おはようこんにちはこんばんは、江草です。
今日は、コロナ禍で普及した「在宅○○」の地味に困る短所について。
有給休暇取得web学会視聴にて家族イライラ値の上昇が見られた一例
こないだ、「有給休暇を取った上でweb学会みていたら家族のイライラが溜まっちゃった」という、ツイートをお見かけしまして。
ため息の息づかいとともに、ほほえましさも感じさせる、レ点先生のお人柄が表れるつぶやき。
有給休暇までとって張り切って学会に臨んでらっしゃったと思うので、さぞかし悔しいだろうなと心中お察しします。
実際に現場に行ってたら、イライラしなかったのでは?
ただ、これってweb視聴でなく、コロナ禍以前当たり前であったように、実際に学会場に出張の上で聴講していたのだとしたら、どうだったでしょう。
在宅でのweb学会視聴に比べると、出張の学会参加の方が、やっぱり家族のイライラはたまりにくかったんじゃないかと江草は思うんですよ。
こう言うと、「男性医師が家事をしないんだから、どっちにしたってイライラする!」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。男性医師の家事参画ももちろん社会問題なのですが、今日のところははそういう話ではないんです。
実際、女性の医師からも「家でweb講習を見ていたら子供がまとわりついてきて集中できなかった」という話をよく聞きますし、これは男女に関わらない問題だと思うんですよね。
「目の前にいること」「すぐそこにいること」は感情を刺激しやすい
「在宅作業」で家族の「イライラ」や「かまってほしい気持ち」が増してしまう原因は、「目の前にいること」「すぐそこにいること」がやはり大きいのではないかと感じます。
「これから在宅視聴だから」と言い残して部屋に引っ込んだ家族に対して、理屈の上では「今、彼/彼女は他の作業をしていて家族との時間ではないのだ」と理解しているはずです。
しかし、理屈では分かっていても、感情面では「その場にいるのに手伝ってくれてない、かまってくれてない」とつい感じてしまうのが人間のサガなのでしょう。
そもそもその場にいないなら期待できないから期待しないけど、やっぱりそこにいるのであれば、つい期待してしまうのです。
強制的な感情の揺さぶり
人って目の前の光景には否応なく心理感情的な反応が想起されてしまうものです。
好きな人を見かけたら胸がキュンとなったり、
自分の意見と違うツイートを見たらカッとなったり、
東京タワーのガラス製の床から真下を見たらヒエってなったり。
理屈を超えて、「見た」ということのみで人は強制的に感情を揺さぶられてしまいます。
もちろん、こうした感情の揺さぶりは視覚に限りません。
公衆トイレの個室に入ってる時、隣に人の気配を感じるとちょっとドキドキしますよね。
家の個室で作業している時も、台所に行く家族の足音が聞こえたら、なんとなく人の存在を意識するじゃないですか。
感覚で得た、「自分のすぐそばの情報」ってどうしても気になってしまうものなんでしょう。
気にしたくないから見えないようにしたい
で、こうした感情の揺さぶりが常にあるのはストレスなので、私達はしばしばそれを避ける行動を取っています。
たとえば、よく聞く「不倫するならバレないようにやって」なんてそうでしょう。
現実に事実が存在することよりも、その事実を自分が認知させられて感情を揺さぶられることに対し、人は案外、拒否感を持つのです。
だからこそ、私達は見ると不快な気持ちが起きることが分かってるtweetをミュートしたり、ブロックしたりするわけです。
私達は「見えなくなれば気にならない」からこそ、「気にしないために見えないようにしたい」のですよね。
ゲームが嫌われるわけ
こう考えると、「在宅○○」のストレスの理由が見えてきます。
ちょっと脱線なのですが、在宅におけるストレス誘発行為を象徴する例として、「web学会」よりも一般的でより分かりやすいのが「ゲーム」でしょう。
家庭におけるパートナーへの非難の声で、「すぐゲームしてる」というものは非常に多いです。
もちろん、実際にサボってるからこその非難の要因も多いのでしょうけれど、今までの話を踏まえると「ゲームを遊んでるという行為が目の前で繰り広げられるものだから」という要因が否定できないのではないでしょうか。
うーん、ゲームだと皆の想いが強すぎそうな気もするので、もうひとつ例を増やします。
たとえば、江草の父はゴルフが好きなんですけどね。
休みの時。父がゴルフ場にでかけて家を不在にしている時よりも、庭先で素振りしてる時の方が、子供心には「またゴルフしてる」という気持ちが湧いたものです。
しかし、考えてみれば、「ゲーム」や「ゴルフの練習」といったものは、外出する手間や移動時間がありませんから、時間的メリットが大きい趣味行為です。
所要時間の絶対量としては「ゴルフ場でのプレー」や「飲み会」の方が、スキマ時間に行っている「ゲーム」よりもよっぽど多くの時間を費やしている場合もあるでしょう。
しかし、「ゴルフ場でのプレー」や「飲み会」の方は行く時と帰ってきた時はムカつくけれど、途中の時点では目の前にいないので、意外と気にならない。
したがって、目の前であからさまに遊んでる姿を見せつける「ゲーム」や「ゴルフの練習」よりも、とりあえず近くにはいない「ゴルフ場でのプレー」や「飲み会」の方が、単位時間あたりの家族感情を刺激する度合いは少ないと言えるのではないでしょうか。
というわけで、多くの人に人気があり、かつ、スキマ時間に行える手軽さがあり、そして目の前で行われるために家族感情刺激性が強いことから、家庭内では「ゲーム」という行為に批判の矛先が集中するのだと考えられるのです。
web学会はどうか
では、もともとの話のきっかけであった「web学会」はどうでしょう。
さすがにゲームではないので、「遊んでる」「サボってる」という意味での直接的なイライラは少ないと思います。
しかし、web視聴に使うPCやタブレット、あるいはスマホは、仕事にも使える反面、遊びにも使えてしまう代物です。
意外と、その後ろ姿だけでは他者からは「仕事しているのか」「遊んでいるのか」区別がつかないんですよね。
会議中にメモを取ろうとスマホを取り出したら怒られるという話もあります。
これも理屈では理解していても感情がついていかないパターンですね。
しかも、web学会の講義の合間に休憩時間があったりはするわけです。そうでなくても、講義中にちょっと集中力がキレてついスマホを覗いてしまう場面もあるでしょう。
そんな瞬間を家族がたまたま目撃して、スマホを見てリラックスしているように見えてしまったら、その視聴時間を確保してあげている家族からは「なんか暇そうじゃん」とイラッとされてしまいかねません。
普段は学会場で、講演中や講演の合間にちらちらスマホを見る人は少なくありませんし、もちろんそれを目撃されることはないので家族の感情を揺り動かすこともありません。
しかし、全く同じ行為でありながら、在宅web学会視聴中にタイミング悪くそれをやると、家族のヘイトが溜まってしまいうる恐ろしさがあるのです。
家庭内でゾーニングをどうするか
このように「在宅○○」での家族イライラ問題は、「目の前にいる」「そこにいる」と家族に印象づけてしまうことが原因の一つでしょう。
なので、これを対策するには、家庭内で、「家庭関連の場所」と「在宅作業をする場所」をゾーニングして、「目の前にいる」という印象を和らげる必要がありそうです。
今回の話に限らず、一般的にも、在宅ワークで寝室と仕事場は分けたほうがよいとされています。自分の集中力が発揮できなかったり、不眠につながるらしいです。
つまるところ、同じ部屋や場所に、多数の役割を同時に担わせるのは難しいということなのでしょう。
在宅ワークでは、ほっておくと、生活するところ、家事をするところ、仕事をするところ、リラックスしたり遊ぶところといった役割概念がごっちゃになってしまうんですよね。
自分自身でさえそうなら、家族にとってはなおさらそれらの場所役割の区別は難しいはずです。
ですので、最初からきっちり家族で話し合って、区域を分けきる必要があるでしょう。
というわけで、できるかぎり家の中での場所役割の区別を明確にする必要があるのですが、いかんせん日本の住宅は狭すぎます。
部屋の数がそんなにあるわけではないですし、部屋の中に取ってつけたようにブースを作っても、ある程度の目隠しにはなっても「そこにいるよ感」はあまり薄れないので、効果は限定的でしょう。
そう考えると日本の住宅ではなかなかシビアな話です。
もう、ストレスのない「在宅○○」のためには、カフェなりコワーキングスペースに行くなり、小さくとも事務所を借りるなり、できる限り自宅の外で作業すべきなのかもしれません。もはや在宅でないので、語彙矛盾ですが。
そう考えると、職場やオフィスの存在のありがたみが分かってきますね。
もちろん家庭のことはやった上でのお話ですよ
今日のメインの話はこんなとこなんですが、念の為、ちょっと注記をしておきますね。
もちろん、家事や育児、子供との交流の絶対量が不足していたり分担が不公平であった場合に、パートナーや子供から不評を買うのは当然です。
なので、そうした活動をサボって他の「在宅○○」をするのは、江草は当然感心しないとする立場です。
ただ、そうした「家族」関連の条件が一致していたとしても、なんなら在宅の方が移動時間などが節約できる結果、家族との時間がより多く確保できていたとしても、「在宅○○」はどうしたって「もっと家のことやってほしい」「かまってほしい」という家族の気持ちが起きやすくなるのでは、というのが今日のお話です。
以上です。ご清読ありがとうございました。
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