おはようこんにちはこんばんは、江草です。
今日は、不満が高まる専門医制度でもなんだかんだみんな専門医をやめられないんじゃないかな、という悲観的なお話です。
専門医機構の横暴に不満が高まっているものの
先日の専門医更新に医師不足地域勤務を要件に盛り込むことを日本専門医機構が検討しているという飛ばし記事で、怒りに駆られた医師クラスタは大荒れでした。
江草もその1人で、まあまあ怒ってる感じの記事を書いています。

煩雑で複雑怪奇な制度、意義があるのか分からない要件、無断で課金されるシステム管理料、などなど専門医機構の横暴さにはもともと多くの医師が不満をもっていたこともあり、「そっちがその気なら専門医なんてやめてやる」と堪忍袋の緒がブチ切れた音がするコメントが多々見受けられました。
江草も、もちろんその怒りを共有する者で「やめてやりたい!」という気持ちも共感するのですが、さて、少し日にちも経って冷静になってくると、「実際のとこ、ほんとにみんな専門医やめるだろうか?」と懐疑的な気持ちが湧いてきてしまいました。
多くの医師が専門医をなんだかんだ続けそうな2つの理由
多くの医師が専門医をなんだかんだ続けそうな理由は2つあります。
肩書による差別化の魅惑
まずひとつ目の理由は「肩書による差別化の魅惑」です。
クリニックや病院の医師紹介のページなんかを見てみると、資格や経歴を書いてる欄ありますね。
特にクリニックや部長クラスの先生なんかは顕著なんですが、まあこの欄の長いこと。
専門医資格や博士号はもちろんのこと、どこに留学したとか、どこの学会に所属してるだとか、理事してるだとか、山盛りなんですよね。
で、実際それはその先生が努力して培ってきた実績なのですから、それを掲げることはもちろん非難されるようなことではありません。
ただ、いずかしこに見られるこの光景は、医師にとってそれだけ肩書を並べ立てることにインセンティブがあるという証拠でもあるのではないかと感じるんですよね。
新専門医制度が整備された理由の一つとして、「市民にとって分かりやすい専門医制度にする」というのがありますね。
「確かにできるなら分かりやすい方がいいんじゃないか」と、皆さんもこの点については反対する人は少ないんではないかと思います。
でも、これは裏を返せば「目の前の医師が専門医かどうかを市民は気にしている」ということとも取れるわけです。
事実、専門医資格などの分かりやすい肩書でもないと、市民目線では目の前の医師が良い医師かどうか非常に判断が難しいんですよね。医師同士でさえ、ほんとうにイケてる医師なのかどうかというのは一緒にそれなりの時間働いてみてようやく分かるぐらいなのですから、病気になって急に医師にかかることになった患者さんに分かるはずはありません。
医師の真の実力というものが非常に分かりにくいがゆえに、医療界はそうした分かりやすい肩書に頼らざるを得ない構造になっているのが現実です。
ですので、専門医機構の横暴に不満があるからといって、じゃあ今や最有力の肩書の一つである「専門医資格」をパッと捨てられるかといえば、正直みんなかなり様子見になるのではないでしょうか。
いくらかの医師が先に専門医を捨ててくれれば、逆に専門医をなんとか維持している医師は肩書による差別化ができるわけで、専門医維持のインセンティブが跳ね上がります。
そうして専門医を捨てる医師が少なくなった結果、どこかで均衡して「先に専門医を捨てた医師だけがバカを見る」という恐怖の状況に陥る可能性も否定できません。
「先に専門医を捨ててバカを見る」のはみんな嫌でしょうから、結局、様子見で「誰も専門医をやめない」という状況になってしまいそうな気がしてならないのです。
サンクコストの呪い
もう一つ専門医をやめられない理由は「サンクコストの呪い」です。
まあ、ほんと専門医を取るのって大変じゃないですか。
何年もかかるし、診療や学術実績も要るし、試験も受けないといけないし。
なので、江草もそうですが、専門医を取得した時は誰しも嬉しかったし達成感があったと思うんですよね。
ただ、こうした「大変だったという思い出」は悲しいことに容易に「サンクコスト」として私たちを縛る呪いともなりえます。
「あれだけ大変だったのに資格を捨ててしまうなんてあの苦労が無駄になってしまう」と、ついつい思ってしまうのは人間のさがなのです。
しかも、専門医の更新が負担だからとそれを捨てようと思う時期は、まず中年以降ですから、個人にとって最も脂がのった時期は過ぎてることも少なくないはずです。
これからは老いていくしかない自分の身を鑑みると、これから他のことを本当に為せるのかは不安でしょう。
そう思った時に、自分に一番勢いのあった時期に培った貴重な無形財産とも言える「専門医資格」を本当に捨てられるかというと、かなり悩む人が大半だと思います。
そんな形で、どうしても「もったいない」という気持ちを呼び起こさざるを得ない「専門医資格」。
本当に思い切って捨てられる決断をできる人は少数派ではないかと江草には感じてならないのです。
結局、若手から犠牲になるのでは
実際のところ、日本専門医機構も譲歩はしてくると思うんですよね。
ベテラン陣だったり、旧制度での専門医取得者は今までも優遇処置がありましたので、今回問題になっている更新時の医師不足地域勤務要件も、今後取得する若手医師医師から対象にして、現時点で専門医を取得してる医師は対象外となる可能性は十分ありそうです。そうでないと、さすがに反発が強いでしょうからね。
で、こうしたある意味若手を犠牲にしたプランが出ると、専門医既得者としても自分には影響がないということで、この制度に対しての反発がトーンダウンすることが予想されます。こうなれば、ほとんどの医師は専門医やめようなんて気は全く起こらなくなるでしょう。
こうして専門医機構としては、若手医師からは不満が出にくいことをいいことにスケープゴートにして、医師を分断して統治するわけです。
これを繰り返していけば、徐々に縛りの強い専門医制度ができていって、医師たちは茹で上がっていくことに気づかないカエルのようになってしまうかもしれません。
チキンレースの打破には団結が必要
結局のところ「専門医をやめるというオプション」を用いて、専門医機構の横暴に対抗するのであれば、医師の団結が不可欠です。
団結なく、「やめたい人からお先にどうぞ」となると、「君が先にいけよ」「いやお前が先にいけよ」と、コントのようなチキンレースになるだけで、うまくはいかないでしょう。
先日も三重大の麻酔科医の大量退職のニュースがありましたが、あれぐらい団結して一斉にやめるしかありません。
一般の労働組合というのはそういう団結を担う役割があるんですよね。
ただ、御存知の通り、医師のコミュニティには労働組合のような団結を担う役割のいい感じの組織がありません。診療科だったり、学閥だったり、勤務医なのか開業医なのかだったりで、かなりバラバラです。
どうにも団結ができそうな機運もないので、そうなると、やはり専門医機構に対抗するのは難しそうに感じます。
結局、なんだかんだうまいことできていて、専門医機構に何を言われても従うしかないのが私たち医師の宿命なのかもしれません。
悲しいことですが。
以上です。ご清読ありがとうございました。
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