GWを活用して、個人的に色々溜まったタスク整理をしていました。
昨今の生産性向上のトレンド通り、ご多分にもれず、どうやって効率的にタスクを回すかに腐心していたわけです。
しかし、ある程度タスクの全体像の整理がついたところで、ふと思ったんですよね。
タスクに入ってこない、To-Doリストに映らない「何か」が取りこぼされてるんじゃないかなと。
その「何か」とは。
「名もなき生活」というか、「名もなき人生の一部」というか、それともさらに抽象的に「名もなき時間」と呼ぶべきか、悩みます。
ほら、「ゴミ袋を交換する作業」のような、見えにくくて軽視されやすい家事を指して「名もなき家事」って呼んだりするでしょう。あの感じです。
はっきりした概念があるわけでもないので、とにかく呼びにくいのですけども。
その「名もなき時間」とは具体的にどんな状況かというと。
一言で言えば「何もしてない状態」です。
テレビを見ているわけでもなく、スマホをいじってるわけでもなく、本を読んでるわけでもない「何もしてない状態」。
といいつつ、「何もしてない状態」というのも実は正確ではないです。
厳密には「何もしてないんだけれども、本当の意味では何もしていないわけでもない状態」なんです。
何か考えているようで、考えてないようでもあり、でもやっぱり考えているような時間。
ボーッとしているとも言えるし、ぼんやり思索にふけってるとも言えるし、ダラダラしてるとも言える時間。
禅問答のようですが、でもまさしく「そんな時間」なんです。
こういう時間って、他人から見るとただただ「何もしてなさそう」「ヒマしてそう」に見えるので、侵襲を受けやすいです。話しかけられたり、仕事を振られたり。
話しかけられたその瞬間に、その「名もなき時間」は否応なく中断されてしまいます。
話しかけられた内容を理解しようと脳が反応し、どう応答するか考えた瞬間に、それは「目的を持った有意な時間」になってしまうので。
声掛けに負けずに、引き続きその中断された「名もなき時間」に戻ろうと思っても、「何をやってたか」を自分自身でも説明できないので、声掛けを断る理由が出てきにくいです。
「何もしないことをしていた」と言っても相手は意味がわからないでしょうし、適当に断ろうとしていると疑われるのがオチでしょう。
そもそも本人でさえも確固とした自覚のある時間ではないので、「まあこれといって何かしていたわけでもないし」と、特に執着なく「名もなき時間」を手放してしまいます。
触れた瞬間に弾けるシャボン玉のような、そんな「儚い時間」なのです、これは。
ひたすらに抽象的で取り留めのない話ですが、でも「実はこういう時間は人には必要なのではないか」という直観があるのです。
とにかくせっかちになって「生産性!生産性!」と叫んでいる現代社会では、これはまさしく「絶滅危惧時間」でしょう。
ぜいたくといえばそうかもしれないし、ムダと言われればそうかもしれないです。
でも、びっしりと積み上がったタスクリストを見ていると、「見えにくいけどとても大事な時間」を私たちは失いつつあるような、そんなうっすらとした悪寒が止まらないのです。
以上です。ご清読ありがとうございました。
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