カズオ・イシグロ氏のインタビュー記事にモヤモヤする理由

街の人々のイラスト社会

おはようこんにちはこんばんは、江草です。

今日は、巷で話題になったカズオ・イシグロ氏のインタビュー記事について。

 

↓これですね。 

カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ
――今回の小説を書き終えたのは、新型コロナウイルスが始まる前ですか。2019年の11月か12月には書き終えていました。学校に行っていない子どもが登場したり、今回の小説がコロナ禍を彷彿させる場面があるとしたら…

 

江草はイシグロ氏記事に半分賛成半分反対

記事は全般にいわゆるインテリリベラル層の危機感を提示しているインタビューとなっており、「自分とは違う世界があるという認識が必要」という趣旨は基本的に賛同できるものでした。

特に、「インテリ層は世界を股にかけてはいるけれども実は狭い世界に生きている」との警鐘の部分が、リベラル層に反省を求める姿勢を明確にした点で、評判がよかったところのようです。

 

ただ、そんな有意義な記事ではありながら、いくつか江草個人的にはいくつかモヤモヤポイントがあって、どうも気になってしまってるんですよね。

つまり、記事に対し、半分賛成半分反対というところなのです。

 

良いところもちゃんと詳述するべきとは思いつつも、ついモヤモヤポイントの方ばかり書きたくなる性分なもので、申し訳ないですが、今回もそうした疑問点について述べていく記事になっちゃいます。

 

イシグロ氏の素朴すぎるエビデンス論

さて、江草が最もモヤモヤする部分を引用します。

 

――とはいえ、事実や真実を見極めるのが非常な困難な世界になっています。ある人から見た事実が別の人からは違う場合もあります。線を引くことに難しさを感じませんか。

何が事実や真実で、何がそうでないか、ボーダーラインがあるかどうかはわかりません。ただ私自身は近年、科学の世界で行われているやり方が非常にすばらしいと感じるようになりました。もちろん科学の世界が完璧なわけではありませんが、基本的には何かをめぐって論争が起きた時に、最終的にデータやエビデンスによって事実が判明し、間違っていた側もそれを認めて「では、次の議論へ移ろう」となるようです。科学の世界では、人々はそうやって議論し、意見を持ったり、意見を諦めたりしています。

しかし、科学以外の世界では何か異常が起きている。これは私たちのような感情を通してコミュニケーションをする創造的な仕事をする人間にも責任の一端があるかもしれませんが、私たちは「大事なのは事実や真実ではなく、何を感じるかだ」という考えを浸透させすぎたようです。

カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ 事実より「何を感じるか」が大事だとどうなるか

 

イシグロ氏が現状を打破する基盤として「科学的なエビデンスを重視すること」を挙げた部分です。

一応は江草も科学業界の一端を担ってはいますので、そうした信頼の気持ちは分かりますし、うれしくもあります。

しかし、どちらかというと今回の問題に対して「エビデンスを重視しよう」というスローガンを掲げるのは、あまり適切でないのではと思うのですよね。

 

意外と科学者も簡単に間違いを認めない

まず、エビデンスやデータによって事実が判明した時に、科学の世界では「間違っていた側もそれを認めて次の議論へ移る」とする箇所。

そうあってほしいという理想は共有するものの、残念ながら現実は厳しく、科学の世界でも案外間違っていた者が素直に意見を変えることは難しいということが言われています。

 

たとえば、何か自説と異なるデータが出てきた時に、自説を諦めるのではなく、「観測条件がおかしかったのでは」とか「機械がおかしかったのでは」とか「もっと別の法則が左右してるのでは」と、補助仮説を後付で変更することで、いくらでも自説を守ることができます。

実際、水星の軌道異常の説明に難渋しながらも、科学者たちはニュートン力学を捨てることができなかったなどの歴史的事例も言われてます[1]結局、ニュートン力学ではなく一般相対性理論で水星の軌道異常は説明されたそうです

こうした、いくらでも補助仮説の後付変更できることは専門的には「デュエム=クワインテーゼ」と呼ばれてるらしいのですが[2]江草も専門でないので断定はしない表現にとどめます、確かにこうした後付変更を用いるなどして、自説にこだわる科学者がいるのは否定はできないように思います。

 

なので、ちょっとイシグロ氏の科学界への見方は理想的すぎるというか、素朴すぎるように思うのです。

もちろん、「完璧なわけではない」とはイシグロ氏も言及してはいますが、それを差し引いてもエビデンスへの少々強すぎる期待が見て取れるのは否めないでしょう。

 

インテリ層のエビデンス圧制を模したのがフェイクニュースでは

で、エビデンスの重要性を意識するイシグロ氏は、昨今のトランプ派の暴走を見て、「感情を優先にしすぎた社会を反省し、エビデンスを大事にしよう」との主張になるわけですが、これは江草は真逆なんじゃないかと感じてます。

 

「社会がエビデンスを大事にしすぎた」からこそ、「フェイクニュース」を武器に取るトランプ派などが登場したんじゃないかと思うんですよね。

 

そもそも、本当に感情優先社会なら、感情を述べればいいのであって、「フェイクニュース」などという根拠は要らないわけです。

稚拙なものではありながらも、彼らがあくまで「フェイクニュース」という論拠を出す形にこだわっているのは、インテリ層のエビデンスの圧制に対する反発の表れなのではないでしょうか。

 

幽霊が恐い子供は、あえてその幽霊の格好をすることで怖さを減じることがあると聞きます。

それと同じで、インテリ層が掲げるエビデンスやデータによる抑圧に苦しみ我慢ならなくなったからこそ、それを模した「フェイクニュース」を掲げることでその強さを自分の物にしようとしてるのではないでしょうか。

 

実際、エビデンスやデータを操ることに長けるインテリエリート層が社会の富や名誉を独占してることに対する不満が相当高まり、ポピュリズム勃興の背景になってるとする言説はよく聞きます。

 

そうした、エビデンス重視のメリトクラシー社会に置いてかれてしまった彼らの怒りをインテリリベラル層がどう受け止め包摂するかが大事な場面に、「感情優先は止めてエビデンスを重視しよう」というのは、下手をすると逆効果なのではないかと危惧します。

 

そもそも、私たちからみたら「フェイクニュース」でしかないものも、彼らは心底「真実」や「エビデンス」として信じているのでしょうから、いずれにしても「エビデンスを重視しよう」では水掛け論になるだけで解決しないでしょう。

 

エビデンスはただの知識なので悪用もできる

さらに言えば、エビデンスというのはデータだったり、知識でしかないのですから、私たちが何をするべきかという価値判断を示してくれるものではありません。

もちろん、エビデンスは方針決定における極めて強い武器ではあります。

ただ、強力な武器も、使う者によって良いものにも悪いものにもなり得ます。

論理的能力や豊富な知識を持ち、エビデンスの扱いに長けているからといって、必ずしもエビデンスを自己中心的、感情的に悪用しないとは限らないでしょう。

 

デマゴーグやソフィストが社会を席巻した古代ギリシャ時代と同じで、ただ知的能力がある人物たちに任せてるだけでは限界が見えてきてるのが現在の世界情勢なのではないでしょうか。

 

「エビデンスが大事」というのは間違いではありません。

しかし、もはやその段階を越えて、「エビデンスをどう使うべきか」に関する深い熟慮や、倫理的な議論こそが大事なフェーズに入ってるように江草は思うのです。

 

イシグロ氏が危惧する「中央集権社会」とは「エビデンス重視社会」では

また、記事の後半でイシグロ氏は自由民主主義を脅かす「中央集権型モデル」に懸念を示しています。

しかし、これはイシグロ氏の態度に矛盾を感じます。

 

なぜならデータを集めて管理する「中央集権社会」とは、すなわちイシグロ氏が称賛する「感情優先を止めたエビデンス重視社会」とほぼ同じものと思われるからです。

 

データとはすなわちエビデンスです。 

平均や中央値などを用いた「エビデンス」を偏重し社会の方針が決まる世の中では、必然的に「母集団」に似ない性質を持つ個人は、母集団の性質に似るように圧力を受けることになります。

少なくとも、母集団の性質に似ない個人の性質は削られることになりますし、大幅に規格を外れた個人は個人ごと矯正されたり見捨てられる可能性さえあるでしょう。

 

これが中央集権社会でなくてなんなのでしょう。

 

自由民主主義を維持したいのであれば、ただ「エビデンス重視」というのではなく、他のもっとうまくエビデンスと共に生きる社会のあり方を丁寧に描写しないと、このように自己矛盾に陥ってしまうのではないでしょうか。

 

熱意は共感するが、現状認識と解決策は疑問

と、モヤモヤポイントを挙げていきましたが、どうでしょう。

 

もちろん、これらはあくまで江草の私見なので、江草が正しくて、イシグロ氏が間違ってるというつもりではありません。

というより、これは「世界観の違い」の話なので、何が正しいとか、間違ってるとか、言えないように思います。

 

ただ、こういう違う側面から問題を眺めた視点を提示することは、まさに「イシグロ氏と違う世界観」を共有することであり、イシグロ氏の主張にも合致するものではないでしょうか。

 

一応、最後にフォローしておきますと、記事の大きな趣旨やイシグロ氏の熱意に共感はしています。

ただ、現状認識と、提示された解決策については、江草は少し疑問があるなあというだけの話で、そんな言うほど否定してるものでもないので、ちょっとした批判的吟味の一貫ということで、ここはひとつお願いいたします。

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

脚注

脚注
1 結局、ニュートン力学ではなく一般相対性理論で水星の軌道異常は説明されたそうです
2 江草も専門でないので断定はしない表現にとどめます

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