろワクチン接種を希望しない医療従事者の方を強く責めるツイートがいくらか見受けられました。
早くコロナ禍を収束させたいという熱い思いからの言葉とは分かりつつも、これは言い過ぎです。
むしろ、これらのツイートこそ「自由と義務を履き違えた発言」と江草は思います。
今日はその点を簡単に指摘しておきます。
「また江草は小うるさいことを言うなあ」と思われるかもしれませんが、同じ医療者としておかしいと感じたところはおかしいと指摘しておかないと、業界外の方々に示しがつきません。
査読と同じで、必要とあれば業界内で指摘し合うのは専門職としての矜持と考えています。
それに、「医療者は内輪に甘い」と言われるのもシャクでしょう?
医療従事者のコロナワクチン接種は少なくともまだ義務ではない
まず、押さえておかないといけないのは、(少なくともまだ)医療従事者のコロナワクチン接種は義務ではないということです。
厚労省の説明を引用しましょう。
医療従事者等の方は、個人のリスク軽減に加え、医療提供体制の確保の観点から接種が望まれますが、最終的には接種は個人の判断です。
厚生労働省-「医療従事者等への接種について」 (2021/06/10 最終訪問)
接種を行うことは、強制ではなく、業務に従事する条件にもなりません。
このように義務ではないことが明記されています。
ですから「自由と義務の履き違え」もなにもありません。
また、「業務に従事する条件にもならない」とも記されており、「打ちたくないなら医療従事者を辞めればいいのに」という発言が適切ではないことも分かります。
医療従事者が接種すべきワクチンはすでにあるけれど
もっとも、医療従事者においてはHBVワクチンなど、ガイドラインで「全ての医療従事者が接種するべき」と定められてるワクチンがすでに存在しています[1] … Continue reading。
ですから、医療従事者に対してワクチン接種を義務付けること自体が否定されるわけではありません。
実際、この事実をもって「すでに入職時に接種を義務付けられているワクチンがあるのだから、コロナワクチンも強制してよい」とする意見も見かけました。
しかし、あくまでコロナワクチンとそれらのワクチンは別のものです。
他にすでに十分な歴史と議論を経た上で義務付けているワクチンがあるからといって、周辺の議論が未整備なコロナワクチンも同様に直ちに義務付けてよいとはならないでしょう。
法治国家なので法律の専門家である弁護士が法的根拠を確認するのは当然のこと
そもそも、日本は法治国家です。
被害の相談があった時に、医療機関が従業員に対する義務を怠ったり、従業員の自由を侵害したりしていないか、法律の専門家たる弁護士が医療機関内の行為の法的根拠を確認するのは当然のことです。
そんな法律の専門家の意見を差し置いて「医療従事者のワクチン接種は義務だ」と勝手に強弁することは、それこそ医学の専門家の意見を差し置いて「ワクチンは危険だから打つべきでない」と勝手に強弁する「反ワクチン派」と構図的に何も変わりません。
みなさんが日々熱心に「反ワクチン派」の振る舞いを批判していたのはいったい何だったのでしょうか。
そうした「専門家の意見」を参照するよう、尊重してもらうよう活動していたのではなかったのでしょうか。
もちろん、法律の専門家たる弁護士に意見をするな、反論するなということではありません。
医療界には医療界なりの事情があるのですから、その事情を弁護士サイドや世間に対して丁寧に説明することは必要でしょう。
しかしだからといって、専門家から批判的意見が出ている上でなおそれを無視し、勝手に接種の強要を行っていいことにはならないのではないでしょうか。
遵法精神が甘い医療界の悪癖
そもそも、医療界が日頃から遵法精神が甘いことは自覚しておくべきです。
あふれるサービス残業。
いまだ存在する無給医。
医療界はどうも「医療という命を救う良いことをしているのだから法律は多少破っても仕方ない」と思ってしまいがちなのではないでしょうか。
そうした「社会的意義のあることをしているから多少の悪事は許されるだろう」という考えは「モラル信任効果」というバイアスで知られています。
要は「自分勝手な考え」です。
もちろん、赤信号を無視したことがない人がいないように、完璧に法律を守って生きることは現実として不可能です。
しかし、「法律を破ることは悪いことだ」という自覚すらなくなったら、法治国家の住人としてはまずいでしょう。
今回のことも「コロナ禍をおさめるためには法律や医療従事者の権利なんて守ってられない」と思うのだとしたら、それは極めて危うい考えだと言わざるを得ません。
医療の暴走の歴史の反省
といっても、こうも法律やら人権やら言われるのは窮屈ですよね。
医療者がとにかく命を救うことに全力を尽くしたいと思うのは当たり前です。
それを邪魔するものは法律だろうが、人権だろうが、正直憎らしく見えることでしょう。
その気持ちは分かります。
ただ、そうした医療者の一心不乱の熱い思いが、歴史上はからずも数々の悲劇を産んでしまったことも忘れてはならないのではないでしょうか。
ハンセン病患者の隔離。
優生学的「断種」の実施。
今では考えられないようなこれらの悲劇も、いずれも当時の医療者は「善いこと」と思って行っているのです。
たとえ「医療者の観点からすると善いことが明らか」と思う場合であっても、一度立ち止まって「法律」や「人権」との整合性を丁寧に考えるというのは、こうした医療の暴走の歴史の反省から学んだ人類の知恵と言えます。
だから、面倒なようでも我慢しないといけません。
自由と義務を履き違えないために
まとめます。
現時点で「医療従事者にワクチン接種を強要してよい」かのように強弁することは、あたかも医療界が勝手に法律を作る自由があり、医療従事者にワクチン接種義務があるかのように考えている点で「自由と義務を履き違えて」います。
医療界は法律を守る義務があり、各医療従事者はワクチン接種を受けるか受けないか決める自由があります。
ただ、もちろん、誰しも意見を言う権利はあります。
現時点では接種を強要したりパワハラを容認してはいけませんが、意見として今後の医療従事者の接種義務化を要望することはおかしくありません。
明らかになってきたコロナワクチンの高い効果と、コロナが社会に与える被害の甚大さを考えると、確かにHBVワクチンなどのように接種義務付けの明文化を図る優先度は高いと言えるかもしれません。
だから、今回の日弁連の動きに納得がいかない方は、むやみに現状のパワハラを容認などせず、粛々と正式な手続きを経た接種義務化への動きを進めればよいのではないでしょうか。
それはそれで十分に慎重な議論が行われるべきであることは言うまでもありませんが、それならばだいぶ健全な話になると思うのです。
以上です。ご清読ありがとうございました。
脚注
↑1 | 実を言うと、我が身の不勉強で、これらのワクチン接種にどれぐらい強い法的強制力があるかは江草も自信はありません。論旨にはあまり影響しないはずですが、ちょっと気になってはいます |
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