おはようこんにちはこんばんは、江草です。
今日は、「医師に相談したい」というニーズにまつわる考察です。
昨日、興味深いツイートを拝見しまして。
「医師に相談したい」という世間的なーズは高そうなのに、遠隔医療相談があまり成功してるようには見えないのはなぜかという議論です。
確かに、「医師に相談したい」というニーズは高いけれど、何かしらのハードルが邪魔をしていそうな印象はありますよね。
そのハードルというのが「相談にお金を払うことに対する抵抗感」ではないかという指摘です。
江草も基本的に同感です。
が、せっかくなのでこの問題を江草的にさらに深堀りしていこうと思います。
結論から言ってしまえば、遠隔医療相談が「医師に相談したい」というニーズをうまくビジネスチャンスとして活かせてない一方で、既にそのニーズを商売に利用しちゃってる界隈があるのではないかと思うんですよ。
そして、そのテクニックがまた人間味が溢れていて大変興味深いところと思うんですよね。
以下、あくまで江草の個人的印象による仮説レベルの考察ですので、「ふーん」ぐらいのテンションでお聞きください。
まず、「医師に相談したい」「医師に話を聞いてもらいたい」というニーズがけっこうありそうというのは同意される方は多いのではないでしょうか。
やっぱり、外来でも診察室に入るや否やマシンガントークを構える方はしばしばいらっしゃいますよね。
で、その一方で「話を聞いてもらうことにお金を払うことへの抵抗感」も確かにありそうでしょう。
色々と要因はあると思いますが、「聞く」という行為が、
- 見た目上は簡単なことのように見える
- 奉仕の精神でやるべきことのように一般的に思われてる
といった性質を持つのが、主因ではないでしょうか。
なお、ちょっと見かけた「医師への相談に患者が対価を払いたくないのは診療報酬のせいで相場が安く抑えられてるからだ」という主張は個人的には疑問があります。
この「聞いてもらうことにお金を払うことへの抵抗感」は何も医師に限った話ではないように思うからです。
たとえば、医師と同様に明らかに高度専門職である弁護士さん。
弁護士さんの相談料の相場、30分5000円ぐらいでしたっけ。
高度の知識を持っている人だからこその値段と分かっていながらも「相談だけなのにやっぱり高いなあ」と感じる人は多いのではないでしょうか。
弁護士さんについては、当然のことながら診療報酬制度は関係ありませんね。
だから、診療報酬が安いから、という方向に結びつけるのは違うかなと思うんですよね。
つまるところ、「聞いてもらうこと」にお金を払いたくないのが人間なのでしょう。
おそらくですけれど、人が「聞いてもらった」と実感するためには、そこにお金の香りがあってはいけないのです。
「聞く行為」にお金の香りがすると、急激にその価値が色あせて、効果が半減してしまうのではないでしょうか。
お金が絡んだとたんに、その「親身になって話を聞く」という「人間的な行為」の「人間性」が脱色されて、急に「モノ」感が出てしまう。
これがいけないんだと思うのです。
「聞いてもらうことにお金を払いたくない」その一方で、人は「聞いてもらいたい生き物」でもあると。
このジレンマがなかなか厄介なのです。
ですが、ニーズあるところに商売ありです。
LINEヘルスケアなどの遠隔医療相談があまりうまく行ってないとすれば、それは正攻法で真っ向勝負したために、人の「聞いてもらうことにお金を払いたくない」という性質と衝突しているからです。
LINEヘルスケアなどの大手遠隔医療相談と違い、それを回避したビジネスがあると江草は睨んでます。
そう、それが「エセ医学系クリニック」ですね。
ジレンマの解決策として使われているのが、「他の媒介物」を用いるテクニックです。
「聞く」という行為から直接お金をもらうのが難しいのであれば、代わりに他の物に対してお金を払ってもらえばいいのです。
こうすることで、「聞く」という行為からお金の香りを引き剥がすことができます。
つまり、他の媒介物を高値で提供することによって、「聞いてもらうこと」にお金を出してる感覚を薄めるわけですね。
たとえば、そのいい例が、キャバクラやホストクラブのドンペリです[1]江草は実は行ったことがないのでメディア等で見聞きしたイメージから書いてますが。
極めて高価であるドンペリを頼む人は、本当にそのドンペリそのものにその値段の価値があると思って支払っているでしょうか。
まあ、違いますよね。
ドンペリを入れると、どうもホストやホステスさんからさぞ喜ばれるらしいです。
払いが良い上客と見なされて、歓心を買えるのでしょう。
そうすれば、もっと親身にホストやホステスさんに自分の話を聞いてもらえるようになります。
これはつまり、実質的には「ドンペリ」を買っているのではなく、「親身になって優しく真剣に聞いてもらえること」を買っていると言えるのではないでしょうか。
「聞くこと」の対価にドンペリを媒介するのは客の払いがよくなって店側にとってうれしいのはもちろんですが、客側にもメリットがあります。
客自身も、お金がからむとその「聞いてもらうこと」の効果が低下することを知っているので、「聞いてもらうことに直接お金を出していると感じること」を避けようとします。
だから、建前上でも「自分は聞いてもらうことにお金を出しているのではなく、ドンペリにお金を出しているのだ」という言い訳する余地を作るのは、客自身にとってもうれしいことなのです。
で、エセ医学系クリニックも同様の手法ではないでしょうか。
一見すると、彼らもいわゆる「エセ医療」を商品として提供しているように見えます。
しかし、実態は高値で「聞いてもらいたい気持ち」を解消するサービスなのではないでしょうか。
すなわち、彼らは「医師に親身になって聞いてもらえること」を売っているのです。
エセ医学系のクリニックは、高級な門構えの中、洗練された接遇とともに親切丁寧なカウンセリングが行われると聞きます[2]内容は間違ってますが。
どうしても大学病院などのいわゆる「正統な医療機関」では犠牲になりやすいこれらの魅力に患者さんたちは惹きつけられているのではないでしょうか。
そして、患者さんが、彼ら「エセ医療者」の親切な態度がお金目当てではなく、心の底から親切にしてもらっていると信じ抜くためには、媒介物である「エセ医療」そのものに高いお金を払う価値があると信じなくてはなりません。
しかも、のめり込めばのめり込むほど、サンクコストが高まって、抜けにくくなります。
こうしたことが、「エセ医療」を信奉する患者さんを説得できない難しさが生じる一因なのではないでしょうか。
とまあ、そんな感じで「エセ医学屋」は「ドンペリ」を売っている、そう江草は疑っておるのです。
かといって、「正統医療側」が「ドンペリ」的な媒介物を用意するわけにはいきません。
正統だからこそ、間違いなく相応の価値がある物しか提供できないからです。
そうして、忙しい現場の中で患者さんの「医師に聞いてもらいたいニーズ」に応えきれず、忸怩たる思いを多くの医療関係者が抱えることになっているのでしょう。
悲しいことに、「エセ医療」との闘争はこうした理不尽な非対称性の戦いなんですよね。
以上です。ご清読ありがとうございました。
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