人生という旅でどう過ごすか

計画中の女性のイラスト人生

おはようこんにちはこんばんは、江草です。

今日は、軽く「人生論」でも[1]軽い人生論なんてあるのかというツッコミがありそうですが、記事の長さや江草の執筆の負荷が軽いってことですよ、もちろん。

 

 

時々「生きる意味とは何か」というのが話題になることありますよね。

宗教的な世界観から脱した現代人にとって、最大最悪の実存的苦悩の一つとも言えるでしょう。

 

もちろん、そんな簡単に答えが出るようなものではないのですが、ご参考までに、江草はなんとなくこういう感じで人生を見てるよ、という視点をご紹介します。

 

それは「人生は旅」という視点です。

 

まあ、実のところ、そんな目新しい視点でもないのですが、「生きる意味とは何か」で悩んだ時には案外使える視点ではないかと思っています。

 

「人生は旅」と考えることのメリットは、人生を

  • もともと一過性に借りて過ごすもの
  • 爪痕を残す必要はない
  • 何も持ち帰る必要はない
  • 楽しみ方は人それぞれ

と考えることができることです。

 

ひとつひとつ見ていきましょう。

 

 

まず、「もともと一過性に借りて過ごすもの」

旅行について、「永遠に旅行する」という感覚はないですよね。長期の旅行というのは存在はするものの、あくまで「一過性のもの」であるとの自覚の上で私たちは旅をします。

また、旅先では自分の所有物はないので、宿だったり、レンタカーだったりを、「借りながら過ごす」ことになります。

だから、人生についても、旅と捉えることによって、「もともと一過性で有限なものである」と割り切ることができるし、「所有物を増やさないといけない」と考える必要がないと気楽になれます。

 

 

次に、「爪痕を残す必要はない」

旅先ではあくまで私達はお客様です。

未来永劫そこに過ごす者や地域に所属する者が抱く感覚のような「何か名を残さなきゃいけない」「この地域に何か貢献しなければいけない」といった気持ちは不要なはずです。[2]もちろん、地域に対して礼儀と尊重は必要なので、蛮行を働いて良いというわけではありませんよ。

ただ、人生についても、そうした「爪痕を残さなきゃ」と考える必要がなくなれば、大分気楽になるのではないでしょうか。

 

 

そして次に、「何も持ち帰る必要はない」

もちろん確かに旅というものには「お土産」や「記念品」が付き物です。

ただ、だからといって、旅に必要不可欠というものではありません。

お土産や記念品を持ち帰らなくても、旅は旅です。

だから、人生も「何かを得なければ」とか「成長しなければ」と意気込む必要がないととらえれば、気楽になるように思うのです。

 

 

最後に、「楽しみ方は人それぞれ」

旅先で何をして過ごすかというのはほんとそれこそ人によります。

観光名所は全部制覇しようと動き回る人もいれば、のんびり過ごすのがいいと思う人もいて、地域の人や同じ旅行者との交流が好きな人、体験系のアクティビティにいそしむ人もいます。

このように、人生についても「楽しみ方は人それぞれだよね」と考えるならば、だいぶ素直に楽しめる気がしませんか。

 

 

結局のところ、旅行って「行った」というだけで、もうだいぶ満足感高いと思うんですよ。

それと同じで、人生も「生きた」というだけで、既に十分満足しても良いレベルに達しているではないでしょうか。

その上で、どう自分なりに楽しむか。

旅とはそういうものなんじゃないですかね。

 

 

というわけで、皆さんも、残りの地球旅行の一日一日を、一緒に楽しんでいきましょ。

 

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

 

脚注

脚注
1 軽い人生論なんてあるのかというツッコミがありそうですが、記事の長さや江草の執筆の負荷が軽いってことですよ、もちろん。
2 もちろん、地域に対して礼儀と尊重は必要なので、蛮行を働いて良いというわけではありませんよ。

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