なんとなくイマイチな感触のソフト多くないですか?
江草は仕事柄、電子カルテやレポートシステムなどのソフトを日常的に使っています。
これらは医療の質を左右するわりと大事なソフトです。
しかし、なんとなく使い勝手がイマイチなんですよね。カルテの一覧性が悪かったり、レポートのキー画像が見えにくかったり。
もちろん、ソフトによってピンキリではあるのですが、なかなかどうして使い勝手が最高と言えるソフトはほぼないのが実情です。
医療現場に限らずとも、web学会用のアプリとか、頑張ってはいるのでしょうけれど、なんとなく洗練されてない印象のソフトやアプリはしばしばあります。
大事なソフトにもかかわらず、「なんでこう微妙にしっくりこないことが多いのか」と考えていたのですが、1つ仮説を思いつきました。
私たちは普段から「スーパーカー」に乗り慣れすぎたのかも
なぜイマイチに感じることが多いのか。
それは、私たちが普段から「スーパーカー」に乗り慣れすぎていて、その乗り心地と比べてしまうから、ではないでしょうか。
すなわち「舌が肥えてしまっているから」です。
「スーパーカー」なグローバルソフトたち
え、「スーパーカー」って何?と思われるかもしれません。
ここで言う「スーパーカー」とは、私たちが普段から使ってる、「Chrome」であったり、「Safari」であったり、「YouTube」であったり、そうしたグローバルなソフトやアプリのことを指します。
これらのグローバルなソフトは無料でありながら、とてつもなく高性能で、デザインも洗練されてます。多くの人に使ってもらうために、とんでもない量のマンパワーや才能、そしてお金が注ぎ込まれているから無理もありません。
「スーパーカー」に乗り心地はなかなか勝てない
こうした質の向上のために大変なリソースや改良が繰り返されたグローバルレベルの「スーパーカー」と、ちょっとローカルな会社で作成された「手頃な普通車」では乗り心地が違って仕方ありません。
しかし、私たちは普段から「スーパーカー」の乗り心地[1]実際のスーパーカーの乗り心地が良いかどうかは、江草は乗ったことがないので分かりません。「例え」なのでご承知ください。に慣れ親しみ過ぎたために、「手頃な普通車」の乗り心地が「イマイチ」に感じられてしまうのです。
ITプロダクトのパラドックス
「スーパーカー」の乗り心地に私たちの多くが慣れ親しむなど、実物の自動車ではありえないことです。でも、ソフトやアプリではそういうことが起きてしまうのです。
ここにソフトやアプリといったITプロダクトのパラドックスがあります。
実物の商品は、質や特別な用途を求めると価格がはね上がる
実物の商品では、商品の質を高めようとすると、大変な手間がかかったり、希少な材料や部品を使ったりする必要があるので、ひとつひとつの原価がどんどん上昇し、価格が高くなりがちです。
特に、特別な用途に向けた「特注品」を発注すると、その仕様に合わせて特別に調整しないといけないので、価格が跳ね上がります。
ITプロダクトは質が高くても価格が高いとは限らない
しかし、ITプロダクトでは質が高くても価格が高いとは限りません。
確かに質を高めるにはマンパワーや開発費用を大量に注ぐ必要はありますが、いったんモノができてしまえば、いくらでも複製可能だからです。
開発費用は高額でも、複製にかかるコストがほとんど無視できるのであれば、多くの人に配布し使ってもらえるものであればあるほど1個あたりの原価はゼロに近づいていきます。
なので、グローバルに全世界の膨大な人が使うソフトは、質が高いくせに単価は安く、なんなら無料で配布も可能となるのです[2]無料で配布した分、データ収集や広告料などで対価を回収しているようです。
このために最高の性能を誇る「スーパーカー」に「全世界の人」が慣れ親しむという不思議な光景が実現します。
ローカル対応を求めれば求めるほどイマイチになりがち
グローバルに膨大に複製するからこそコストが下がるということは、逆に言えば、ローカル対応すればするほどコストが上がるということになります。
これが、電子カルテやレポートシステムなどの特定分野における「重要だけど複雑なソフト」が高額なわりにいまいち洗練されない理由の1つです。
こうしたローカルなソフトは、開発の労力や要求水準が大変なわりに、そんなにコピー数が出ません。本気で洗練されたものを作ろうとすれば膨大な予算を要しますが、医療界は言わずもがな、そんな予算の余裕があることは稀でしょう。
なので、そこそこの予算の範囲内で作られる、そこそこの質のものにならざるを得ないのです。
ローカルなソフトを批判しているわけではありません
誤解なきように書いておきますが、江草は別に電子カルテやレポートシステムなどのローカルなソフトを作ってる方々を批判しているわけではありません。むしろ、すごく頑張って現場の要求に対応してくださっていて、いつも尊敬して見ています。
ただ、そうした努力があっても、多勢に無勢。
さすがに予算や労力のかけ方が「スーパーカー」の開発には及ばない構造があることを指摘したのが今回の記事の主旨になります。
大事なソフトなのにどうしても限界がある現状は歯がゆい思いですが、仕方ないのだと思っています。
仕様を統一することを私たちは許容できるかが課題
予算と質のバランスを取るためにできることがあるとすれば、ローカルな中にあってもいくらか仕様を統一することでしょう。
現状、電子カルテ等々の医療システムは、医療機関ごとにこだわりの特別仕様があって、「特注品」になりがちです。それでは、その特別仕様のためにそれぞれ開発の費用や労力がかさみ、「スーパーカー」的なコスパのいいやり方に逆行しています。
医療機関ごとのこだわりを抑えて、共通の仕様をちゃんと統一できるかどうかが課題でしょう。
特に医療におけるソフトやアプリは、患者さんの健康や生命に直結するものですから、質の向上やインターフェイスの洗練は必要不可欠と思います[3]ただし、仕様の統一は反面、多様性の喪失を意味します。ほんとうに良いことかどうかは難しい問題ではあります。
以上です。
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