知的活動のノウハウを探っていると、いつも同じ悩みに突き当たるんですよね。
「紙とペンを使いこなしたい」と。
今、戸田山和久氏の「思考の教室」を読んでいます。
これにもやっぱり出てくるのが「紙とペンの威力」です。
書き込みの自由度の高さ、余白の価値、手軽さ、などなど、知的活動における「紙とペン」の有能さをコレでもかと教えてくれます。
確か、ベストセラーの前田裕二氏の「メモの魔力」も紙のメモ帳に書き込んでいましたね。
多分、今パッと出てこないだけで他にも色々あったような気がします[1]こういうのがすぐ出ないのが知識の整理が不十分な証拠ですね。
思考や学習などの、知的活動の質を高めようとすると、紙とペンを使いこなすのは不可欠のように思われます。
なのですが、江草はこの「紙とペン」がなかなか使いこなせないんですよね。
確かに、江草もお風呂場ではアナログな耐水メモ帳を使ってます。

でもこれはお風呂という特殊環境だから他に選択肢がないだけです。
お風呂から上がったらすぐにメモ書きはデジタルに打ち直してます。
だから結局、自室で知的活動してる時に紙とペン使ってないんですよね。
これまでも知的活動能力を高めようと、何度か「紙とペン」を使いこなそうと頑張ったことはあったのですが、いつも挫折しています。
恥ずかしながら、江草が「字が汚い」「絵が描けない」人間なのが根本の問題です。
書く時は熱中して色々書き込むのですが、後から時間を経て見直すと、ほんと全然読めないんですよね。
「キレイに書けばいいじゃん」と言われると、正論すぎて何も言えないのですが、それができたら苦労しないわけでして。
こういうわけで、学生時代もほとんどノートを取らなかったし、取っても見直さなかったですね。
こういう人間にとって、デジタル技術の発展は本当に僥倖でした。
書いたものが、後からちゃんと読めるんですから。
実際、電子カルテが普及してくれてなかったら、医師としての任を十分に果たせなかったと思います。ほんとありがたい話です。
なので、もっぱら現在はデジタルでのノートやメモ取りが江草の主力になってます。
せっかくなので、江草のデジタルでのノートやメモの方法をご紹介しますと。
まず、簡単なアイディアは”google keep”にメモします。
本来ノートに書くようなレベルのフリーライティングはアウトライナー的なツールの”Roam Research”でザクザク書き込みます。
その上で、公開しても良いぐらいのまとまった文章は、こうしてブログ記事におこしてます。
皆さん周知の通り、twitterは気軽につぶやける世の中じゃありませんから、メモやふと思いついた言葉はおいそれと残せません。
このようにおおむね快適にデジタル知的活動ライフを送ってはいるのです。
でも、それでもやはり折に触れてアナログの魅力にも憧れてしまうんですよね。
戸田山氏も言うように、デジタルは意外と自由度が低いです。
“Roam Research”を始め、最近でこそ自由度を高めたツールは出てきていますが、それでもほぼ無限の自由度を持った「紙とペン」には勝てません。
優れたデジタルツールでさえも、適当な線を引いたり、丸で囲ったりして、概念を結合させることはできませんし、急にシェーマを挿入することはできません。近いことができても、ワンステップ手間がかかることもしばしばです。
たとえば、電子カルテや読影レポートシステムでも、カルテの好きな位置にシェーマを好きなように入れることはできないですよね。紙だったら簡単にできることが案外できない。
どうしてもデジタルツールは優等生的に情報が整理して並びすぎるんですよね。それこそがデジタルの良い点の一つではあるものの、逆に言えば、その杓子定規さのために、自由度はどうしても制限される。
デジタルツールのジレンマです。
だから、本腰を入れて自由な発想で知的活動をしたいなと思う時に、結局、伝統的なアナログツールたる「紙とペン」の良さが際立つんですよね。
で、自由度を求めて「紙とペンを使いこなそう」と一念発起しては、「汚くて読めない……」で挫折する、堂々巡りになっております。
だからやっぱり、「キレイに書けばいいじゃん」と言われる話ではあるのですが、それができたら苦労しないわけでして。
いやでも、結局はそれしかないのかなあ。
以上です。ご清読ありがとうございました。
脚注
↑1 | こういうのがすぐ出ないのが知識の整理が不十分な証拠ですね |
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