正しい情報伝達を求めすぎないように

先生のイラスト科学

おはようこんにちはこんばんは、江草です。

今日は「正しい情報伝達を求めすぎないのが大事」という話です。

「ミニキリン」が教えてくれたこと

「ミニキリン」問題が話題です。

キリン研究者の郡司芽久氏がYahoo!ニュース記事にまでなった「ミニキリン」の記事の誤りを指摘し、「その情報の誤りがどういう経緯で生じたのか」を詳しく分析された、という大変興味深い話です。

 

情報が歪んでいく様子を追跡してみた:「ほぼ嘘」のミニキリンが誕生するまで|郡司芽久|note
 本記事は、このツイートのより詳細なまとめです。  ことの発端は、2021年1月12日。  Yahoo!ニュースのトップに「背が平均の半分しかない「ミニキリン」発見、脚が異常に短いと専門家」という記事がアップされました。(下にスクショも貼ります) (少し予想していたのでスクショ貼りましたが、記事のタイトルは「脚が...

詳しくは上の郡司氏のまとめを参照いただくとして。

 

ざっくり言えば、「ミニキリン」問題とは、最初の研究成果の報告から色んな媒体を経て情報が伝わるうちに、話に尾ひれがついて、いつのまにやら大分違う様相のニュース記事になってしまったケースと言えます。

この「ミニキリン」問題は、どうしても「伝言ゲーム」ではもともとの情報が変わってしまいうるので、情報を受け取る時には注意がいるということを教えてくれます。

 

で、実際「ミニキリン」の一次情報にあたった人いますか?

このミニキリン問題に対しては「一次情報をあたって情報の正しさを確認する大切さ」を教訓として得ている人がまあまあ見受けられました。

でもですよ。

じゃあ、そう言ってる方の中で、どれぐらいの方が実際に「ミニキリン問題の一次情報」にあたったでしょうか?

たとえば、本当にそんな「ミニキリン」のYahoo!ニュース記事なんてあったでしょうか?

本当に「ミニキリン」の元になった論文は存在していたのでしょうか?

研究者のインタビュー動画も皆さんちゃんと確認しましたか?

郡司氏も、本当にキリン研究者でしょうか?実は全くキリンに関係ない人だとしたら?[1]失礼を承知ですが、ここは「たとえば」の思考実験ということでご容赦ください

郡司氏の「ミニキリン」ニュースが生まれた経緯の解説、そのまま疑わず受け取ってしまってないでしょうか?

江草が思うに、ここまでちゃんと確認した人はほぼいないのではないかと思います[2]無論、江草自身もそこまでは確認できてません

 

情報の正確さを確認するのは極めて難しい

もし「ミニキリン」問題から「情報の正確さを確認するのが必要」というメッセージを受け取ったなら、このように「ミニキリン」問題の郡司氏の分析の話そのものも、まず疑って確認する必要が出てしまいます[3]このパラドックスについては郡司氏も指摘しています

でも、この「ミニキリン」問題の情報の確認だけでも、これだけ大変です。それなのに、現代社会では無数の情報が、今こうして瞬きしている間にもどんどん増え続けています。それを全て確認するのは端的に言って不可能です。

もっと言えば、論文などの比較的信頼できそうな情報までたどってさえ、その正確性は完璧ではありません。STAP細胞の問題があったように、専門的な研究機関が有力科学雑誌に投稿した論文でさえ間違っていることもあるのです。

時間的にも、労力的にも、要求される専門知識的にも、原理的にも、情報の正確さに完璧を期すことは誰にとっても不可能なのです。

 

受け取る側の勘違いも起こる

そして、いくら発信される情報が正しくても、受け取る側が勘違いしてしまうこともあります。

これはちょうど先日のvoicyで、社会派ブロガーのちきりん氏がお話されてたテーマです。

 

2021/1/13 #103 すべてを見てはもらえない | ちきりん「Voice of ちきりん」/ Voicy - 音声プラットフォーム
音声放送チャンネル「ちきりん」の「2021/1/13 #103 すべてを見てはもらえない(2021年1月13日放送)」。Voicy - 音声プラットフォーム

 

ちきりん氏は、自分自身がテレビのCMや番組を勘違いして受け取っていたエピソードや、自分の記事などが勘違いされて受け取られていた話を通して、「人は誤解するもの」という教訓を提示されています。

 

確かに、私たちはついつい情報の一面だけを見て、全体を判断しちゃいがちです。

どれだけ発信側の情報が正しくても、受け取る側が勘違いして曲解してしまい、正しい情報伝達にならないことは、この世で頻繁に起きてることなんですよね。

受け取る側も読解能力を高めたり、注意力を高めたら、ある程度の勘違いは防げるかもしれませんが、完全に勘違いをなくすのはやはり不可能だと思います。

 

完全に正確な情報伝達は無理なので

と、発信側でも、受信側でも、どうしても情報伝達にエラーが生じるのが人間です。

なので、「情報は絶対に正しくないと」と完璧主義すぎても、しんどくなるだけだと思うのです。

もちろん、可能な限りの正しさを求める努力は要ります。

でも絶対に「完全に正しい情報」にはたどりつけないのだから、いつでも、自分もあなたも、お互い「正しくないかも」を前提として情報を取り扱うべきではないでしょうか。

また、情報の誤りはできる限り避けるべきですが、完全に避けるのは誰にも不可能なので、あまり他人の情報の間違いをあげつらう風潮も危ないと思います。

誰でも情報が誤ってることはありえるので、それは本来、恥ずかしいことではありません。

情報の間違いを恐れたり恥ずかしがるあまり、情報発信を躊躇しすぎたり、意固地になって間違いを認めなくなったりすることの方が、結果的には危険ではないかと江草は感じます。

情報の誤りが存在しうるのが前提で、誤りがあるかもしれないとお互いに注意しつつ、誤りが見つかったらお互い素直に修正する、そういう情報に対する誠実な姿勢こそが大切なんじゃないでしょうか。

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

脚注

脚注
1 失礼を承知ですが、ここは「たとえば」の思考実験ということでご容赦ください
2 無論、江草自身もそこまでは確認できてません
3 このパラドックスについては郡司氏も指摘しています

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