戸田山和久「思考の教室」読書感想文~戸田山先生の熱意と危機感が伝わってくる一冊~

本に乗る女性のイラストクリティカルシンキング

戸田山先生の「思考の教室」読了しました。

 

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さすがの戸田山先生。大変な良書でございました。

「じょうずに考えるための教科書」として高校生や大学生をターゲットに書かれた本ですが、大事なことが書かれすぎているので、全国民が読むべきレベルかと思います。

戸田山和久先生は著名な科学哲学者で、一般向けの著書を多数出されてます。たとえば「論文の教室」はベストセラーなので、論文やレポートを書く時にお世話になった方も少なくないのではないでしょうか。

 

さて、本書「思考の教室」は「じょうずに考えるとは何か」「なぜそれが大事か」「考える時に陥りがちな落とし穴」「落とし穴を乗り越える実践的方法」と、丁寧にステップを踏んで読者を導いてくれます。

読者が着実に「クリティカル・シンキング[1] … Continue reading」を学ぶことができる良構成です。

特に、私たちが陥りがちなバイアスや誤謬、集団思考のワナの項は必読と思います。江草自身も頻繁に陥ってると思いますが、世の中ほんとにこのワナにはまってる言説は多いので。

 

また、これでもかこれでもかと潤沢に用意された、「じょうずに考える」ための練習問題から、戸田山先生の本書にかけるこの上ない熱意が見て取れます。

まさしく教科書の風格です。

 

文体も相変わらずの戸田山節で、高度な内容を扱いながらも、驚くほど読みやすいですし、ときにユーモアも的確に差し込んできます。文章うますぎます。

 

内容といい、文章といい、構成といい、文句なしです。

 

前著の「教養の書」も素晴らしかったですが、ここまで短期間で[2]前著「教養の書」が2020年2月、今回とりあげてる「思考の教室」が2020年10月の出版またこれほどのクオリティの新作を出されたのには驚きました。

「教養」そして「思考」と立て続けに二大知的スキルを取り上げられていることから、知的スキル向上に対する戸田山先生の強い想いが伝わってくるようです。

 

その熱意の源は何か。

本書の「あとがき」でも明らかにされていますが、戸田山先生は社会の現状にかなり強い危機感を覚えてらっしゃるようです。

 

考えることのプロ、みたいな人が一定数いて、その人たちがみんなのことを考えて世の中を切り盛りしてくれる。これはこれでハッピーなことかもしれない。その他大勢の人々は、「プロ」にお任せしてついていけば、よく考えなくてもそこそこ幸せに生きていける。むしろ、そういう状態こと「幸せ」なんだと勘違いするようになる。考えるための基本的能力はもって生まれた。でもそれを育てないでも生きていける。そうすると、世の中みんなでおバカなキャラを演じてるみたいな状況になる。

ところがっ!みんなに代わって考えてくれる「プロ」たちがちゃんとしてるうちはよかったんだが、そういう人たちも「みんな」の中から選ばれるわけで、そのうち、みんなを代表してみんなのためによく考える立場についた人たちの中にも、よく考えられない人が増えてくる。おバカなキャラを演じているうちに、本当にみんなおバカになってしまう。そしてじょうずに考えられる人は誰もいなくなりました……。こうして、若いキミたちの輝かしい(はずの)未来は閉ざされてしまう。それが起こり始めているのが「いま」だ。

NHK出版 戸田山和久「思考の教室」p428

 

エリートたちでさえ「考える力」がなくなってきている現状を嘆いてらっしゃる箇所です。

戸田山先生は前著の「教養の書」でも、「大学では社会に出てからすぐに役立つ実学を学ばせろ」という世の圧力に否定的な意見をおっしゃってました。

大学で「ガクモン」や「じょうずに考えること」を修練することを重要視している戸田山先生にとって、昨今の「就職に有利かどうか」「出世につながって高給になれるかどうか」「会社で即戦力になる実践的スキルかどうか」ばかりが大学に求められる風潮に我慢がならないのでしょう。

 

江草も先生の危機感には全くの同感で、今の世の中における「考えること」の軽視は、のっぴきならない状況にまで追い詰められてるように感じます。 

 

戸田山先生は、この危機に対し、一般向けに「考えること」を学べる書を出すことで対抗しようとされているようです。

危機感を共有する者として、微力ながら江草も何かできることはあるでしょうか。

 

そう考えて、本書を見ていた際、目に止まったのが「悪魔の代弁者」という言葉です。

「悪魔の代弁者」とは、「集団思考」のワナに陥らないために、有力な意見に対し、あえて批判者として徹底的にツッコミをいれる役割を果たす人のことです。

「悪魔」と言うとなんだか怖いイメージですが、要は「査読」や「予演の時のみんなのツッコミ」に近いものです。主張されている内容が本当に妥当と言えるか検討するのは大事な作業ですよね。みんなで仲良く間違えないために、誰かがやらなければならないことです。

もちろん「議論を無茶苦茶にするような過度で不毛な批判」ではなく「より正解に近づくための建設的な批判」でなくてはなりませんが。

 

なので、今後は意識的に「悪魔の代弁者」になってみようと、江草は決意しました。

今までもちょいちょい似たようなことはやってたんですけどね。

本書に勇気をもらったので改めて頑張ってみようかなと。

それでこそ、クリティカルシンカーだと思いますし。

 

とはいえ、「悪魔の代弁者」はそれでも物々しいので、呼び名は「いちゃもんつけ委員会」とかどうかなと思ってます。ジャストアイディアですが。

 

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

脚注

脚注
1 本書内では「クリティカル・シンキング」の名は用いず「じょうずに考える」で通してますが、巻末のブックガイドのところで戸田山先生自身も「クリティカル・シンキング」への入門本であると言及しています
2 前著「教養の書」が2020年2月、今回とりあげてる「思考の教室」が2020年10月の出版

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