無知のマスカレード

スマートフォンのイラスト社会

「無知のヴェール」という有名な思考実験があります。

自分の性別や人種や能力など自分についてなにもかも知らない状態と仮定して社会を設計するとしたら、どう設計するだろうか、と。

 

リベラリズムの巨人ロールズが提唱したこの思考実験は、自分について無知にするヴェールをかけることから「無知のヴェール」と名付けられました。

ロールズは、「無知のヴェール」の状態を考えれば、「人々はもし自分が一番不遇な人であったとしても困らない社会設計を選ぶはず」と、「マキシミン原理」に社会が落ち着くと想定しています。

 

なんとも「優しい社会」な雰囲気があって夢のある話なのですが、現実には「別に無知のヴェールに包まれててもマキシミン原理を採用するとは言えないんじゃない?」とか「個人の価値観は共同体を基盤にしている以上、完全に無知な状態の個人なんてありえない」などの様々な批判を受けて、世の中は素朴にこの結論を受け入れる形にはなっていません。

 

 

で、「無知のヴェール」の話は置いておきまして、このたび江草は「無知のマスカレード」というものを思いつきました。

もしかするとこの発想でちょっぴりは「優しい社会」に近づいてくれたりしないかなと。

まあ、素人の勝手な妄想なのですが、暇つぶしに聞いてやってください。

 

 

 

さて、ネット上で実名で活動するか、匿名で活動するか、はいまだに賛否両論ありつつも、匿名で活動してる人は依然として多いですよね。

この「ネット上での匿名での交流」が「無知のマスカレード」のキモになります。

 

まず、匿名のネットユーザー同士が、あくまで主義主張の話抜きに交流を続けて仲良くなることを推進します。

 

この辺は先日のけんすう氏のnote記事に着想を得ています。

 

若い人とかは「当たり前じゃん」の世界だと思うんですが、たとえば、Discordとかパラレルを使ってゲームとかのつながりの人たちとずっと音声チャットでつながったりとか、REALITYとかMirrativ、Yay!でゆるくつながった人たちと配信やチャットを楽しんだりとか、そういう世界のほうが今はちょっとしっくりきてたりします。

「何者かになりたくなる」SNSはそろそろ衰退していくのかな?という予感
「何者かになりたくなる」SNSはそろそろ衰退していくのかな?という予感|けんすう
こんにちは!けんすうという名前で、インターネットサービスとかをよく作っているものです。 このnoteでは「何者かになりたいという欲を刺激して、一部のインフルエンサーと大量のワナビーを作りだすようなSNSがそろそろ飽きられて、違う目線のSNSが増えていくんじゃないかな?」的なことを書きます。 ----- 予防線 -...

 

主義主張を大声で語るインフルエンサーベースのSNSの時代から、ゲームなどを一緒に遊びながらゆるくつながる雰囲気のSNSの時代に移るのではないかというのが、けんすう氏の指摘です。

 

このゆるい感じの匿名での交流をグイグイ拡大すれば、お互いの細かいプライベートなことは知らないけれど仲は良いネット上の友達がたくさん居る、という状態の人が増えると思うんですよね。

 

この状態の意味するところが重要です。

すなわち、「どんな出自でどんな立場の人かは知らないけれど仲が良いあの人たち」がこの社会のどこかに間違いなく生きていることは知っている、という状態になります。

 

そうすると、ときに特定のカテゴリーの人たちに怒りを覚えることがあったり、攻撃しようと感じることがあったときに、もしかすると、はたと立ち止まれることがあるかもしれません。

今、自分は「奴ら」に怒りを覚えてるけれども、その「奴ら」の中に実は「いつも談笑している仲がいいあの友人」が含まれてる可能性は否定できない、と。

なんなら批判しようとしている相手個人そのひとが、実は「親友」なんてこともあるかもしれません。

 

もちろん、「親友」だからといって非難すべき時は非難するべきでしょう。

でも、「親友」が相手かもしれないと思えば、少し立ち止まって、本当に自分の批判は正当か、をちょっとでも考えるきっかけになるかもしれません。

少し考えるだけでも、時には批判のトーンが落ち着いたり、取り下げたりして、無用な争いが減って「優しい社会」につながるのではないでしょうか。

人は相手を「完全な敵」だと思った時ほど残酷になるものですから、「完全な敵」と思いにくくなればいいわけです。

 

これが「無知のマスカレード」です[1]「マスカレード」は「仮面舞踏会」という意味です

匿名で交流できるネット社会の特徴を利用して、個人情報や主義主張を知らない友人を大量に社会の中に潜ませることで、むやみに敵を想定しにくくなるわけです。

つまり、「無知のヴェール」の無知の対象者が「自分自身」だったのと対照的に、「無知のマスカレード」では無知の対象者が「友人」になるのです。

 

もちろん、今でもTwitterなどで匿名同士での友人を持つ人は多いと思います。

でもTwitterではプロフィール欄で自己紹介しちゃったり、主義主張に関わる話題が多いために、あんまり主義主張抜きの友人にはなりにくい気がするんですよね。

なので、けんすう氏が言うような、主義主張抜きにゆるくつながるネットコミュニティがもっと拡大する次の時代こそ、「無知のマスカレード」のチャンスなんじゃないかと思っています。

 

当然、万能なはずはありませんし[2]そもそもインターネットできない、しない人もいるので、正直言って効果は薄いかもしれませんけれど、多少夢がある話じゃないかなと思いまして。

 

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

 

脚注

脚注
1 「マスカレード」は「仮面舞踏会」という意味です
2 そもそもインターネットできない、しない人もいるので

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