コントロールしているはずが、コントロールされている

複数のモンスターのイラスト社会

自分たちの利益になるようにとコントロールしていたはずが、いつのまにか逆に自分たちが「それ」にコントロールされていることがあります。

 

有名なのは『サピエンス全史』で指摘された「穀物」でしょうか。

 

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農耕を始めた人類は、食糧を増やすためとか何らかの目的で穀物を導入したわけですから、確かに最初は穀物を「使う側」だったはずです。

しかし、気づいた時には穀物のお世話をし続けざるを得ない、いわば「使われる側」になってしまった、と。

いつのまにか人類社会が穀物に依存しすぎており、自分たちではもはや農耕という営みを止めることができなくなってしまっていたわけです。

 

コントロールを失ったオリンピック

さて、昨今のオリンピックを巡る騒動を見ていると、これも「コントロールしているはずが気づいたらコントロールされる側になっていた事例」なんじゃないかと感じてしまいます。

 

「ステークホルダー」がどうという話も出てましたが、関係者やそれに依存したイベント・プロジェクトが多すぎるために、もう誰もオリンピックを制御することができなくなってるのではないでしょうか。

 

たとえば、先日も組織委の橋本会長の「尾身氏からは中止という提言はなかった」という発言が非難をされてましたが、実のところ橋本会長でさえも、オリンピックをコントロールする実質的な権限はないんだと思うんですよね。

とくに、橋本会長は元森会長の退任劇で急遽任命された後釜でしかないのですし。

だから、建前と分かっていてもそう言わざるを得ない立場なのでしょう。

 

もっとも、そういう意味ではオリンピックは、丸川五輪相はもちろん、小池都知事にも、さらにいえば菅総理やバッハ会長でさえも、もはやどうすることもできないモンスターになってるのだと思います。

確かに権限としては彼らは大きなものを持ってるはずですが、無数にいる「ステークホルダー」の利害調整にがんじがらめで、実際には自由にその権限を行使することはできてないのではないでしょうか[1] … Continue reading

そうでなければ、酒類提供でこんなてんやわんやにもならないでしょう。

 

つまり、私たちはオリンピックというイベントをうまくコントロールしているつもりだったのが、もはやだれもコントロールできなくなっており、なんなら、オリンピックにコントロールされている状態の可能性さえあると思うのです。

 

 

オリンピック暴走の奥に潜む呪い

しかも、多分「オリンピック」というモンスターもあくまで黒幕ではないはずです。

「商業五輪」「金儲け五輪」などと揶揄されるように、その暴走の背景には「ビジネスを走らせ続けなければならない」「お金を稼ぎ続けなければいけない」という私たちの社会の呪いがあるのは間違いありません。

 

こう言うと、お金儲けをしたがってる悪い奴らがいるはずだ、という陰謀論に聞こえるかもしれませんが、江草の見立てはちょっと違います。

というより、むしろ陰謀論とは真反対かもしれません。

 

アサヒビールも事態を制御できてなかったのでは

たとえば、オリンピックスポンサーのアサヒビールの件。

撤回された「五輪会場でのお酒の提供」に関して、人々の非難を一身に受けたアサヒビールがほんとのところどれだけ関与していたかは分かりません。

でも、江草の個人的な推測としては、アサヒビールという会社でさえも、もはや事態をコントロールできてなかったのではないかとにらんでいます。

 

「五輪会場でのお酒提供」は愚かすぎる

正直な話、素人目に見たって、今回の状況で「五輪会場でお酒を提供を可にすること」はアサヒビールとしてもマーケティング的にかえって悪印象であることは容易に想像できたはずです。

 

なのに、それが通ってしまった。

 

これは「お金儲けをしたがってるからだ」と判断するには、行動があまりにも愚かすぎます。

お金儲けに本当にこだわっているならば、むしろそうはしないはずなのですから。

 

だから、これは「お金儲けをしたがってるから」ではなく「もはや制御不能になっている」と考えるのが妥当なのではないでしょうか[2] … Continue reading

 

「サイロ・エフェクト」に陥っている可能性

どうしてこんな事態が起こり得るのでしょう。

たとえば、これはあくまで推測ですが、ひとつのストーリーを示してみます。

 

大きな組織に勤めてる方は御存知の通り、組織が大きくなればなるほど、一枚岩でなくなり、組織内の不整合が出てきますよね。

 

アサヒビール内でも、オリンピック担当のチームと、大きな意味での会社のイメージ戦略を考えるチームが別であることは、ありえる話でしょう。

もちろん、両者が無関係ということはないでしょうが、あくまで別々のチームに、それぞれの役割と責務が割り当てられているわけです。

となると、会社全体のイメージ戦略的に不適切と思える「五輪会場でのお酒の提供」も、オリンピック担当のチームの顔を立てるため、仕方なくGOサインが出た可能性はありえるのではないでしょうか。

 

実際、会社のイメージ的に悪かろうと、オリンピックに関する責務を請け負ってるチームとしては、なんとしてでもオリンピックの中で成果を出さないと、失敗の責任を問われてしまいかねません。

そういう状況であれば、もしかすると背水の陣に追い詰められたオリンピックのチームが「お酒の提供案」を強行に通した可能性はありえます。

 

 

再度強調しておきますが、これはあくまで推測です。

でも、大きすぎる組織の中で縦割りの構造になっていれば、こうした事態は十分に起こり得るのではないでしょうか。

 

たとえば、『サイロ・エフェクト』という書籍でも、縦割り構造に起因するソニーの失敗の事例がでてきます。

 

Amazon.co.jp: サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠 (文春文庫) eBook : ジリアン・テット, 土方 奈美: 本
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実際、個々の部署の視点では合理的に動いていても、全体としては不合理な行動を取りうることは、私たちの経験的にもうなずけるのではないでしょうか。

 

すなわち、アサヒビールという一流企業であってさえも、コロナ禍のような想定の範囲外の事態には自身のビジネスを制御できなくなっている可能性はありえるのです。

 

資本主義をコントロールせよ

このように、オリンピックに関しては、政界も五輪組織委もスポンサーといった主要関係者でさえも、もはやそれぞれさほど事態を掌握できていないと思うのです。

 

内心では正直バカバカしい、おかしいと思っていても、もはや誰も止められなくなっている。

本音が言えなくなっている。

それが現状ではないでしょうか。

 

だから、江草が言っているのは、黒幕が全てをコントロールしているとする「陰謀論」ではなく、むしろ誰も事態をコントロールできなくなっているとする、いわば「反陰謀論」なのです。

 

 

この背景にあるのは「経済を回さなければならない」「お金を稼がねばならない」「成果を出さなければいけない」「失敗をしてはいけない」などの呪縛です。

これを一言で言えば、資本主義のドグマと言えます。

 

だから多分、私たちがコントロールを失いつつあり、そして逆に私たちがコントロールされる側に回りつつある相手、いわば「真の黒幕」は、この「資本主義」なのではないでしょうか。

 

  

これは別になにも、脱成長や共産主義が正解だよねと言おうとしているのではありません。

確かに限界も叫ばれるようになってきてますが、江草も個人的には資本主義は好きなままです。

 

でも、人類が資本主義をコントロールできなくなり、資本主義に人類がコントロールされるようになってしまうのは、さすがの資本主義支持者でも避けなければならない事態なのではないでしょうか。

 

確かにアダム・スミスの「神の見えざる手」以来、資本主義では「自由放任主義(レッセ・フェール)」が愛されてます。

でも、自由放任とは言っても、暴走しそうになった時には止められるぐらいには手綱は握れていないとまずいと思うのです。

それは子どもを自由に遊ばせていたとしても、目を離さないのと似ています。

 

大事に思うならばこそ、その暴走は止めないといけない。

そういうものではないでしょうか。

 

 

 

人間でもそうですが、危機的状況こそ、「本性」が出ます。

そういう意味で、今回のオリンピック関係の騒動については、私たちの資本主義社会の問題点をも反映しているように思います。

これを良い機会に、社会の改善や修復につながればと思います。 

 

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

 

脚注

脚注
1 なお、権限がないからといって、責任がなくなるわけではありません。実際に権限がないのに責を問われることは確かに理不尽なことではありましょう。でも、理不尽であっても――いえ、むしろそうした理不尽をこそ引き受けるのが政治家やリーダーの仕事だと江草は考えています。
2 もちろん、お金儲けをしたがっていた上で「ただ単に愚かだった」という可能性は残りますが、さすがに一流上場企業なのですからもっと根深い構造的原因があると考えてよいのではないでしょうか

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