phaさんが「インターネットで書くことがなくなった」と告白し、それを見たシロクマさんが悲鳴のような文章を書かれてました。[1]お二人とも古参の有名ブロガーです

「インターネット上で書くという行為はなんなのか」
江草にとっても頭の中の引き出しにずっと居座っている重たいテーマです。
ときどき取り出してみてはやっぱりほどくことも捨てることできず、再び引き出しにしまう、そんな問いです。
なので、お二人のブログを見て同じくしんみりしてしまいました。
どこかで書いた気もしますが、江草はブログ出戻り組です。
当時もまったくもって無名ブロガーでしたが、はてなブログ黎明期の賑やかしぐらいにはなっていたと思います。
その頃からシロクマさんやphaさんのことも存じてたので、今回のお二人の無力感、無念感、寂寥感が年月の重みを持って感じられます。
実際、江草の過去のブログ仲間も、結局ブログを止めてしまっているか、更新が滞ってるかしています。
あんなに、活躍して、本も出されてたりしていたのに。
あんなに、お互い読み合って、お互い感想を言い合っていたのに。
この喪失感は、昔所属していたグループや職場のメンバーをふと確認してみたら、ほとんど誰も知ってる人が居なくなっていた時の寂しさに似ています。
「月日が経ったんだから入れ替わるものだから当たり前だよね」と頭では理解しつつも、気持ちの上では「もう知ってるあの場所はなくなったんだな」と、もう二度と戻らないあの頃への郷愁でいっぱいになります。
でも、多分これが「歳を取るということ」で、もっとはっきりいえば「老いるということ」なのでしょう。
江草も「これこそ人生の味わい」と思って、この気持ち自体を噛み締めて楽しむことにしています。
それに、ブロガーがブログから離れる時が来ることは別にそれはそれで悪いことではないとも思うのです。
書くことがなくなる時。
書きたくなくなる時。
書けなくなる時。
人間、やっぱりそういう時は来ます。
江草も実際過去にそうなって、突然、筆を置いたわけです。[2]なんかフッと気持ちのスイッチが切れた瞬間があって、無告知でパタッと更新を止めちゃいました。気が向いたらこの辺の話もまた書きます
でも、何年かブランクをおいて、結局こうしてふてぶてしくもまたインターネットの片隅でブログを書いていたりするわけです。
自己弁護的になっちゃいますけれど、でもこんなんでいいんだと思うんですよ。
だって、そもそも、こうやって出たり入ったり入退室自由なのが個人無料ブログのいいところなのではないでしょうか。
仕事で依頼されて書いてたなら、嫌でも書かなきゃいけませんし。
noteの月額マガジンのように、お金を取って連載していたら、書き続けることに責任が出てきてしまいますし。
ましてや生活がかかっていたら、なおさらやめられないでしょう。
気が向いたら書く。
気が向かなかったら何年でも書かない。
それが個人ブログの良さではないでしょうか。
だから。
phaさんが筆を置いて、シロクマさんは意地でも筆を握り続ける。
ブロガーが入れ替わっていく。
時代が移ろいゆく。
みんながしんみりする。
それで何も間違ってはいないのだと思います。
江草も今でこそ毎日ブログ更新していますが、「もう無理」ってなったら多分あっさり筆を置きます。
というか、業務連絡的に告知しておくと、プライベートな事情で近いうちに今みたいなペースや量では書けなくなると思います。
でも、書きたいうちは、書けるうちは、書きますよ。
以上です。ご清読ありがとうございました。
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