> [!NOTE] 過去ブログ記事のアーカイブです あらきん先生が呼びかけてる医師の残業時間についてのパブコメを書きました。 > 一般の労働者の労働時間の上限は、原則年間360時間(例外720時間)なのに、医師の場合は1860時間が上限になろうとしています。1860時間の上限の対象には、初期・後期研修医も対象です。 > 匿名(個人情報の入力は任意)OKなので是非現場の意見をパブコメで届けて下さい。[https://t.co/5aZy8ultOM](https://t.co/5aZy8ultOM) > > — あらきん 👩🏻‍💻弁護士 (@arakin_1019) [November 21, 2021](https://twitter.com/arakin_1019/status/1462260820461506568?ref_src=twsrc%5Etfw) **労働基準法施行規則の一部を改正する省令案、医療法第百二十八条の規定により読み替えて適用する労働基準法第百四十一条第二項の厚生労働省令で定める時間等を定める省令案及び労働基準法施行規則第六十九条の三第二項第二号の規定に基づき厚生労働大臣が定める要件(案)に関する御意見の募集について** ## 江草の提出したパブコメ内容 【意見】B水準およびC水準の最大年1860時間の残業を認める例外規定は撤回し、すべての医師に関して一律に他業種の労働者と同等の原則年間360時間上限に揃えるべきである。 【理由】医療の原則のひとつに救助者保護および健康者保護がある。心肺蘇生法の手順ではまず救助者の周りの安全を確かめるステップから始まるし、医療者には放射線防護や感染防護の義務が施されている。たとえ患者を救うという崇高な目的であったとしても、献血や臓器移植ドナーに関して精密かつ慎重な手順が踏まれるのも健康者保護の原則のためである。ここには医療に素朴な功利主義を適用してはならないとする精神がある。 しかし、年1860時間の残業というのはまさしく健康な者の心身を犠牲にして、医療を維持しようとする功利主義的発想である。確かに、医療を維持するというのは崇高で重要な目的ではあるが、救助者保護や健康者保護の原則を犯すものであってはならない。 そもそも労働基準法が労働者の最低限の保護を目的としてる以上、それが定めた労働時間を超える残業はその時点で必ず一定の加害性を有するものである。だからこそ残業はたとえ短時間であったとしてもすでに臨時・例外的な規定なのである。ましてや年1860時間という他の労働者と桁違いの残業時間は甚大な加害性を持つ、相当に稀であるべき例外的状態であることは疑いようがない。 にもかかわらず、今回の省令案では年1860時間の上限規定を個別事例に依らずある種の制度として公的に規定しようとしている。いくら「やむを得ない場合」と記載されていても、地域医療の維持や医療技術の研鑽など、多くの医師が当然に含まれるであろう業務内容を対象としている時点で例外的状態と考えてないことは明白である。これは救助者保護や労働基準法の精神に完全に反しており、容認できない。 また、「無給医」問題やサービス残業の問題が長年指摘されていることからも分かるように、医療界において上司の労働命令に逆らえないヒエラルキー文化が存在していることはもはや周知の事実である。こうした文化が残る業界において「やむを得ない場合は可」と規制を緩めることは労働者保護を放棄したのと同義である。むしろ政府の行うべきことはこうした労働法の精神に反する文化にメスを入れるべく厳しい規制を為すことであろう。 救助者保護の原則からして「やむを得ない場合」には救助者を犠牲にするのではなく、「やむを得ず」救助そのものを諦めるべきである。今回の例で言えば、医師の残業時間を最低限に留めるべく、地域医療の維持や集中的な高度医療技術研鑽のシステムを「やむを得ず」諦めるということである。もちろん、これは非常に苦しく辛い決断であるが、そもそもこのような医療崩壊の事態にならないように策を打ててなかったことが問題であろう。したがって、政府や自治体によるその反省や振り返り、医療崩壊を余儀なくされた地域住民への謝罪などがあってはじめて救助者の犠牲をどこまで容認できるかの議論ができるものである。しかしながら、本提案においても「令和18年までに段階的にすすめる」などと「救助者の犠牲」を長期間放任する意図としか思えない記述が含まれており、これまでの経緯の反省や救助者保護の原則を軽視する態度に疑問を禁じえない。 また、年1860時間の残業時間というのは、救助者保護の原則という倫理的問題だけでなく、健康で最低限の文化的生活を謳う憲法25条にも反しているであろう。 WHOの健康の定義が有名であるが、健康とはただ肉体として生存していればいいというものではなく、十分に精神的にも充実している必要がある。これが果たして年1860時間の残業の上で可能であろうか。ましてや文化的な生活を送ろうと思えば、明らかに文化的活動に費やせる私的時間が欠乏する年1860時間の残業時間の前提では不可能であり、今回の提案は憲法違反にもなりうると考えられる。 さらに言えば、医師という特定の業種だけ「やむを得ないから」と桁違いの残業時間の特例を規定するのは、職業差別の面でも問題があろう。これは他の職種は「やむを得ない仕事とは言えない」と行政がみなしていることを暗に含意しており、その職業差別の正当性が問われると考えられる。この点からも、基本的には職業に依らない均等な労働基準設定が望ましいと思われる。 また長時間の残業の容認は医療の長期的持続性という意味でも問題がある。年1860時間もの過酷な労働を通して、早々に医師が心身を害してしまえば、結局その医師のその後の労働力を失うことになる。人生100年時代と言われ、高齢者も働くスタイルが進んでいる今にあって、医療を維持したいからと目先の労働力の確保にやっきになって医師個人の長期的な労働力を失うのは、かえって医療の維持を長期的には損なうものであろう。 ## 書いた感想 ほぼ2000字。まだ書き足りないけど、とりあえずこんなところ。 相手が複雑怪奇な制度なので、なにか細かいところでは江草側が勘違いしてるところもあるかもしれないですが、総論的には指摘すべき批判を提示できたつもりです。 #バックアップ/江草令ブログ/2021年/11月