「育児の経験は仕事の役に立つ」
そういう話をよく聞きます。
実際、そうだと思いますし、江草自身も時々賛成意見を述べています。
ただ、よくよく考えてみたら、これって逆なんじゃないかなと思ったんです。
本当は、「仕事の方こそ育児の役に立ってくれ」という話であるべきなんじゃないでしょうか。
育児をされない方もいらっしゃると思うので、もっと広く「生活」とか「人生」でもよいです。
そうした育児や生活や人生をひっくるめた総体としての「ライフ」に、「仕事」の方こそ役に立ってくれてるのか。
実のところ、こっちの問いこそが大事なんじゃないかなと。
もちろん、「生活を維持するためにお金を稼がないといけない」という意味で、仕事は生活の役に立ってるという側面はあります。
ただ、それはあくまで個々の家庭内のミクロの視点です。
社会全体のマクロの視点で見た時に、本当に「仕事」は十分に人々の「ライフ」の役に立ってると言えるのでしょうか。
いえ、仕事をする人がいないと社会が回らないのは確かです。
それを否定する意味ではありません。
ただ、社会全体で「仕事」の比重ばかりが重くなりすぎて、「ライフ」を圧迫してるとしたら、それはちょっと社会的なワークライフバランスがおかしくなってると言えるのではないでしょうか。
たとえば、現実として少子化が進んでいます。
また、多くのご家庭が生活費を賄うために夫婦共働きをしなくてはならなくなってきていると言われてます[1]夫婦とも金銭面の事情に依らず積極的に働きたい希望があるご家庭では話がちょっと変わりますが。
さらに言えば、コロナ禍によって、私たちは、各々の生命の危険があるのが分かっていながら、仕事を一時的に中断することさえできないシステムの内に住んでいることが明らかになりました。
こうした状況は、本当に「仕事」が「ライフ」の役に立ってると言える状況なのでしょうか。
これは、むしろ「育児は仕事の役に立つのか」の問いで想定されているような、主従が逆転した話になってはいないでしょうか。
すなわち「ワーク」のために「ライフ」が存在しているとする形になってしまってはいないでしょうか。
「ワークライフバランス」という概念は、今の所、各個人や各家庭というミクロの視点で語られることが多いものです。
ただ、こうやって見てみると、私たちは社会全体というマクロな視点での「ワークライフバランス」をも考えないといけない場面に立っているように感じます。
仕事はあくまで人々の人生や生活を豊かにし、未来を担う子どもたちを育むものであって欲しい。
そう、江草は思うのです。
以上です。ご清読ありがとうございました。
脚注
↑1 | 夫婦とも金銭面の事情に依らず積極的に働きたい希望があるご家庭では話がちょっと変わりますが |
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