社会保障費の議論で医療従事者の存在が忘れられがちな件

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おはようこんにちはこんばんは、江草です。

今日は社会保障費の議論のピットフォールについて。

社会保障費は高齢者のためのもの?

この記事が今日話題になっていました。

日本国は高齢者のために存在しているという事実 - 銀行員のための教科書
コロナの影響が終わることなく2020年は暮れようとしています。 その中で、日本国の令和3年度(2021年度)の政府予算案が閣議決定されています。 日本の国としての予算案は、どのような状況になっているのでしょうか。 今回は、日本国の予算案の概要を確認し、日本国の進んでいる方向性について考察してみたいと思います。 日本国の...

記事は、日本国政府の予算の内訳と、その中でも社会保障費の割合が大きいことを丁寧に整理してくれていて、なかなかに参考になるものです。

ただ、「日本国は高齢者のために存在しているという事実」とタイトルにもなっている記事の結論がひっかかりました。

結論部分を引用します。

予算だけから見れば、日本国はその予算の35%を高齢者のみが利益を享受する支出(歳出)として拠出しています。そして、それ以外の歳出項目も当然ながら高齢者も利益を享受できるような支出であり、日本の歳出の約半分が65歳以上の高齢者が利益を享受していると想定出来ます。

(中略)

今の日本は予算だけみれば高齢者のために存在しているようなものです。これがシルバー民主主義と言われる理由でしょう。

日本が国として、今からでも少子高齢化への対策を立てていきたいのであれば、やはり高齢者へ偏った歳出を是正するべきです。

日本国は高齢者のために存在しているという事実
https://www.financepensionrealestate.work/entry/2020/12/27/192215

つまり、「日本国の予算の大半が高齢者のための社会保障費であり、このような高齢者に偏った歳出は削るべきだ」というのが記事の主張ですね。

実際わりとポピュラーな主張ですし、記事を書かれた旦直土さんも丁寧に熟考された上での善意の主張と見受けられるので心苦しいのですが、少なくともこの記事の論証では見落とされてる存在があるので、論証としては十分とは言い難いです。

見落とされてる存在――それは社会保障費を労働の対価として受け取る「医療従事者」や「介護職員」などのエッセンシャルワーカーの存在です。

社会保障の議論で、わりとよく見るピットフォールなので、ちょっと解説していきます。

高齢者に払ったお金が消えるわけではない

確かに予算の直接的な配分という意味では、高齢者のための予算がかなりの割合を占めているのは間違いありません。

しかし、だからといって「そのお金が高齢者のためだけのもの」かのように議論を進めてはいけません。

なぜなら、政府が高齢者のために支出したからといって、高齢者に費やしたお金がこの世から消えるわけではないからです[1]高齢者の方々が政府から札束をもらい、それを食料代わりにもりもり食べてるなら別でしょうが、そんなことはもちろんないですね

たとえば医療業界。医師や看護師といった医療従事者の収入がどこからでているかと言えば、まさにその社会保障費である診療報酬です。高齢者の方々に医療サービスを提供した結果、社会保障費のお金を手にしたのは医療従事者であって、高齢者ではないのです。つまり、高齢者の方々のところでお金は消えることはなく、ただ医療従事者へ向けての通り道に過ぎません。

エッセンシャルワーカーという現役世代からお金が回る

医療従事者や介護職員といった人々が生きるのに不可欠な職種はよく「エッセンシャルワーカー」と呼ばれます。ワーカーなので、当然ながら彼らは現役世代です。

社会保障費というのはまさにそうした「エッセンシャルワーカー」という現役世代が担う業界の予算、すなわち業界規模の相似と言えるものです。

ですから、事実上、社会保障費は「エッセンシャルワーカー」という現役世代の予算でもあります。それを指して「高齢者のためだけの予算だ」と考えるのは誤りなのです。

現役世代が給料を手にした時、それで終わりではありません。またそのお金を生活や楽しみのために使います。そうして社会保障費のお金は市場に還元されていくのです。

たとえば記事を書かれた旦直土さんは銀行員をされているようです。社会保障費の裏付けのある給料を当てにして医療従事者が住宅ローンを組むことは日常的にありますね。銀行としても医療従事者などの有資格者は社会的信用のある安定顧客なので歓迎されると聞きます。でもこれらも社会保障費があってこその銀行の利益です。

記事は「高い社会保障費により高齢者が利益を享受している」と強調されていますが、実は利益を享受しているのは医療従事者だったり、銀行員だったり、案外、皆も享受してるのです[2]なお、医療機器や薬剤にも医療費は回るわけですが、それはすなわちそれらを担う会社の現役世代の労働者にお金が回っていることを意味します

「社会保障費」と「社会保険料」は混ぜるな危険

とはいえ、社会保障費が増加していることが日本の課題であることは事実です。

それはなぜかと言えば、昨今では、増加を続ける「社会保障費」を賄うべく、「社会保険料」が激増し、サラリーマンなど現役世代の給与の手取りを圧迫しているからです。

おそらくですが、こうした背景から、「高い社会保険料負担で現役世代が苦しい思いをしているのに、社会保障費から高齢者が利益を享受しており、よろしくない」という主張が生まれるのだと思います。

しかし、ここで注意しないといけないのは「社会保障費」と「社会保険料」は強い関連はあるものの、あくまで別の概念ということです。

「社会保障費」は政府の予算の支出の話であって、「社会保険料」は(ここでは)サラリーマンの支払う負担分の話です。「社会保障費」は「社会保険料」を主な財源にしているので関連はもちろんしているのですが、別のものであることは明白です。これらを同一視してはいけません。

現役世代の本当の皆の関心事は「社会保険料を下げて手取りを増やして欲しい」であって「社会保障費を下げて欲しい」ではないはずです。

そして、「社会保険料が高いのは社会保障費が高いから」といって必ずしも「社会保険料を下げるには社会保障費を下げるしかない」とは限らないことに注意が必要です。

「社会保険料を下げながら、社会保障費も維持できる」なら現役世代も高齢者もハッピーですから、それにこしたことはないはずですよね。

だから、まず私たちが考えないといけないのは、それが本当に不可能なのかということです。

そこで出てくる発想の1つが国債を財源にあてるMMTです。記事ではMMTに一瞬触れていたのに、実質完全にスルーされてたので非常にもったいないです。

もちろんMMT自体にかなりの賛否があるのは違いないのですが、まずこの議論から詰めないままに現役世代にも回るお金である社会保障費を単純に削ろうとする結論を導くのは早計です。

やるなら国債を財源に用いることを厳密に否定してからでないと「社会保険料を下げながら社会保障費も維持できる可能性」を無視したままの不十分な議論にしかなりません[3]社会保障費とMMT関連の話は非常に興味深いのですが、長くなるので、これはまた別の機会にじわじわと考えていくとしましょう

【まとめ】

と、「社会保障費は高齢者のためのものだ」という記事に対する批判的吟味を通して、社会保障費の議論におけるピットフォールについて解説しました。

社会保障費の議論の際、直接の対象者である高齢者に注目しがちですが、実際にはそれらの業界の担い手である「エッセンシャルワーカー」という現役世代にもお金が回る仕組みであることを忘れてはいけません。

社会保障費は名実ともに生命や生活のセーフティネットを担う極めて繊細な代物ですから、できる限り十分な議論をしたいですね。

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

 

※なお、社会保障費をケチらない方が、健康はもちろん、かえって景気にも良いという主張の書籍を参考文献として挙げておきます。

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脚注

脚注
1 高齢者の方々が政府から札束をもらい、それを食料代わりにもりもり食べてるなら別でしょうが、そんなことはもちろんないですね
2 なお、医療機器や薬剤にも医療費は回るわけですが、それはすなわちそれらを担う会社の現役世代の労働者にお金が回っていることを意味します
3 社会保障費とMMT関連の話は非常に興味深いのですが、長くなるので、これはまた別の機会にじわじわと考えていくとしましょう

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