おはようこんにちはこんばんは、江草です。
今日は「質問こそが専門家に対抗できる素人の武器である」という話をしていきます。
専門家の方が知識と経験は当然豊富
世の中では、素人と専門家が話し合いをする必要がある場合がしばしばあります。
専門家の方が知識と経験が当然豊富です。専門用語もバンバン出てくるし、「こういうケースがあった」「そういうケースは聞いたことがない」などと実際の事例をもとに説明されます。
素人側の意見は、そうした専門用語の使い方もおぼつかないし、経験もないので想像や思いつきをもとにした意見になりがちです。
なので、一般的にいって、専門家の意見の方が素人の意見に比べると説得力に長けてるのは間違いありません。
素人が専門家の言いなりになるのもおかしい
しかし、だからといって素人が専門家の言いなりになるのもおかしいです。
素人と専門家が話し合いをする必要がある場面というのは、当然ながら素人側も参加する必要があるというより根本的な前提があるから参加しているわけです。素人側の意見や意向を無視するのであれば最初から専門家だけで決めればよいわけで、素人の参加は必要ありません。
そうした素人の意向も大事な場であるにもかかわらず、時に「素人は下手な意見をせず、専門家の言うことに従ってればよい」と言わんばかりの態度[1]マジで言っちゃう人もいますが見られる場合があります。それは、素人側に対してだけでなく、そうした話し合いの場そのものに対しても無礼な態度でしょう。
質問こそが素人の武器
とはいえ、先程も説明した通り、意見そのものを比較すれば専門家の掲げる意見の方が優れているのには違いなく、「素人の下手な意見」という揶揄もあながち間違いではないのも現実です。
そこで、重要になるのが「質問」です。
これこそが素人が専門家に対抗できる強力な武器なのです。
質問に答える側は大変
一般的に、質問においては問う側よりも答える側の方がはるかに大変です。
問う側は「分かっていなくても」問うことができるのに対し、答える側は「分かっていいない」と答えることができないので当然ですよね。
改めて問われると、しばしば専門家側も「分かっていたつもりだったが分かっていなかった」ところがあったりします。慌てて補強するために調べたり考えたりする必要が出てきて、大変なのです。
素朴な質問の破壊力
そうはいっても、素人も専門知識や経験がなくては、質問しようにもできないのではないかと思われるかもしれません。
もちろん専門知識に基づく質問も大事ですが、良い質問に必ずしも専門知識が必要というわけでもないのです。
例えば「なんで人を殺してはいけないの?」といった子どもでもする素朴な質問こそ答えるのが難しいですよね。しかも案外本質を突く重要な問いであったりします[2] … Continue reading。
専門家の中には専門用語で素人を煙に巻いて、早い幕引きを図ったり、都合のいい意見を通そうとする者も残念ながらいます。
しかし、そうした専門用語による誤魔化しに惑わされず、「そもそも何のために」とか「それで何か良いことはあるの?」といった、あえて子どもでも分かる素朴で重要な問いを見出すことが重要です。
専門家の主張の矛盾点は知識や経験がなくても指摘できる
また、専門家の主張の矛盾点も、素人だとしても十分見出すことが可能です。
この点については、福澤一吉氏がちょうどよい文章を記されているので引用させていただきます。
例えば私たちは知識がない領域の話題には口出しができないと考えがちです。確かに、知識自体は領域固有性があり門外漢は簡単に手が出せません。ところが、自分の知らない領域での発言が「議論のルールに沿って行われているかどうか。根拠となる知識から間違いなく結論が導かれているか」などのチェックは可能です。
(中略)
ある領域の専門家であっても議論上、論理的な誤りは犯します。議論の内容を構成する知識の正しさと、議論の構造自体の正しさは別のものなのです。議論の構造について知っていれば、知識のない分野の議論に参加して相手にツッコミを入れることもできるのです。
福澤一吉「新版 議論のレッスン」pp15-16.

このように議論の仕方のコツさえ学んでいれば、専門知識がなくとも専門家の主張のおかしいところには気付けるのです。すなわち、そこを問う質問をすることは素人にも可能なのです。
かのソクラテスも質問を多用
かの有名哲学者ソクラテスも、問うことを通して「無知の知」を体現したとして知られています。
「知恵のある人物」を自称する人たちを質問責めにしてその知恵の浅さを暴き出したのです。
ソクラテスレベルの知恵者から「私は無知な素人なので教えてほしいのですが」から立て続けに繰り出される本質的な質問に答えるのは難しいに決まってます[3] … Continue reading。
特に「知恵のある者」と自称してしまってる人は「無知な素人」の質問に対して「知らない」「分からない」と答えられないためにドツボにはまりやすいでしょう。論破されるのも無理はありません。[4]結果、ソクラテスは恨まれて死刑になってしまったので質問責めのしすぎには注意しましょう
質問の強力さを感じさせられますね。
的確な問いを立てる能力が大事
とはいえ、質問ならなんでもいいというわけではないので、的確な問いを立てる能力は大事になります。
この話し合いの目的は何なのか、議論の暗黙の前提は何か、相手の意見の主張と構造と論拠は何か、そのあたりに注意深くあることによって、おのずと本質的な質問が導かれると思います。
【まとめ】良い質問は良い話し合いを生む
さて、これまで「質問」について「対抗」「武器」などとあえてちょっと物騒なワードで紹介してきましたが、ほんとはそんな敵対的なものではありません。
素人からの素朴で本質的な質問というのは、専門家の方にとっても案外死角になっていて、単純に気づいてなかった場合も少なくないので、専門家にとってもそうした違う観点からの指摘というのはありがたいものです。
いいところを突いた質問であれば、きっとその質問を踏まえた改善された意見が専門家の方から再提示されるでしょう。
素晴らしく建設的な話し合いの流れです。
良い質問は良い話し合いを生むのです。
だから、みんなで質問力上げていきたいですね。
以上です。ご清読ありがとうございました。
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