おはようこんにちはこんばんは、江草です。
今日は、最近prime videoで観た映画「マネー・ショート 華麗なる大逆転」の感想文です。
「爽快!」とか「泣ける!」という派手なタイプではなく、地味ながらもじんわりと染み込んでくるタイプの佳作です。

※以下、軽くですが、ネタバレ風なところもあるので、気になる方は今のうちに視聴ください。
映画の内容を一言で言えば、「リーマンショック前夜に、バブルの崩壊に賭けた男たちの物語」です。
つまり、事前にバブル崩壊が来ると予期して、ショックが来ると儲かるような投資の一大勝負に打って出た、先見の明ある者たちを描いたお話です。
創作の要素も多分にあるものの、事実に基づいた物語ということで、ノンフィクション的な現実感があります。
「主人公はこの人!」のようにフォーカスを当てるのではなく、それぞれの嗅覚で「サブプライム住宅ローンバブルの崩壊の予兆」を嗅ぎつけた全く別行動の複数グループを同時に描いており、群像劇的な構造です。
それぞれのグループのキャラが全く異なっているので、視聴者は多面的な視点でリーマンショックを眺めることができます。
史実を知ってる視聴者の私たちは、その後リーマンショックが起きることを知っているので、彼らが最終的に勝利することを分かっているわけですが、それでも、彼らが当時の常識に反して、バブル崩壊に賭ける大勝負に打って出る姿は手に汗を握らされます。
絶好調の景気の中で、あろうことかその崩壊に賭ける彼らは、あちらこちらで「馬鹿じゃないのか」と鼻で笑われ、時には激しく批判されます。
しかも、バブル崩壊がじきに来ると信じて「売り(ショートポジション)」を仕掛けたにもかかわらず、意外にもそれがなかなか起きてくれません(おそらく2年近く待ってたんじゃないでしょうか)。
バブル崩壊を待つ間どんどん膨らむ損失額。
そんな逆境の中、自分たちの判断を信じ続けていいかどうか迷うのは当然で、そうした彼らの苦悩の描写が見事な映画でした。
特に江草が感じたこの映画の秀逸なところは、クリティカル・シンキングの大切さと難しさがよく表現されてるところです。
常識に反する決断をした主人公たちですが、もちろんただ闇雲に常識を疑うわけではないんですよね。
いきなり常識を疑うのではなく、まず裏を取りに行っているのです。
ひたすら自身でデータを分析しつくしたり、フィールドワーク調査をしたり、引退した元金融家の知人に忌憚ない意見を尋ねたり、それぞれのやり方で「ほんとうに常識に反しバブル崩壊すると考えてよいのか」を吟味する姿が映画ではちゃんと描かれています。
クリティカル・シンキングの基本とも言える姿勢でとても印象的でした。
その一方で、劇中に出てきて主人公たちを嘲笑する金融業界のエリート達が、経済の先行きに純粋に自信満々で、本当に悪気がないのがそら恐ろしくなります。
彼らは悪者でも愚か者でもなく、本当にピュアに自分の仕事に熱心な優秀な人たちでありながら、シンプルに誤ってしまっていたのです。
これは、この映画のみの誇張ではなく、高度専門分化社会に警鐘を鳴らした書「サイロエフェクト」でも描かれていた内容です。
当時、あまりにも業界構造が縦割り化し、金融デリバティブ商品が複雑化したために、業界の優秀な専門家達でさえ経済の全体像がわからなくなってしまっていたようなんですね。
つまり、あくまで彼ら自身の見えている範囲では「全てうまく行ってる」ように見えていたのです。
まさにこの映画の冒頭に出てくるマーク・トウェインの名言が示唆的です。
It ain’t what you don’t know that gets you into trouble.
It’s what you know for sure that just ain’t so.
厄介なのは知らないことじゃない。
知らないのに知ってると思い込むことだ。
Mark Twain 「マネー・ショート 華麗なる大逆転」劇中より
「自分たちは分かっている」と大勢が思い込んでしまった時、破滅への大行進を誰も止めることはできません。せいぜいできるのは、主人公たちのようにその破滅に備えることぐらいでしょう。
この「常識が誤っていた時」の恐ろしい帰結は、この映画で描かれている大事なポイントの一つです。
時には前提を疑ってみるクリティカル・シンキングの姿勢や、「無知の知」の大切さを痛感しますよね。
さて、専門家でさえ経済の全体像が見えてなかったとしたら、大衆はなおさらです。
本作ではそうして経済の動乱に巻き込まれる無垢な一般市民の姿も折に触れて差し込まれます。
実際、本作では金融業界の専門用語が飛び交います。
たとえば、CDS、CDO、MBSとか、何のことか皆さん分かりますか?
これらは本作で100回以上はセリフで出てきてると思われる頻出単語です。
もちろん、映画内ではちゃんと視聴者に向けて説明はされるものの[1]「説明しよう!」ばりに、いきなり視聴者相手に登場人物たちが説明口調になる面白演出でもあります、多分あの説明程度では、多数の視聴者は置いてけぼりになるはずです。
かく言う江草もいまだよく分かっていません。
その「なんだかよくわからない単語が飛び交う体験」がまた、当時の経済の狂乱ぶりが全く理解できない一般市民の心境を視聴者にわかりしめる演出でもありそうです。
そして、最終的に専門家たちの過ちの尻拭いをさせられるのが、悲しいかな、そうした何も知らない無垢なる市民たちなのです。
この事実があるからして、能天気なカタルシスでストーリーを締めくくらないのがこの映画のよいところです。
「常識の裏をかいて大逆転で一攫千金のストーリー」と聞くと「オーシャンズシリーズ」のようにヒャッホイして終わる映画のようにイメージしてしまいますが、本作はそうはしないのです。
経済の崩壊に賭けた彼らが勝つということは、同時に世界経済の崩壊と大混乱を意味してるんですよね。
果たして、素直に喜んでいいものでしょうか。
一攫千金を得たものの、さほど嬉しそうに見えない複雑な面持ちの主人公たちの姿に、本作の真のテークホームメッセージが含まれているように思います。
以上です。ご清読ありがとうございました。
脚注
↑1 | 「説明しよう!」ばりに、いきなり視聴者相手に登場人物たちが説明口調になる面白演出でもあります |
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