「ミイラ取りがミイラになってること」を上手く批判するのは難しい

先生のイラストクリティカルシンキング

おはようこんにちはこんばんは、江草です。

今日は「ミイラ取りがミイラになってること」を指摘すると、「ミイラ扱い」されて上手く噛み合わないことがあるという話を。

 

ミイラ取りがミイラになってる時

ミイラ取りがミイラになってる時ってあるじゃないですか。

陰謀論を嘲笑している人が、自分が嫌いな団体や人物に対してはひたすら巨悪の黒幕扱いしていたり。

マスコミによる反ワクチンの扇動に憤ってる人が、ワクチン推進方向の扇動はしていたり。

「嫌いなアイツ」の性質を取りあげて批判を加えているうちに、批判者自身が「批判しているその性質」を持ってしまってるという時がしばしば見受けられます。

まさしくミイラ取りがミイラになってますよね。

スイカ派とキュウリ派の対立

で、現実の具体例だと生々しすぎるので、ここからは架空の例で説明します。

なぜかしりませんが、スイカ派とキュウリ派が対立している世界を考えてみてください。

スイカ派がキュウリ派に対して「キュウリは野菜だから問題だ」と「野菜である」という性質をもって批判したとします。

でも、これはまずい批判の方法です。

だって、「スイカも野菜」なんですから。

キュウリを批判するなら、「長細い」とか「シマシマがない」とか「ブツブツしてる」とかそういうスイカは当てはまらない性質に対して批判しないと、自分自身も批判することになってしまいます。

ただ、「スイカは野菜」であるということは、確かに忘れられがちで、気づきにくいところでもあります。

特に「キュウリ憎し」で気持ちが憤ってる時は、そのあたりの注意力も乏しくなりやすく、知らず知らずのうちに地雷を踏んでしまうのです。

 

スイカ派に「スイカも野菜じゃないの」と言うとキュウリ派扱いされちゃう罠

ある時、スイカ派の1人であるあなたが、他のスイカ派の一団が「キュウリが野菜であること」に対して批判の声を上げていることに気づいて、「スイカも野菜だからその批判の理屈はまずいなあ」と思ったとします。

確かにあなたもキュウリは嫌いですが、そのスイカ派の一団のロジックが妥当でない点はちょっと指摘したくもなるでしょう。

なのでそのスイカ派の一団に「スイカも野菜だからその批判はおかしいんじゃないかな」と言ってみました。

この時「なるほどそうだ」と思ってくれるスイカ派の人も居るのですが、ネット議論で良く見かける流れは「なんだと!お前キュウリの擁護をするのか?さては、お前もキュウリ派だな?」という展開です。

もともとあなたはスイカ派で、「スイカが悪い」とか、「キュウリが良い」とか言っておらず、「そのキュウリ批判のやり方はまずい」と言っただけなのに、まさかのキュウリ派扱いされてしまうのです。

「スイカが野菜であること」が誰でも知ってる明らかな事項であればいいのですが、往々にして、実際の議論においては、少し調べたり考えたりしないと「スイカが野菜である」という事実にたどり着けない場合が少なくありません

そうした場合には「スイカが野菜である」ということが信じてもらえず、反対派とひとくくりにされてしまうのです。

 

「メタ視点からの批判」と「対立意見」が混同されがち

「スイカも野菜なんじゃないの」という批判は、批判の論証の妥当性そのものを問う、いわば「メタ視点からの批判」です。

本来的には、論証の妥当性そのものの評価には、「スイカ派」なのか「キュウリ派」なのかという党派性は関係ないはずです。

しかし、自分たちに批判を加えてくる存在を全て「対立派」と単純にくくってしまい、「メタ視点からの批判」と「対立意見」の区別がつかない状態に陥る人が少なくないのです。

ひどい時には、「メタ視点から批判を加える人」は双方の派閥から「対立派扱い」されて嫌われてしまうこともあります。

こうして「メタ視点からの批判」を双方ともに受け付けない状態が進行すると、「売り言葉に買い言葉」的なただの口喧嘩にしかならず、全く議論が成り立たなくなってしまいます。

これは世の中をスイカ派とキュウリ派に二分する、社会の分断を深めるもので、江草としては、あまり好ましいことのようには思えません。

なので、どうにかして上手く「メタ視点からの批判」をする必要があるのですが、これがけっこう難しいんですよね。

メタ視点の批判は丁寧に書くと長くなりやすく、分かりにくいので、無視されがちです。

かといって、シンプルに書けば書くほど「対立意見」と見分けがつきにくくなってしまうんです。

ほんと、ジレンマですね。

どうしたものでしょ。

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

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