おはようこんにちはこんばんは、江草です。
今日は、疲れた時の自分の機嫌のとり方についてダラダラっと。
生きてるとトラブルとかでドッと疲れる日ってありますよねー。
「大人ってのは自分の機嫌のとり方を知っているものだ」ってどこかで聞いたことがありますけれど、そうすると、こういう疲れてる時こそ大人として「自分の機嫌のとり方」の腕が問われる場面と言えそうです。
皆さんそれぞれ色んな機嫌のとり方を持ってらっしゃると思います。
甘いもの食べるとか、お酒を飲むとか、人と話すとか、寝るとか、そういうのがメジャーですかね。
江草はお酒は飲まないですが、甘いもの食べたり、寝たりは良くしますね。ありがたいことに妻にもよく愚痴を聞いてもらってます。
加えて、江草オススメの機嫌のとり方は「畏敬と感謝の念を持つこと」です。
具体的に言えば、宇宙とか自然とか人間の存在よりも大きい存在に触れて「スゲー」って感じつつ、哲学っぽいこと考えて「自分がここにこうして存在してあれこれ気持ちを抱いたり考えたりするのって不思議すぎ!ありえなさすぎ!でも実際にここに自分が存在してる。すごい。ありがたい」と自分が存在している奇跡に感謝する感じです。
せっかくなので、この「畏敬と感謝の念を持つこと」について細かく解説していきますね。
たとえば、宇宙に関しては、「宇宙ヤバい系動画」見たり、宇宙関連の本を読んだりします。
今日なんかはコレをちょっとだけ読み始めましたが、「永劫回帰」とか「彗星」とか、壮大な話ばかりでとてもちょうどよいです。
自然に関しては、樹を見るのが好きですね。
やはり緑を見ると安心します。特に大きな樹は良いです。
長いことここに根をはってるんだなあと、しみじみ感じ入ると、その壮大な時の流れの中で自分の疲れ程度はそよっと溶けてしまう感じがします。
そう考えると、都会の中であくせく毎日フルタイムで働くのはストレスマネジメント的にはあまり良くないなあと思うんですよね。
少なくとも一週間の7日のうちの平日5日間の日中の時間を奪われてしまうので、明るい時に緑に触れることができるチャンスの5/7を失ってることになるわけで。
緑に触れるためには、日中の明るい時間がある方がやっぱりいいです。お日さま自体もやっぱりパワーもらえる感じしますし。
だから、住宅の日照権はよく問われますけれど、人個人の日照権の大事さももっと言われてもいいんじゃないかなあと常々思います。日中忙しくても夜にはまだ出歩けるとはいえ、街が明るくて星が見られるわけでもないですし、やっぱり物足りないです。
都会の夜でも、夜景はキレイですし大きな建物もありますけれど、だいたい疲れてる時ってのは人間関係だったり人間社会に疲れてる場合がほとんどだと思うので、そうした人工物の偉大さはむしろ「苦しくてもこの社会の中で生きていかないといけないんだ」と思い知らされてしまう感じがして、逆効果なんじゃないかなあと。もちろん人によるとは思いますが、やっぱり自然物がいいかなあと。
なので、自然に触れやすい「日中」という貴重なライフタイムのほとんどが奪われがちな現代社会の生活はちょっとやりすぎなんじゃないでしょうか。
おっと、ちょっと脱線しましたね。
さて、最後の、哲学っぽい思考についても軽く紹介しますと。
「しんどいなあ」って思ってる時に、「でも『しんどいなあ』って思えるってのはどういう仕組みなんだろう」とちょっとメタな視点に移って問いを立ててみると、自分を客観視するのが良いのか、なんとなく楽になる気はします。
こういうのって考えれば考えるほど自分という存在があること自体の不思議さに思い至るので、「なにこれすごい」と自然と畏敬と感謝の念が湧いてくるという便利な手法で、重宝しています。
もっとも、本気で疲れてて頭も一切回らない時は無理ですけれど、江草は考えることはまあまあ好きで、疲れててもわりと考えることができちゃうタイプなので、同じように考えるのが苦にならない方にはオススメです。
そんなこんなで、自然に触れたり、考えたりして、畏敬と感謝の念を持つことができると、なんか大きなモノに吸収されてしまう感じで、自分のちっぽけな悩みとか疲れが和らぎます。
もちろん、完全には消えないですが、試す価値はある手法かと思います。
なので。
アイスでも食べつつ、緑を眺めてから、宇宙に思いを馳せて、家族に愚痴って、温かいお風呂につかって、よく寝る。
そんな総力戦で自分の機嫌を取れば、まあまあそれなりに疲れは取れるんじゃないでしょうか。
というわけで、明日からまたがんばります。
以上です。ご清読ありがとうございました。
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