黒字は必ずしも善ならず

財布のイラスト経済

おはようこんにちはこんばんは、江草です。

ポジティブなイメージの強い「黒字」ですが、必ずしも良いばかりじゃないんだよという話を今日はしてみます。

 

「黒字」は良いもの?

「黒字」が嫌いな方、この世にいらっしゃるでしょうか。

江草ももちろん好きです。

やっぱりこう、収入がプラスというのはワクワクするし、安心感がありますよね。

黒字というのは良いイメージとして世間一般でも定着していると言えます。

 

では逆に「赤字」と聞くとどうでしょう。

「赤字に転落」などと言いますし、あまり良くないイメージがついています。

できるだけ「赤字」は避けるべきこととみなさんも日々気をつけてらっしゃるのではないでしょうか。

 

このように「黒字」=「良いもの」、「赤字」=「悪いもの」というのがイメージというか常識ですが、実は必ずしも「黒字」が良いとは限らない場合もあるのです。

 

必ずしも良いと言えない「黒字」たち

3つほど必ずしも良いと言えない「黒字」たちの例を挙げてみます。

財政黒字

1つ目は財政黒字です。

「政府の財政赤字が続いて云々」という話がニュースでも良く聞かれると思います。

財政赤字と聞くと悪いもので、財政黒字にしないとまずいと思われるかもしれません。

ただ、必ずしもそうでもないのです。

 

財政を黒字にするということは、ものすごくざっくり言うと「税収>政府の支出」にするということです。

すると税収を増やして、政府の支出を減らすことを目指すことになりますね。

税収が上がるとは、すなわち国民のお金の支払いが増えるという意味になります。

そして、政府の支出から公的事業やサービスが行われるわけですから、そのような事業やサービスの恩恵を国民が受けとれる量が減ります。

つまり、財政黒字とは、国民にとって見るとお金の支払いが増えた上で、受け取れる事業のやサービスの恩恵が減るということになります。

財政黒字は国民の間にお金がジャブジャブ余っていたり、民間事業で十分モノやサービスが満たされている時にはいいのですが、国民が貧困にあえいでいたり公的サポートが足りない時に財政黒字を目指すと大変なことになるわけです。

なので、状況にはもちろんよりますが、「財政黒字」というのは必ずしも良いとは限らないのです。

 

貿易黒字

2つ目は「貿易黒字」です。

この貿易黒字もなんとなく良いイメージがついてる単語です。

貿易黒字とはものすごくざっくり言えば「外国からもらったお金>外国に払ったお金」です。

で、貿易ですので、当然お金の対価として同時にモノやサービスもやり取りしています。

モノやサービスを外国に売れば外国からお金がもらえて、逆にモノやサービスを外国から買えば外国にお金を払うことになります。

 

ここで、このモノやサービスの観点から貿易黒字を見ると違った風景が見えてきます。

貿易黒字とは「外国からもらったモノやサービス<外国に提供したモノやサービス」に言い換えることができます。

 

これ、本当に良いと思いますか?

 

モノやサービスというのは要するに私たちの労働の結晶です。

それを相手に払った分が多いというのは、つまり外国向けの方により多く労力を提供したということになります。

これは、時々は外国からもこちらに多めに労力を返してもらわないとちょっと公平じゃないですよね。

 

しかし、「赤字は悪い」というイメージがあるためか、「貿易赤字に転落」と言われたり、「赤字になってはならない」と時に思われています。

「貿易赤字を避けてずっと貿易黒字を続ける」とどういう意味になるかと言えば、外国にモノやサービスを提供し続けて、いつまでも「外国のお金」という紙切れやコンピューター上の数値ばかりかき集めてることになります。

モノやサービスを差し出すばかりで、使うつもりがない紙切れや数値を延々と集めて本当に良いのでしょうか。

なので、状況にはもちろんよりますが、「貿易黒字」というのは必ずしも良いとは限らないのです。

 

生涯黒字

3つ目は「生涯黒字」です。

みなさんも老後が心配ですよね。

江草も心配です。

老後が心配で多くの方は老後の備えにと常に貯蓄を図っていることと思います。

貯蓄というのは家計上で「黒字」になることですが、みなさんも「家計が赤字になるなんてとんでもない」「常に黒字をキープしないと」と思ってらっしゃるのではないでしょうか。

家計が常に黒字というのはすなわち生涯を通して黒字になるということになります。

 

これは果たしていいことでしょうか。

 

もうお分かりですね。

 

死ぬ時までの生涯において黒字になるということは「人生で稼いだお金>人生で使ったお金」ということです。

これを逆に言えば「人生で提供した労力<人生で受け取った労力」です。

つまり人生でお金を使い切れず、他人のために提供した労力の方がより大きかったという意味となります。

もちろん心底仕事が楽しすぎた場合や、本当に使いたいものがなかった場合、他人に奉仕するのがとにかく人生の喜びだったという場合は除きます。

しかし、そうでなければ「そこまで働かなくても足りていた」し、「もっと自分の欲しい物ややりたいことにお金を使うことができた」ということになります。

少しでも、仕事時間が長いなと感じていたり、仕事に嫌気がさしていたり、仕事に社会的意義が感じられないという場合には、生涯黒字を目指すとかえって人生の大事なものを失ってしまう可能性があります。

なので、状況にはもちろんよりますが、「生涯黒字」というのも必ずしも良いとは限らないのです。

 

黒字とはただ集計期間中の「収入>支出」という意味に過ぎない

と、こんな感じでいくつか見てみましたが、いかがでしょうか。

要するに「黒字」というのは集計期間中の「収入>支出」という「ただの状態」を指しているだけの用語に過ぎず、その背景にある現実の状況も合わせた評価や、長期的な評価抜きには、それに良いも悪いもないのです。

単年度で黒字というのは良い場合はありますし、当然ながら赤字が続くのも必ずしも良いわけではありません。

しかし、「延々と黒字が続くのが良いこと」というイメージは誤りなのです。

黒字とは「お金」という「それ自体では何の使用価値も無い存在」が貯まってることを指しているだけですので、どこかでそのお金を使う場面もないと意味がないのです。

なので、黒字ばかり追い求めて赤字を毛嫌いすると、全体のバランスがおかしくなってしまうことが往々にしてありますので注意が必要だよ、というお話でした。

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

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