メディアと科学と中立性

医師のイラストクリティカルシンキング

マスメディアのワクチン報道のあり方を批判する、原田隆之氏のこの記事が話題になっていました。

 

マスメディアはなぜワクチンへの不安を煽るのか 安直な「中立性」の陥穽(原田隆之) - Yahoo!ニュース
最近の報道を見ていると、いたずらにワクチンへの不安を煽るようなものが少なくない。ワクチンを打たない権利、ワクチン・ハラスメントなどの言葉もよく聞かれるようになったが、そうした報道に問題はないだろうか。

 

Twitterなどで多くの医療者が怒りの声を上げていた多くの要素をうまくまとめられています。

熱意を持って丁寧にかかれた記事で、確かに現行のメディア報道の問題点を的確に指摘した内容であると思います。

実際、ネット上での反応を見ていても多くの方が、本記事に好意的、支持的な反応を示しています。

 

ただ、申し訳ないことに、個人的には正直疑問点が少なくない記事なんですよね。

この記事があんまり全面的に高評価であるのはちょっと危ういかなと思うので、いつもの通り「悪魔の代弁者」として面倒くさいところにツッコミを入れていこうと思います。

 

 

メディアの中立性を批判する原田氏自身は中立的か?

記事では「中立」と称してワクチンに肯定的な意見とワクチンに否定的な意見を両論併記されているメディアの姿勢を「科学的根拠に基づかないのでは中立的とは言えない」として批判されています。

 

このメディアがしがちな「両論併記」の弊害がありえることは江草も同感ですし、確かにそのデメリットについてメディアの方々はしっかりと考えるべきでしょう。

実際、形式的に両論併記さえすれば「中立的」と言えるのかは疑問です。

こうした指摘が多く出ている以上、メディアの方々は自身の中立性についてどう考えているか、的確な回答を出されるよう望まれます。

 

ちなみに、個人的には、この形式的中立性や両論併記に陥るメディアのクセは、実のところ原因として能力不足・人材不足があるのではと睨んでいて、そのことを記した記事を先日投稿しています。

 

メディアが媒体でなくなった時、世界は真空で隔てられる
ワクチン関連の報道の仕方で医療者から非難されがちなメディア業界の実際に関しての私見

 

なので、メディアに問題があるのはそうだとしましょう。

 

ただ、今回問題として取り上げたいのは、「ではこのメディアの中立性を批判する原田氏の記事は中立的なのか」という点です。

「中立性」がテーマであるこの記事の中で、筆者の原田氏は「自分自身は中立的に主張している」と暗に示唆する記述をいくつか散りばめています。

 

不安を抱えている人々に、真に中立的、すなわち科学的な情報を伝えるとともに、デマを否定し、彼らが安心して決断ができるように、エビデンスに導かれた決断(Evidece-Informed decision)を支援することだ。

マスメディアはなぜワクチンへの不安を煽るのか 安直な「中立性」の陥穽

また、河野大臣の発信は、若手の医師たちによる「こびナビ」の監修によるものだと記されている。つまり、科学的エビデンスに基づく情報だということである。このような態度こそが、真に価値中立的な態度というものだろう。そして、そこには専門家と科学に対する信頼と尊敬の念が込められている。

マスメディアはなぜワクチンへの不安を煽るのか 安直な「中立性」の陥穽

 

これらの記述から見るに、「科学的根拠(エビデンス)に基づいた決断や発信は価値中立的だ」というのが原田氏の主張と言えるでしょう。

そして、科学的根拠に基づいて判断しているからこそ、自身の主張も価値中立的だから差別ではない、と考えてると思われる記述も散見します。

 

「ワクチンを接種すべき」というのは、イデオロギーではない。

マスメディアはなぜワクチンへの不安を煽るのか 安直な「中立性」の陥穽

それを「打たない自由」として放置しておくことは、先の「Abema的ニュースショー」と同じように、やはり無責任な態度だと言わざるを得ない。それは一見「正義」に見えて、正義ではない。

マスメディアはなぜワクチンへの不安を煽るのか 安直な「中立性」の陥穽

個人の判断は尊重されるべきだが、医療現場で働く者が、患者や自身を感染症から守る防御策たるワクチンを拒否するのであれば、感染や重症化に脆弱な患者と接するべきではないのは当然のことである。それは差別ではない。

マスメディアはなぜワクチンへの不安を煽るのか 安直な「中立性」の陥穽

 

ただ、原田氏が真に良心から記事を書かれてることは伝わるだけに言いにくいことですが、残念ながら、「科学的根拠に基づけばすなわち中立的」というのは素朴にすぎますし、各記述を見る限り「原田氏は中立的とは言えない」と思います。

 

確かに、科学が価値中立的であろうとするのは一つの理想です。

しかし、(釈迦に説法ですが)人や社会に関わる医療、特に公衆衛生学の実践において、真に価値中立的であることは非常に難しく、ほとんど不可能と言えるものです。

だから、ワクチン接種の議論において、(極端なイデオロギー闘争とまでは言わないまでも)価値観をめぐる議論が避けられないのが現実です。

その点に目を背けてはいけないでしょう。

 

以下、もう少し詳しく説明していきます。

  

無自覚な「中立性」自認の暴力性

まず、原田氏が「差別ではない」と断言する記述について。

 

ちょうど同時期に別件で挙がってたこの記事がちょうど参考になるでしょう。

 

「私は“中立”。差別なんてしないのにな」と思うことだって、正直あるだろう。

けれど実際には、“中立”で何もしなければ差別にはあたらないという意識そのものが、差別的な社会構造に加担してしまう危険性をはらんでいる。

差別や人権の問題を「個人の心の持ち方」に負わせすぎなのかもしれない。 「マジョリティの特権を可視化する」イベントレポート

構造的な抑圧があるなかで、その流れに積極的に加担するのが「差別主義者」。流れに逆らう抵抗をするのが「人権主義者」だと一般に言われる。ただ、多くの人はこうした問題に関与せず、自らを「中立な立場」と捉えがちだ。

だが、ここまで見てきたように、マイノリティが受ける差別とマジョリティが持つ特権は常に表裏の関係にある。そして、制度的な抑圧、文化的な抑圧は個人の意思を超えて差別を生み出し続ける。果たして「中立な立場」は存在するのだろうか。

差別や人権の問題を「個人の心の持ち方」に負わせすぎなのかもしれない。 「マジョリティの特権を可視化する」イベントレポート
差別や人権の問題を「個人の心の持ち方」に負わせすぎなのかもしれない。 「マジョリティの特権を可視化する」イベントレポート | こここ
「私は“中立”。差別なんてしないのにな」と思うことだって、正直ある。けれど、“中立”で何もしなければ差別にはあたらないという意識そのものが、差別的な社会構造に加担してしまう危険性をはらんでいる。マジョリティ・マイノリティの差別の心理について研究する出口真紀子さんの講演会を取材しました。

 

全然ワクチンには関係ない記事ですが、今回の件に関して非常に示唆的です。

無自覚に「自分は中立だ」と思っている者も差別の構造に加担しているという指摘です。

そもそも「中立的な立場」の存在そのものにさえ疑問を呈しています。

 

特に、この記事で強調されているのが「特権」を認識することの重要性です。

 

今回の原田氏の議論に戻ると、「科学的根拠を理解していること」が「特権」と言えるように思います。

というのは、専門家であればワクチンに関連する最新情報を収拾することや、分析すること、理解することは容易です。

しかし、当然ながらそれは非専門家にすぎない一般大衆にとっては、大変に難しい行為です。 

つまり、「科学的根拠を理解すること」は専門家にとっては容易で、非専門家にとって難しいことから、専門家は「特権」を持ってると言えます。

 

ところが、原田氏は記事の中で大衆のワクチン忌避の反応を「漠然とした不安」と一蹴し、その上で「科学的根拠に基づいた決断を」と説いています。

これは専門家としての「特権的優位性」が表れてはいないでしょうか。

 

自分にとって簡単で自明なことを、それが簡単ではない他者に強要することは、それだけで潜在的な暴力性を持ちます。 

 

権力を持つ者は、自分の下にいる人間について知ろうとしないし、自分が強者としての地位につけている構造について知ろうとしない。それでも問題なく生きられるからだ。

しかし、権力を持たない(あるいは制限されている)者は、権力を持つ側の考え方を「熟知せずには生きられない」状況に置かれるのである。

差別や人権の問題を「個人の心の持ち方」に負わせすぎなのかもしれない。 「マジョリティの特権を可視化する」イベントレポート

 

この文章を借りて言い換えれば、科学的根拠という「特権」を持つ専門家は、一般人の「不安」について知ろうとしないし、一般人は「科学的根拠を熟知せずには生きられない状況」に置かれるわけです。

これはある種の差別構造であることは否めないですし、やはり専門家は「中立的」とは言い難いでしょう。

 

とくに、こうした専門家(テクノクラート)がつい傲慢になりがちな構造については、マイケル・サンデルが『実力も運のうち』で批判するなど、昨今急速に注目が集まってる問題です。

実のところ、「専門知に基づかない言説」を抑圧する「テクノクラシー」も、すでに批判対象になっている立派なイデオロギーなのです。

 

Amazon.co.jp: 実力も運のうち 能力主義は正義か? eBook : マイケル サンデル, 鬼澤 忍: 本
Amazon.co.jp: 実力も運のうち 能力主義は正義か? eBook : マイケル サンデル, 鬼澤 忍: 本

 

そうした中で、専門家自身が、しかも教授という権威ある立場であればなおさら、自身の得意分野の議論において中立的であると自認することや、「これは差別ではない」と断言することの難しさについては注意深くあるべきでしょう。

 

 

もっとも、原田氏は記事の中で「過度なパターナリズムは避けるべき」「エビデンスで殴るようなことは態度は慎むように」と行き過ぎないようにすべきとは強調しています。

だから、原田氏が差別主義者だと言うつもりは毛頭ありませんし、難しい話題を扱う中でかなり慎重に書かれた記事であることも理解しています。

ですが、やっぱりこうした「無自覚な中立性自認」の暴力性はありえる以上、原田氏自身も、「自分が中立的ではない可能性」については、もう少し確認をするべきではないかと思うのです。

とくに、メディアの「中立性」の欺瞞性を批判する記事である以上、原田氏自身の「中立性」についても厳しく追及されても仕方がないかと思います。

 

 

科学的根拠に基づけば中立的か

次に「科学的根拠に基づけば中立的」とする主張について。

 

原田氏に限らず、ワクチン関連の議論において「科学はイデオロギーと関係ない」とする主張はしばしば見受けられます。

 

実際のところ、自然法則や科学的根拠そのものにはイデオロギーは関係ないとは言えます[1]非実在論的な話が出てくるとややこしいのですが

あくまで客観的に普遍性を持って再現できる結果を求めたものですから。

なので、科学はイデオロギーと関係しないので中立的であるとする気持ちは分かります。

 

しかし、たとえ科学的根拠が中立的であるからといって、科学的根拠に基づく判断が中立的であるとは必ずしも言えません。

特に「~すべき」「~せねばならない」などの規範的言及をする判断においては、どうしてもその背後の価値判断が反映されます。

 

ここで、わざわざ「~である」から「~すべき」は導けないとした「ヒュームの法則」にまつわる議論までいかなくとも、「このワクチンは非常に有効である」という科学的根拠を「このワクチンを打つべきである」という規範に結びつけるには、背後の「規範的暗黙の前提」が不可欠なのは分かると思います。

すなわち「有効なワクチンがあればワクチンを打つべきである」という規範的前提が隠されています。

こうなると、この規範的前提自体が妥当でなければ、結論の「このワクチンを打つべきである」も妥当ではなくなります。

なので、「科学的根拠に基づく判断」の妥当性を考える上では、「このワクチンは有効かどうか」という科学的根拠の妥当性の他に、その背後にある規範的前提自体の妥当性も要求されます。

こうなると、科学的根拠だけの議論ではなく、価値判断に関する議論も不可避になってくるのです。

 

 

もっとも、世の中の多くの場面において、わざわざ価値判断に関する議論は行いません。

「人は殺してはいけない」とか「物を盗んではいけない」といった全員が共有する価値判断に関して、いちいち疑っていたら世の中がスムーズに流れないので、そこに関しては自明として省略されます。

 

しかし、ときに、価値判断同士が衝突する時があります。

たとえば、まさに現在進行系のワクチンに関する議論のように。

 

「命や健康は大切である」という価値観に関しては多くの人は自明と言うでしょう。

「自由や平等は大切である」という価値観に関しても多くの人は自明と言うでしょう。

しかし、「命と自由はどちらが大切か」となった途端、場は荒れます。

「大切なこと」同士が衝突したなら、人は悩みますし、社会は議論に包まれるのです。

 

ただ、どちらの価値観を重視するかは人によってもグラデーションがあるので、同じ出来事や議論に関しても、反応している人も反応していない人も出てきます。

しかし、こういう時に「反応していない人」が「反応している人」に対して大げさだなあと一蹴して片付けるのは、拙速ではないでしょうか。

 

ワクチンにおいてもそうでしょう。

ワクチン接種による全体の健康利益を考えるならば、みな接種すべき。それはそうでしょう。

しかし、これはこれであくまで功利主義というひとつの価値観ではあります。

他の価値観と衝突した時に急にジレンマが生じえます。

すなわち、個人の「受けたくない自由」をどこまで犠牲にしていいか、となると急に難問になるのです。

なぜならそれは自由主義というもうひとつ別の価値観だからです。

なので、とくに自由を大切にする自由主義的立場の人たちからは、抵抗的な意見が出ることは当然です。

 

この反応のグラデーションがある時に、あくまで「科学的根拠+功利主義的健康主義価値観」の立場の者が、「我々の意見はワクチンが有効という科学的根拠に基づいているから中立的である。偏見にまみれた自由主義者はわがままを言うのを止めワクチンを接種せよ」と解釈できる主張をするのはやっぱり傲慢な態度ではないでしょうか。

少なくともそれは「中立的」ではありえないでしょう。

やはり、これだけ議論が荒れてる以上「自明だ」と片付けるのではなく、しっかりと価値判断の議論に向き合うべきではないでしょうか。

 

 

もちろん、科学的根拠が大事でないとか、不要だと言ってるわけではありません。

「科学的根拠」に基づく「正しい事実認識」は議論の礎として不可欠なものです。

しかし、同じ「科学的根拠」を見ていても価値観が違えば反応が違いうるということは、認識すべきです。

だから、ワクチンに対する反応が人によって異なるのも当然ですし、だからこそ科学的根拠に関する議論だけでなく、価値観に関する丁寧な議論も不可欠なのです。

 

 

また、功利主義的な価値観に基づく「ワクチンを接種すべき」という主張が誤っていると言っているわけでもありません。

むしろ、江草自身、「みんなワクチンを接種すべき」という主張に賛同すらしています。

ただ、言いたいのはこれはあくまで「中立的ではないし絶対的な正義でもない」ということです。

だから、個人の自由も尊重しながら丁寧に進めましょう――そう言ってるだけなのです。

 

 

まとめ

まとめます。

たとえ、自然法則や科学的根拠が価値中立的であっても、それに基づいて判断をする時に価値観の影響を受けざるをえません。

特に、直接的に人や社会に影響を与える医療や公衆衛生学にとっては避けられないことです。

「こうする」と決めた時、「こうすべき」と思ってるから行ったのであれば、それは価値判断に他なりません。

だから、それはもはや「価値中立的」とは言えないのです。

 

別にワクチン接種に限った話でもありません。

国民皆保険制度を維持すべきか。

高額な医療技術の是非。

高齢者の終末期医療にどこまで医療資源を投入すべきか。

出生前診断での中絶の是非。

などなど、どれひとつとして価値判断が関わらない問題はありません。[2]科学技術に密接に関連はしてるけれど、科学のみでは解決できないこうした問題は「トランスサイエンス問題」とも呼ばれます

 

だから科学者も科学的根拠だけでなく、価値観を巡る議論を考えるために倫理や政治にも思いを馳せる必要があります。

 

そして、自身が「中立的である」と思うこと自体、差別に加担しうる危うさをはらんでることも注意すべきでしょう。

特に自分が精通してる「科学的根拠」の重要性を説きながら、同時に「自身の中立性」をにじませるのは、「特権的立場」の典型像とも言えるパターンに陥っていないでしょうか。

 

人の振り見て我がふり直せです。

「中立性」を批判する時、自身の「中立性」も省みても損はないでしょう。

 

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

 

 

【おまけ】

今回は「中立性」についてのみ指摘しましたが、その他の部分でも原田氏の記事にはもう少し議論を深めるべき主張がいくつかあるように思います。

 

たとえば、「医療従事者のワクチン接種義務は当然だ」と本当に言えるのか。

これに関しては江草も記事を書いてますので参考になるかもしれません。

医療従事者のコロナワクチン接種を強要する風潮について
現時点で医療従事者のコロナワクチン接種を強要する風潮についての批判記事

 

付け加えれば、今回の原田氏の記事の暗黙の前提になってる「ワクチン不安を煽るメディアの報道は本当に増えているのか」も確認すべきかもしれません。

実は多くのメディアが誠実に報道しているのに、SNS時代にありがちな現象として、ひどい一部の報道がただ炎上して目立ってるだけかもしれません。

エビデンスに基づくことの重要性を説いた以上、メディアの報道の傾向についても客観的エビデンスの用意が必要ではないでしょうか。

 

あと、今回に類似した議論として、「正しい知識に基づかないとワクチン拒否してはいけない」とする主張に対しての批判も行っています。ご参考まで。

「ワクチン拒否は正しい知識が前提でないと許さない」という言説の問題点
「ワクチン拒否は正しい知識が前提でないと許さない」という言説の問題点を整理した記事です。

 

脚注

脚注
1 非実在論的な話が出てくるとややこしいのですが
2 科学技術に密接に関連はしてるけれど、科学のみでは解決できないこうした問題は「トランスサイエンス問題」とも呼ばれます

コメント

タイトルとURLをコピーしました