橘玲氏の新刊『スピリチュアルズ』読みました。
橘玲氏は、江草個人的に好きな書き手の一人です。
ハンドルネームの「令」の名前も、橘玲氏の「玲」を使おうか最後まで悩んでいたぐらいです。[1]結局「令和」にあやかって「令」にしました
もっとも、多作な方なので、全著作を追うまでには至らないですし、言説の全てに賛同してるわけでももちろんありませんが。
さて、今回の書籍『スピリチュアルズ』。
タイトルや説明書きを見ても、何の本か分かりにくいですが、端的に言えば「性格診断」系の本です[2] … Continue reading。
橘氏は、もともとはファイナンスや経済の話に造詣が深い方の印象でしたが、最近はどうも人間や社会の分析に興味関心が移っていってらっしゃるようで、本書もその流れを汲んだものと言えます。
血液型性格判断なんかもそうですが、人はとかく性格診断が好きなものです。
江草も実は好きでして、自己性格診断系のやつはついついやってしまいます。
過去にたまたま縁があって実地のMBTI[3]性格検査の一つも受けた経験があるのですが、とても面白い体験でしたね。[4]もっとも、MBTIよりも本書で橘氏が取り上げている「ビッグファイブ」の方が信頼性は高いとして主流になってるようです
本書で橘氏は、最近注目されている「ビッグファイブ」というパーソナリティ分類法を基に、8つの要素で人のパーソナリティを分析することを試みています。
8つの要素を具体的に挙げると、
- 外向的/内向的
- 楽観的/悲観的
- 同調性
- 共感力
- 堅実性
- 経験への開放性
- 知能
- 外見
になります。
本書では知能と外見を除いた、心理学的な各要素に一章が割り当てられ、具体的な解説がなされています。
この解説がさすがの筆致で、とにかく面白いのです。
いつもそうですが、説明の組み立てが橘氏は非常にうまく、説得力がすさまじいです。
注意しないと完全に呑まれますね。
たとえば、人によって「外向的/内向的」が異なる原因を「最適な覚醒度のレベル」のどちら側にいるかで説明するところなんか目からウロコでした。
いわゆる「パリピ」的な人は、「最適な覚醒度のレベル」が高くて現状の覚醒度が足りないと思うからこそ、刺激を求めて外向的に動くし、
いわゆる図書館などで静かに過ごす人は、「最適な覚醒度のレベル」が低くて現状の覚醒度がオーバーしてると思うからこそ、刺激を避けて内向的に動く、
のだと。
こういう切り口で考えたことがなかったので、大変興味深いなあと感じました。
こういう話を聞くと、自分はどっちかというと内向的なのかなあ、などとつい考えちゃいますよね。
こんな調子で、記憶や経験の中の「あるある」を刺激されて、「自分もそうかもしれない」「あの人はやっぱりそういうことだったのかも」と自然と想像が膨らみます。
驚きながら、時に考え込みながら、そしてなによりワクワクしながら、読む楽しい知的エンタメ体験でした。
文体も、全体を通して、あくまで淡々と語る口調ながらもどこか人間味を感じる相変わらずの橘節です。
読みやすい文体、驚きを誘発する構成、張り巡らされたリファレンス。
「知識の価値は下がった」と言われて久しいですが、これだけ様々な分野の言説を有機的に接続できる書き手はそういないでしょう。
「グーグルでなんでも検索すれば分かる」と言っても、こうやって多様な話をつなげることは検索では不可能です。
たとえば、本書でも「堅実性」を語る文脈で未来の報酬の割引率の話に触れた箇所では、ファイナンス理論に詳しい橘氏の本領発揮と言わんばかりの濃密な解説が見られます。
これはただの心理学の本ではまずありえないと思います。
分野を越えて多様な知識をつなげること。
これぞ、現代的な知識人の所作ではないかと感じます。
このあたりの能力の高さが橘氏に一目置かざるを得ないところです。
もっとも、あくまで一作家でしかない橘玲氏が、「ビッグファイブ」はもちろん、心理学の専門家でないことには確かに注意は必要です。
ただ、それをご本人も重々承知というところでしょうか、リファレンスは丁寧に用意されてますし、その上で各心理学的研究の限界――たとえば「ステレオタイプ脅威」の再現性問題――に触れていたりと、バランス感覚に富んだ慎重な姿勢はさすがのベテランです。
しかし、ご本人も強調している通り、「ビッグファイブ」を橘氏の独自解釈で改変してしまってるところには、特に注意が必要に思います。
もちろん、「ビッグファイブ」をわざわざ独自解釈で改変する理由や根拠も丁寧に延べられてますし、それなりに説得力も伴ってます。
ただ、他の著作もそうですが、橘氏は、ちゃんと事前に注意はしたからなと、いつのまにか自説の部分まで事実かのような口調で語り始めるきらいがちょっとあるんですよね。
確かにそれにあえて身を任せて読むのが橘氏の著作の楽しみ方ではあるのですが、読後に本書の内容を利用しようとする際には、橘氏の仮説に過ぎない箇所も多い点には留意して読む必要はあろうかと思います。
また、本書の内容を結局どう現実に実践するのかも問題になるでしょう。
すなわち、「じゃあ自分やあの人のパーソナリティはこの本を読んだら分かるようになるのか」という問題です。
その判断の助けのために本書では付録でビッグファイブ診断用の簡易質問リストがついてましたが、これだけ長々と本書を読んだあとではバイアスだらけで妥当性は乏しくなるのではないでしょうか。
もっとも、「こんなテストをしなくても、自分のパーソナリティは分かるはずだ」と橘氏は楽観的に主張しています。
しかし、まさに本書内でも自分で自覚できてない「潜在的自尊心」の話が出てたように、自分のことは自分がよくわかってるとは限らないし、他人のことも多くを知ってるわけではないのではないでしょうか。
そもそも、人のキャラというものが、「分かってるはず」と思いきや、「やっぱり分からない」と困惑させられることが多いからこそ、こうした分析が関心を集め続けているわけで。
江草が話を聞いたMBTIの講師の方は「勝手に自己診断すること」「勝手に他人をこのタイプに違いないと判断すること」「事実上、重要な個人情報である自分や他人の診断結果を無闇に広めること」は避けるように厳しく強調されていました。
本書の中でも、著名人を引き合いに「彼はこのタイプの典型だろう」的に具体例として提示する箇所がしばしば見受けられましたが、少なくとも会ったことさえ無い人を「このタイプだ」と決めつけるのは、こうした分析を語る上でタブーのラインに達してしまってる可能性はあるでしょう。[5]もっとも、書籍として、話を盛り上げ、説得力を増すには、そうした例示を使わざるを得ない面があるのは気持ちは分かりますけれど。
とはいえ、人の性格は厳密にはつかめないものなのは確かで、細かいことを言えばキリがありません。
だいたいで把握するしかないのも現実です。
結局、こうやって「ビッグファイブ」なりなんなりで、いろんな切り口から人を眺め考えることそのものが相互理解のために良いということなのでしょう。
橘氏が好きな「進化論的考え方」にのっとれば、多分こうして自他の性格を分析することそのものが、社会の維持や、ひいては個人の生存に必要だと言えそうです。
以上です。ご清読ありがとうございました。
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