江草は、噛み合ってない議論を見るのがゴキブリを見るよりも嫌いなタチなのです。
昨日、twitterで大脇幸志郎氏が岩永直子氏の記事に対して批判的なコメントをつぶやかれました。岩永氏の記事はHPVワクチン積極的勧奨再開の推進活動に関する記事です。
大脇氏の批判に対し、岩永氏ご本人を始め、いくつか反論コメントが集ったのですが、それらのコメントがいずれも的を外していて悲しくなりました。
賛否はどうあれ、大脇氏の批判は貴重な視点からのコメントだと思うので、ちゃんと論旨を受け止めて議論するべきだと思うんですよね。
このままではモヤモヤが残るので、勝手ながら江草がひと肌脱いで、議論を整理させていただきます。
一応、注意点を先に述べておきますと、江草はHPVワクチン反対派ではありません。
こういうところで明言するのはいやらしいのですが、「みんパピ!」というHPVワクチン情報発信のプロジェクトに対して少なからぬ寄付もしています[1]https://minpapi.jp/thanks/。
だから、江草はHPVワクチン反対の心づもりなど毛頭なく、ただ丁寧な議論をして欲しいがためにこの記事をしたためてるのだ、とご承知おきください。
岩永氏の記事
まず、発端の発端となったのは岩永氏のこちらの記事です。

HPVワクチン積極的勧奨再開の推進活動の様子を報告したもので、まず普通に読んだ限り特に問題もないですし、「HPVワクチンが進んでくれたらいいなあ」と言うのが多くの方の感想だと思います。
大脇氏が投げ入れる予想外のボール
しかし、そこを簡単に卸さないのが、大脇氏です。
この記事に対して、予想外のボールを投げ込みます。
HPVワクチン積極的勧奨再開を推進する活動を報告した記事に、まさかの「いまやるべきことは、黙っていることだと思う」と、すなわち「推進するべきではない」という批判コメントを投じたのです。
岩永氏らの反論はどうか
当然ながら、記事を執筆された岩永氏は面白くないでしょう。
実際にご本人からも直接反論コメントを出されています。
岩永氏に限らず、さらに他の方からも反論コメントが集いました。
パッと見た感じ、多くがこうした大脇氏のコメントに否定的なもので、大脇氏に賛同する者はごくわずかというところでした。
さて、みなさんはこのやり取りを見てどうお感じになるでしょうか。
反論コメントが的を外している
冒頭にもお伝えした通り、「議論が全然噛み合ってない」というのが江草の正直な感想です。
大脇氏の意見が正しいとか、正しくないとかそういう話ではないんです。
ただ、噛み合ってない。
これは反論コメントが的を外しているのが主な原因です[2]他の原因として大脇氏の発言も意図がわかりにくかった可能性があります。
どういうことか説明します。
大脇氏の主張は何か
まず、大脇氏の主張がどういう趣旨なのかを押さえないと、適切な反論はできません。
大脇氏は何を言おうとしていたか、今一度確認してみましょう。
再掲しますよ。
江草はHPVワクチン事情に明るくないですし、赤の他人の大脇氏の気持ちを代弁する資格もありません。
なので、これらのツイートから読み解ける範囲で整理します。
ツイートを見る限り、大脇氏の主張の骨子はこう言えるのではないでしょうか。
「棚上げ」と「黙っていること」の解釈がキモです。
「積極的勧奨」問題を棚上げにしたままの方が、再開を推し進めるよりも接種拡大に資するので、再開を推し進めるべきではない(黙っているべきだ)。
なぜなら、シルガード9が承認され、情報提供が拡大できたのは、積極的勧奨問題を棚上げにしておいたからだ。
もっと極端に構造をシンプル化するとこうです。
「積極的勧奨再開」を推進するよりも、推進しない(問題を棚上げする)方が成果が上がるので、推進するべきではない。なぜなら~【棚上げしてるからこそ成果が上がった具体例】。
だいぶ分かりやすくなりましたね。
岩永氏らの反論はどうか
対して、岩永氏らの反論は何を主張してるでしょうか。
再掲します。
これらは、基本的に「積極的勧奨でないことのデメリット」「積極的勧奨になった時に予想されるメリット」を主張しています。
全く意義がないわけではないのですが、これらは大脇氏の主張に対する反論として弱いのです。
なぜなら、大脇氏は「積極的勧奨」そのものの是非を主張しているのではなく、「積極的勧奨の推進」の是非を主張しているからです。これは似て非なるものです。
もう一度さきほどのシンプルまとめを見てみましょう。
「積極的勧奨再開」を推進するよりも、推進しない(問題を棚上げする)方が成果が上がるので、推進するべきではない。なぜなら~【棚上げしてるからこそ成果が上がった具体例】。
ほら、「推進」の是非でしょう。
つまり、大脇氏は「積極的勧奨でないべき」とか「積極的勧奨であるべきでない」とは言っていないのです。
大脇氏は別に「積極的勧奨でないことのデメリットの存在」や、「積極的勧奨であることのメリットの存在」を否定してはいません。
そこに対して、「積極的勧奨でないことのデメリット」「積極的勧奨になった時に予想されるメリット」を提示しても説得力が弱いです。「それは分かってますけど?」と言われるだけです。
大脇氏の主張のキモは「推進しないことのメリットの存在」と「推進することのデメリットの存在」なのですから、そこに対して反論しないと的外れなのです。
ここが噛み合ってないままで、議論は完全に物別れに終わってるので、江草としては非常に悲しく思います。
ちなみに、
このコメントは、上に挙げたいくつかのコメント以上に、反論に全くなってなくて困りものです。
「情報提供をしている者の一人が積極的勧奨再開を望んでいる」が大脇氏の主張への反例になるはずという意図でしょうか。
その場合、大脇氏が「情報提供をしている者は積極的勧奨再開を望んでないはずだ」と主張していないといけないのですが、どうもそのようには読めないように思うのです。
反論するならこんな風に
そもそもからして、大脇氏の主張も言うほど明確堅牢なものではありません。
なにせTwitter上での発言ですから、そんなに厳密な論拠まで用意されてないのが普通です。
適切に反論しようと思えば、いくらでも反論はできるものです。
以下にいくつか反論の構造例を出してみますね。
大脇氏の主張の要旨を再々掲します。
「積極的勧奨再開」を推進するよりも、推進しない(問題を棚上げする)方が成果が上がるので、推進するべきではない。なぜなら~【棚上げしてるからこそ成果が上がった具体例】。
この構造を一つ一つ確認していけば、普通にちゃんとした反論になります。
積極的勧奨推進のメリットが大きいことを主張する
まず大脇氏の主張の焦点である「推進のメリット、デメリット」に注目するのが王道の反論でしょう。
岩永氏らが反論に込められていた「積極的勧奨が再開された時のメリットの主張」はこの意味では、無意味ではないのです。そこは否定していません。
しかし、「もし積極的勧奨再開が実現したら」という条件付きのメリット提示なので、いかんせん「推進したからといって積極的勧奨再開がすぐに実現するのか」という再反論が避けられないために弱いのです。つまり、大脇氏の主張の反論にしては、少しステップのギャップがあるために、論理の飛躍が含まれてるのが弱点なのです。
だからせめて、「推進をすることによって積極的勧奨再開が早期に実現するはず」とする実現性の有望さを支持する根拠も同時に示せば、妥当な反論になりえるでしょう。
いっそのこと、HPVの枠組みから離れた「推進のメリット」も主張できます。
たとえばこのように。
「確かに積極的勧奨を推進することで、かえって政治的に紛糾し、接種拡大に支障が出る可能性はあるかもしれない。しかし、たとえそうだったとしても、今後の他の同様の事例を防ぐ先例たる重大な意義がある」
積極的勧奨推進のデメリットが小さいことを主張する
逆もしかりです。
「推進をすることによるデメリット」についても否定しましょう。
「推進をすることでかえって接種拡大の阻害になるのではという批判にはあたらない。政治的な紛糾など考えられるが、その影響は小さいと考えられる。なぜなら~」などと言えば、立派な反論構造です。
具体例が根拠となる妥当性を問う
また、大脇氏の主張には根拠として具体例が例示されています。
反論としてその妥当性を問うのも一つでしょう。
たとえば「推進を棚上げにしたからそれらの具体例(シルガード9など)が実現したと本当に言えるのか」などと反論できます。
損得度外視の反論も潔い
もっと言えば、「推進をしないほうが賢明である」というような、「結果が良いならプロセスはなんでもいいだろ」という「計算高い帰結主義」にノーを突きつけるのも可能です。
「どっちが損とか得とかではなく、正しいものは正しいと主張し推進するべきだ」と。
これはこれで、なかなか潔くて江草は好きですよ。
本当に大事な問題だと思ってるなら丁寧なコミュニケーションを
というわけで、大脇氏の主張に対しては、いくらでも反論の例を示すことはできます。
なのに、そうした的確な反論が見られなかったことに、江草は大変残念な思いです。
大脇氏の主張は確かに刺激的で、多くの方に不快な気持ちを呼び起こすものであろうとは思います。
ただ、あくまで理屈を付けてのコメントである以上、推進側は推進側でしっかりと受け止めて反論をするべきではないでしょうか。
JSミルも述べている通り、主流派が見落としがちな意外な視点から批判的吟味を勝手に行ってくれる論者は貴重で、むしろ感謝すべき存在です。
HPVワクチンが大事な問題だと思うならばこそ、表舞台に立つ方々はそうした批判者に対して丁寧なコミュニケーションが求められると思うのです。
なので、論敵に対して、こうした対応はもってのほかです。
議論において、相手を揶揄する人身攻撃は非常に恥ずかしいマナー違反です。
岩永氏は直接的に記事に批判されただけに、まだ激昂する気持ちは分からないでもありません。
しかし、”手を洗う救急医Taka”こと、木下喬弘氏は、「みんパピ」の副代表も務められてるにもかかわらず、このような無礼な発言をされてるのは、重大な責を担う情報発信者としての資質を疑います。
木下氏の日頃からの精力的な発信の努力や熱意は評価しますが、このような科学コミュニケーター精神にもとる態度は改められるべきではないでしょうか。
一応、江草も「みんパピ」の一寄付者ではありますので、ちょっと一言申し上げました。
以上です。ご清読ありがとうございました。
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