「弱肉強食」という甘え

街の人々のイラストクリティカルシンキング

社会の不平等や不公平に対して批判の声を上げる人に対し「この世は弱肉強食なのだから甘えるな」と返す言説をよく耳にします。

ある意味正しいとは思うのですが、この言説自体も「甘え」になってるというピットフォールには気づかれてないような印象があります。

 

 

ここでいう「弱肉強食」というのは「厳しい競争なんだぞ」、もっと言えば「生きるか死ぬかを賭けた闘いなんだぞ」という意味と考えられます[1]そもそも厳密な「弱肉強食」の意味は俗に使われる用法とは違うという話もあります。ただ、ここではもとの言説の意図をくみとりました

 

社会がその主張通り「弱肉強食」だったとしましょう。

そうすると、当然ながら「争うことを容認する社会」なので「社会における有利なルールや慣習」を勝ち取る闘いも容認されることになります。

まさしくその闘いこそが、社会の不平等や不公平に対して批判をしてる人たちの行為です。

 

 

「この世は弱肉強食なのだから甘えるな」と言う方々は、自分の言説を「この社会の《現行の》ルールや慣習に従って競争しないのは甘え」という意味になるはずと、無意識に思い込んでしまっているように思います。

つまり、勝手に「《現行の》ルールや慣習」を所与の条件として設定しているわけです。

この意味で、「《現行の》ルールや慣習」では不利だと感じている人たちに対して「弱肉強食」を説くというのは、すなわち「自分たちが有利な《現行の》ルールや慣習は競争にさらさずに前提条件として受け入れて、このルールのもとで競い合え」と言ってるのと同じです。

これこそ「ルールメイキング」という戦場の「弱肉強食」の論理の存在を無視した「甘え」と言えます。

 

 

ルールを巡って人が争うのは珍しいことではありません。

政治なんてその最たるものですし、フィギュアスケートや体操などの採点競技を始めとしてスポーツの世界でもルール改正でひと悶着するのはよくあることです。

そうした「ルールを巡る闘争」が世に存在する現実があるにもかかわらず、「弱肉強食」と言いながら自分が有利なルールだけは守って欲しいと考えるのは、「この世は弱肉強食なのだから甘えるな」の自分の言葉が返ってくるブーメランと言えるでしょう。

「弱肉強食」という言葉はそれだけ強い言葉なのです。

 

 

だから、社会の不平等や不公平に対して批判の声を上げる人に対し「弱肉強食なんだぞ」と返しても意味はありません。

「そうですか。ならば社会のルールを巡って戦争だ」と、闘争をより激しくするお墨付きを与えるようなものです。

彼らは言われた通り「弱肉強食の社会」での生き残り方を実践しているだけにすぎないのですから。

 

 

 

結局のところ、完全に「弱肉強食」の社会というのが成立しない以上、どこかでその「弱肉強食」の論理を抑える段階が必要になります。

「完全な弱肉強食の社会」というのは、すなわち「完全な自然状態」で、ホッブスの言う「万人の万人に対する闘争」の社会です。

それはもはや社会として成り立っていません。

都合よく「弱肉強食」の論理を使えば使うほど、社会としては崩壊していくことになります。

だからどこかでその「弱肉強食」の論理を抑える時が必要なのです。

 

 

社会の不平等や不公平に対して批判の声を上げる人に対して「弱肉強食」の言説を投げる時、そういう自分が「弱肉強食」の論理に甘えてないかどうか、今こそ「弱肉強食」の論理を抑える時なのではないか、という点にも考えを巡らせてほしいなと思います。

 

私たちの社会の「弱肉強食」でない側面の存在を信じて。

 

 

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

 

脚注

脚注
1 そもそも厳密な「弱肉強食」の意味は俗に使われる用法とは違うという話もあります。ただ、ここではもとの言説の意図をくみとりました

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