つい睡眠を削ってしまう私たち

赤ちゃんのイラスト生活

睡眠不足です。

やることもやらないうちに昨日勢いで長文を書いたのと、さらに寝床でつい読書をしていたのです。

大変に反省しています。

 

睡眠不足なので、キレの良いことは書けないと思うのですが(いつもそうだろというご批判はウトウトしていて聞き逃したことにします)、逆に、睡眠不足でキレが悪い時だからこそ睡眠の大切さについて書いてみようと思います。

 

……と、書き始めようとしたところで、なにか心に引っかかりを覚えたのです。

なんか、デジャブ感があるぞ、と。

嫌な予感がしてこっそりブログを検索してみると。

 

「生産性」やら「効率」やら「人々の幸福」などが、社会の各地でお題目のように言われながら、それらの実現に最も大事な要素の1つと言える「睡眠時間」を確保できるようにまるで設計されてない社会のあり方には疑問を感じます。

最高のライフハックが軽視されてる問題
おはようこんにちはこんばんは、江草です。今日は、「最高のライフハックが軽視されてる問題」についてです。あふれるライフハック情報世の中、あれやこれやとライフハック情報や自己啓発情報があふれてますね。江草は、そ...

 

はい、ありました。

なんということでしょう、書くことがなくなりました。

睡眠不足でぼんやりしてるはずなのにこの記事を思い出してしまった自分を恨んでます。

 

なのですが、睡眠の大切さは何度強調してもいいことだとは思うので、たとえ蛇足であろうと、続けて睡眠の大切さを書いていきます。

 

 

 

さて。

実のところ、睡眠が大事と思ってない人はほとんどいないと思うんですよね。

でも、なぜ江草を含め、私たちはつい睡眠を削ってしまうのでしょうか。

 

それは、睡眠を削ると短期的で直接的な達成感が得られやすいのが原因なのかなと推測しています。

「やりたい」と思っていたり「やらなきゃいけない」と思っている場面では、睡眠を削ってそれをやることの心理的重要性が高まります。

そして、実際にそれを睡眠を削ったロスタイムで行うことで「大事なものを差し出してまでがんばった感」が出てしまう。

睡眠が大事だからこそ、それを犠牲にすることに達成感や、英雄感が出やすいのでしょう。

 

睡眠を十分に取ると、たしかに大変に心地良いものです。

仕事も思考も行動もスムーズでひっかかりがありません。

でも、ひっかかりがないだけに、意外とありがたみがわきにくいんですよね。

健康も失われて初めてそのありがたみに気づくと言いますが、睡眠の大事さも、十分な睡眠を取って快調な時には気づかず、睡眠不足になってようやく実感するんだと思います(今日の江草がまさにその状況です)。

 

 

こうした「実感しやすいもの」「実感しにくいもの」の対立はやっかいな構造になりやすいです。

短期的にはたいがい「実感しやすいもの」をついつい優先しがちなので、「実感しにくいもの」がより重要であった場合には、それは非合理的選択になってしまいます。

 

たとえばダイエットなんかでもそうですよね。

お菓子を食べた時の「おいしい」という感覚は即時性で直接的なのですぐさま実感できますが、お菓子を食べなかった時の「体重減少」という成果は遅延性かつ間接的なので実感が薄いのです。

自制心が強い時は我慢できても、ちょっと疲れてたりするときについ手がお菓子に伸びてしまうのは、誰でも経験がありますよね。

 

だから、睡眠も同様にその良さが実感しにくいために、他の「実感を持った即時的で直接的な誘惑」に負けやすいものなのでしょう。

 

気持ちの上だけでの自制心では限界があるので、こうした問題に対処するには、環境の整備や、仕組みづくりが不可欠です。

 

 

そう考えると、やっぱり医療現場の働き方もまだまだ睡眠に関して問題が多いと思うのですよね。

睡眠不足の問題点は昔よりはかなり意識されるようになってきたとはいえ、でもまだ「睡眠を削って人命を救うこと」の英雄的美化は残り続けてる気がします。

 

もちろん、そうした時の医師の患者さんを思う熱意を疑ってるのではありません。

その想いはまず真実だと思いますし、讃えられこそすれ否定されるものではありません。

 

ただ、患者さんを思うのならばこそ、「急がば回れ」の可能性についてもやっぱり考えねばならないでしょう。

 

たとえば、ベストセラーの『FACTFULNESS』でも、目の前の患者を救うことに熱くなるあまり、見えにくい損失を見落としている医師へ警鐘を鳴らす箇所がありました。

 

友人も一歩たりとも譲らない。彼は病院に残り、何時間もかけて、赤ちゃんの小さな血管に点滴の針を刺した。そしてやっとのことで家に戻ってくると、またしてもわたしに議論をふっかけてきた。「お前はすべての患者に対して、全力を尽くすべきじゃないのか」
わたしも反論する。
「いいや違うな。限られている時間と労力をすべて、病院にやってくる人のために使うほうが、医者として失格だ。同じ時間を、病院の外の衛生環境を良くすることに使ったほうが、よっぽど多くの命を救える。病院で亡くなる子供だけじゃなく、地域全体で亡くなる子供に対して、わたしは責任があるんだ。目の前にある命と同じくらい、目に見えない命は重い」

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実のところ、この素朴な功利主義的な判断基準の妥当性そのものは議論が必要なところですが、確かに大事な指摘だとは思うのです。

 

睡眠を削って頑張ることで、かけがえのない目の前の患者さんを救うことができます。

でも、その睡眠不足がひっそりと日々のパフォーマンスを下げているとしたら、その睡眠を削った頑張りが、同時に見えないところで患者さんを害してる可能性もありえるのではないでしょうか。

もっと言えば、「睡眠を削って頑張るのが大事だ」という言外の文化を医療界に築くことによって、睡眠不足の医師を増やすことにつながり、結果、患者さんに対する「見えない被害」が拡大している可能性もあります。

さらにさらに言えば、「あそこまで睡眠を削って頑張るのは無理だ」と優秀な人材を逃すことにつながり、結果、患者さんに対する「見えない被害」が拡大している可能性だってあるでしょう。

 

もちろん推測ですし、どうしたって実感しにくい仮説ではあります。

こうした実感しにくい理屈に比べれば、「睡眠を削って頑張ること」は明確に記憶にも記録にも残りやすいです。

だから、私たちは睡眠を削って頑張りたくなる。

 

でも、そうした構造に潜む罠を、もう私たちは気づいているはずです。

 

 

もっとも、だからといって目の前の患者さんを見捨てるわけにはいきません。

それは当然です。

でも、目の前の患者さんを救うと同時に、見えない患者さんを救う努力も行わないといけないはずです。

その意味で、医師が睡眠不足を前提にせずに働けるような環境作りや仕組み作りを訴えていくことは、医師にとっての責務の一つなのではないでしょうか。

 

 

 

……という話を、全然別件にかまけて睡眠不足になってる江草が言うのは全くもって説得力を欠いてますね。

大変申し訳ありません。反省しております。この通りです。

 

でも、その分のせめてもの罪滅ぼしにと、睡眠の大事さを再度訴えてみました。

何卒ご容赦ください。

 

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

 

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