本当にのんびりすること

自然のイラスト生き方

心底「のんびりしたなあ」と感じるのって、現代社会ではなかなか難しいですよね。

一応は休憩時間があったり、休日があったり、休暇があったりはするわけですが、やっぱり残した仕事や、翌日からの出勤が気になったりで、ソワソワしがちです。

 

本当に意味で心の底からのんびりするには何が必要なのかなあと、今日ちょっと考えていたんですが、それは「終わりを事前に決めないこと」じゃないかなと。

 

つまり、「よーし、のんびりするぞ」と決めたら、自分から「もうのんびりはいいや」と自発的に止めない限り終わらない「のんびり」です。

止めない限り永遠に出てくる串カツやわんこそばみたいなものです。

期限を決めないといつまでもダラダラとしそうなものですが、それでも意外と人って復帰すると思うんですよね。

いくらでも遊んでられるお金持ちも、なんだかんだ働いてることがその証左です。

そして、そういう自発的な復帰の時こそ、人の熱意やパフォーマンスは最高潮のような気がするので、世の中にとっても悪くない話のようにも思います。

 

 

そういう目で見てみると、すぐに仕事に戻らないといけない昼休みとか、「15分休憩」と決まってるコーヒーブレイクとかでは、終わりのタイミングが自由ではないために、「ちょっぴりのんびり」にとどまると言えます。

あるいは土日祝日などの休日もそうでしょう。時間単位の休みよりはマシですが、日にち単位で「休みは今日まで」と事前に決まってしまっていると、せいぜい「それなりのんびり」です。

まとまった有給休暇、いわゆる「夏休み」を取った時も、日本では十分な「のんびり」ではなさそうです。数日単位、週単位の休みでさえも、「この休みもあと数日か」と終了期限が脳裏から離れずらく、「そこそこのんびり」レベルになります。

 

 

もちろん、完璧に「終了タイミングが自由な休み」を取れる人は、よっぽどのお金持ちか、有閑階級しかありえないでしょう。[1] … Continue reading

でも、海外ではしばしば見られる月単位の夏休みやサバティカル休暇であれば、「終了期限が迫ってる感」はだいぶ薄まると思うんですよね。

「終わりを事前に決めない」までは難しくとも、月単位の休暇になり「終わりを見えにくくしてること」で「けっこうのんびり」が実現できるわけです。

 

なので、無期限休暇は無理でも、せめて日本でも時々は月単位の休暇が出て、「けっこうのんびり感」ぐらいは味わえるようになったらいいのになあと思うんですよね。

土日明けや連休明け、その他日常で「休みたい」「帰りたい」という半分冗談半分本気のようなつぶやきが多々見られます。

それを思うと、「本当の意味でののんびり感」を世の中にもっと供給できたら、けっこう面白いことになるんじゃないでしょうか。

 

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

 

脚注

脚注
1 アーティストが「無期限休業」したり、「充電期間」に入ったりすることはしばしば見受けますが、下世話な話、やっぱりお金があるからこそなのでしょうか

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