橘玲『無理ゲー社会』読書感想文~キレイゴト抜きの現代社会問題レビューとして優れた一冊~

無理ゲー社会表紙画像読書

橘玲著『無理ゲー社会』読みました。

 

無理ゲー社会 (小学館新書 た 26-2)
人生の攻略難易度はここまで上がった。 〈きらびやかな世界のなかで、「社会的・経済的に成功し、評判と性愛を獲得する」という困難なゲーム(無理ゲー)をたった一人で攻略しなければならない。これが「自分らしく生きる」リベラルな社会のルールだ〉(本書より) 才能ある者にとってはユートピア、それ以外にとってはディストピア。誰もが「...

 

表紙に「才能ある者にとってはユートピア、それ以外にとってはディストピア」と不穏な一文が刻まれています。

この一文の通り、現代社会が「無理ゲー」となってる惨状をつまびらかに指摘した本です。

 

正直言って、この本、かなり良かったです。

もともと橘氏のファンなので、ひいき目もあるとは思いますが、それにしても読んでいて感激が凄まじかったです。

 

なんといってもすごいのはこの本の射程の広さです。

リベラル、メリトクラシー(能力主義)、格差社会(上級国民問題)、インセル(モテ/非モテ問題)、ベーシックインカム、MMT、富裕税、脱成長、加速主義、反出生主義などなど、今まさにあちこちで論争となってる問題がてんこ盛りです。

これだけの話題が詰め込まれてるにも関わらず、読みやすく、面白い、さすがの筆致に脱帽しました。

 

話の基軸は、サンデルの『実力も運のうち』も出て、もはや最近の書籍の定番テーマとなっている「リベラル能力主義社会の矛盾」です。

なぜこうも皆が生きづらい社会になっているのかの原因を、「リベラル」や「能力主義」に求めていきます。 

そういう意味では挙げられたテーマそれぞれは決して目新しい話というわけではありません。

しかし、これほどの幅広い話題を一般大衆向けに「面白く」書き上げてる書籍というのはあまりないのではないかと思います。

 

たとえば、同テーマの書、サンデルの『実力も運のうち』は確かに名著ではあると思いますが、やっぱり硬い内容や文体であり決して万人受けするものではないでしょう。 

実力も運のうち 能力主義は正義か?
ハーバード大学の学生の三分の二は、所得規模で上位五分の一にあたる家庭の出身&...

 

その点、橘氏の本書では様々な知見を統合する力量に長けた氏だからこその、参照エピソードの物量パワーと語りの見事さが圧巻で、サンデル近刊はもちろんエンタメアニメ映画や古い小話まで引用されており、読者を引きつける力が凄まじいです。

本書はあくまで重く暗いテーマを扱ってるにも関わらず、単なるリベラルやメリトクラシー批判本ではありえない「つい読み進めてしまう面白さ」があります。

また、あくまでアメリカ目線のサンデル書と異なり、日本社会の実態や時事ニュースも踏まえている話が多いのも良い点でしょう。

 

そして、あくまで丁寧な言葉遣いでありながら、キレイゴト抜きに赤裸々に社会の矛盾を露わにする相変わらずの橘玲節です。

キレイゴトなく身も蓋もない話が続くので、確かに刺激がきつい箇所も少なくありません。しかし、大事な問題なればこそ、目を背けて思考停止してはいけないというものでしょう。

 

市場原理を好む橘氏らしく左派には過度に辛口すぎる傾向や、一部疑問に感じる主張のところもありましたが、基本的には全般丁寧な問題分析と大事な批判や課題を提示されており、優れた洞察に満ちた考察がなされていると感じました。 

たとえば、ベーシック・インカムの持つ「排外主義的な顔」や、たとえ貧富格差を乗り越えてもその後に待つ「評判格差社会」というディストピアなど、あまり語られないけれど大事な問題提起が様々なされています。

 

しかも、本書はこの社会の難題をどう対応すべきかのビジョンも――あくまで完璧でも理想的でもないまでも――橘氏なりにちゃんと提示されていて、誠実な姿勢であると思います。

 

本書で挙げられてる社会問題はもちろんいずれも難しい問題ばかりで、橘氏の見立てや主張が必ずしも正しいと言えるわけではありません。

しかし、これだけの幅広い問題をコンパクトに詰め込みつつ、深い洞察にも満ち溢れ、しかも誰にとっても読みやすく面白く書かれた本書は貴重な存在で、現代の社会問題をレビューするのに優れた本と言えるでしょう。

 

社会における議論の前提知識としてぜひ広く読まれるべき一冊と考えます。

オススメです。

 

無理ゲー社会(小学館新書)
人生の攻略難易度はここまで上がった。 〈きらびやかな世界のなかで、「社会的・...

 

 

気になったポイントにコメントします

さて、ここからは、江草が個人的に読んで気になった箇所に対してのコメントをしていきます。

全体として優れた本とは思いましたが、やはり疑問点も時々ありました。

ファンだからこその忌憚ない意見として一応提示しておきます。

 

テーマを跳びながら触れていくため、どちらかというと読後の人向けの内容になると思いますので、本書を読んでない方は読後に見られると良いかもしれません。

 

 

「マネー」と「労働」と「欲望」に肩入れしすぎでは

橘氏の主張は全体に「マネー」と「労働」と「欲望」に肩入れしすぎのように感じました。

 

マネー

たとえば、「マネー」についてはこの箇所。

ジェフ・ベゾスやイーロン・マスクは帳簿上、20兆円もの莫大な資産をもっているが、そのほとんどはアマゾンやテスラの株式を時価評価した、いわばヴァーチャルなものだ。超富裕税が導入されると、納税資金を得るため、毎年資産の10%の株式を市場で売却して現金化しなくてはならないが、これによってアマゾンやテスラの株価が大きく下がるかもしれない。そうなれば保有資産の時価評価も縮小し、その分だけ税収も減ることになる。これでたしかに経済格差は改善するだろうが、それは市場=社会全体の富が失われる「縮小均衡」のようにも思える。

橘玲.無理ゲー社会(小学館新書)(Kindleの位置No.2448-2454).株式会社小学館.Kindle版.

株式を時価評価したものを「ヴァーチャル」なものだと言いながら、氏は一方で「社会全体の富」が失われることを恐れています。

しかし、株式の時価評価が「ヴァーチャル」ならば、「社会全体の富」も同時に「ヴァーチャル」なはずで、それにこだわる意義があるかどうかが議論になるでしょう。

それがあくまで「ヴァーチャル」なものであればなくなっても別に困らないのでは、と。 

実際、ベーシック・インカムやMMTあるいは脱成長といった最近の資本主義を見直す動きは総じてそうした「マネー」の「ヴァーチャルさ」を自覚して、あくまで「リアル社会」のための道具として「マネー」を見直そうとしている側面があります。

もちろん、これに再反論も可能ですけれど、少なくとも氏の全体的な論調は「マネー」の意義を疑わずに済ませようとしてるきらいがあるように感じました。

 

労働

次に「労働」について。

  

たとえば「労働」については氏はこうした論調の箇所が見られます。

無条件で現金を給付するUBIは就労と所得を切り離すから、働くことは「どうでもいいこと」だ。働かなくても安楽に暮らしていけるのだから、仕事は趣味と同じで、「やりたいひとだけがやればいい」ことになる。
それに対して「最後の雇い手」では、仕事こそが人間の尊厳の源泉で、失業による精神的な損失はお金を受け取るくらいではとうてい埋め合わせられないとする。仕事を通じて顧客から感謝され、社会から認められることで、ひとびとは幸福を感じるのだ。
ここまではきわめて真っ当な主張だが、知りたいのは「政府はどういう条件でどんな仕事を提供するのか」だろう。

橘玲.無理ゲー社会(小学館新書)(Kindleの位置No.2317-2323).株式会社小学館.Kindle版.

もちろん、累進税率は高ければ高いほどいいわけではない。高額の収入に100%の限界税率を課せば、ほとんどのひとは一定の収入に達したら働くのをやめてしまうだろう。

橘玲.無理ゲー社会(小学館新書)(Kindleの位置No.2396-2398).株式会社小学館.Kindle版.

 

あくまで明示的ではないものの、UBI(ベーシック・インカム)より雇用保障プログラム(いわゆるJGP)の方に好意的であったり、税率が高い場合に働くのを辞めてしまうことを懸念したりと、氏は「できる限り働き続けること」を重視してるように思われます。

一般的には真っ当で常識的な意見でもあり、それが間違ってると江草もいきなり断じようとしてるわけではありません。

しかし、他の様々なテーマについては批判的吟味を深めていた氏だけに、ここを掘り下げないのは少しひっかかりを覚えます。

 

というのも、「働くこと」そのものを重視する姿勢は、『ブルシット・ジョブ』などで最近批判の対象になりつつあるからです。

ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論
やりがいを感じないまま働く.ムダで無意味な仕事が増えていく.人の役に立つ仕&...

「ブルシット・ジョブ」とは故デビッド・グレーバーの造語で日本語では「クソどうでもいい仕事」などと呼ばれますが、「自分自身でどうでもいい仕事と気づいてるのに他人には有意義な仕事をしているかのような顔をしないといけない仕事」を意味します。

この原因として「働き続けることは良いことだ」とする「世の中の常識」があるとグレーバーは指摘しています。

 

実際、橘氏自身も本書の中で実際の政府の雇用保障プログラムの内容をいくつか提示して「これで尊厳が保てるのか」と疑問を提示しています。

それはまさにグレーバーも問題として指摘していたところで、そうであれば「無理やり働かせ続けること」の意義は考え直すべきテーマなのではないでしょうか。

 

もちろん、橘氏の言う通り「仕事」と「尊厳」が結びついてる人は多いです。

しかし、これまではそうでも、これからもそうとは限らないのではないでしょうか。

 

たとえば、尾原和啓氏は『モチベーション革命』の中で、最近の若者のハングリー精神の無さを指摘していますし、

モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書 (NewsPicks Book)
2作連続Kindle総合一位の著者が贈る。ヒカキン氏、落合陽一氏、石川善樹氏絶賛! テ

最近話題になったnote記事でも、会社での仕事にアイデンティティを求めない若手の存在が議論を呼びました。

『会社内での自分の存在価値を可能な限り低く保っていたい』という若手|よんてんごP|note
「えぇーッ!?」である。 先日とある機会があって、お仕事現場の20代の若手社員さんとお話する機会があったのだが、何かの折に、このnoteのタイトルにある発言が出てきた。 「ホント、可能な限り僕らは社内での存在価値?みたいのを低くしておきたいんですよ」 思わず真顔で聞いてしまった。 「な、なんで…??」 存在価値...

それこそYouTuberのキャッチコピーの「好きなことで、生きていく」や、落合陽一氏の提唱する「ワークアズライフ」なんかもあります。

 

このような、仕事の意義や定義の融解が進むトレンドから見えてくるのは、もはやこれからの若者には「仕事で尊厳」という感覚自体がなくなってるかもしれないということです。

「仕事で尊厳」の価値観を持つ人間にとっては「仕事がないこと」は悲劇ですが、「仕事で尊厳」の価値観を持たない人間にとっては「仕事がないこと」は特に問題にならないかもしれません。

むしろ「たいした意味もなく無理やり働かされること」の方が彼らにとってはよほど悲劇な可能性はあるでしょう。

 

本書では総じて「ホワイト・プア」などのこれまでの「仕事で尊厳」の価値観の人たちについて議論を進めてらっしゃいます。

その被写界深度の範囲では、確かに橘氏の考察自体は大きな誤りはないと思います。

しかし、これからの未来のことを考える場合には「仕事の尊厳」そのものが変容してしまう可能性も考慮して損はないのではないでしょうか。

 

欲望

あと、「欲望」について。

この主張にはかなりの説得力があると思うが、それにもかかわらず、この対立の決着はすでについているのではないか。
道徳的に正しいかどうかは別として、わたしたちは「もっとゆたかになりたい」「自分や家族を幸福にしたい」「自分らしく生きたい」という夢をあきらめることはできない。そして金融資本主義と自由市場経済は、この〝夢〟をもっとも効率的にかなえてくれる。
ヒトに欲望があるかぎり、資本主義から「脱却」することはできないだろう。

橘玲.無理ゲー社会(小学館新書)(Kindleの位置No.2149-2153).株式会社小学館.Kindle版.

橘氏はこのようにヒトには「欲」があるから資本主義から脱却はできないと主張されています。

江草もコレ自体はそうかもなあと思うところもあるのは事実ですが、実のところこの主張そのものが「脱成長派」が論点にしてるところなのですよね。

つまり、「欲があるから資本主義から脱却できない」という主張こそが「思い込みだ」と。

 

たとえば脱成長派の最近の対談記事を示します。

 まず斎藤さんの問題提起を受けて言いますと、資本主義が人間の性(さが)に基づいているという考えは、間違いだということを押さえておく必要があります。資本主義の特徴は、価値の増殖や資本の蓄積への欲望が、無限になってしまうことです。でも動物は無限の欲望なんて持っていません。必要を満たしたら終わりです。ですから無限の欲望に駆られるというのは、きわめて非動物的なメカニズムなんですね。動物としての人間の本来的な性質を全面開花すると自然に資本主義になる、などということはないのです。

斎藤幸平×大澤真幸「脱成長コミュニズムは可能か?」――『なぜ、脱成長なのか』『新世紀のコミュニズムへ』刊行記念対談(前編)
斎藤幸平×大澤真幸「脱成長コミュニズムは可能か?」――『なぜ、脱成長なのか』『新世紀のコミュニズムへ』刊行記念対談(前編)|本がひらく
 コロナ下の状況で資本主義の弊害や問題点が明らかになった現在、そのオルタナティブとして注目されるのが「脱成長」であり、「コミュニズム」です。  ヨルゴス・カリスらによる翻訳書『なぜ、脱成長なのか:分断・格差・気候変動を乗り越える』の解説を担当した斎藤幸平さんと、新著『新世紀のコミュニズムへ——資本主義の内からの脱出』を...

 

ここでの大澤氏の発言について江草も別に賛同はしてません(むしろ論としては粗いとすら思ってます)。

しかし、そもそもの脱成長議論での争点の一つであることは分かります。

にもかかわらず、その争点をあっさりと自明であるかのようにスキップしてしまうのは橘氏の方も丁寧な論証ではないと言えるでしょう。

 

実のところ、先の「労働観」の変化と同様にこうした「欲望」についても若者の見方は変化してる可能性はあります。

 

たとえば、けんすう氏は少し前のnote記事で「何者かになりたい」という欲を刺激することに頼るSNSはそろそろ衰退しそうと指摘しています。

このnoteでは「何者かになりたいという欲を刺激して、一部のインフルエンサーと大量のワナビーを作りだすようなSNSがそろそろ飽きられて、違う目線のSNSが増えていくんじゃないかな?」的なことを書きます。

「何者かになりたくなる」SNSはそろそろ衰退していくのかな?という予感
https://kensuu.com/n/nfc5b7403f74e

つまり、今の若者達は「自分らしさを打ち出す欲」が意外と弱く、あくまでフラットにゆるくつながることを求めている傾向がある、と。

 

もちろん、これをすぐさま一般化していいとは言えませんが、さきほどの尾原氏の語る「ハングリー精神のない若者像」ともつながりますし、橘氏を始め今の大人たちが当たり前に思ってた「欲」そのものもゆらいできている予兆という可能性はありえるのではないでしょうか。

 

ですから、今後の若者たちのことを考える時は、若者が私たちと違う価値観を持っている可能性を見据えて、今までの私たちの経験を援用するのには慎重になるべきかと思います。

 

サンデルのくじ引き論をポジショントークで片付けるのは適切ではないのでは

本書ではメリトクラシー論にも切り込んでいるのもあって、マイケル・サンデルのメリトクラシー批判本『実力も運のうち』を引用されてますが、橘氏はかなり批判的に切り捨てています。

もちろん、江草も以前読んで疑問点も多く感じるサンデル書ではありましたが、今回の橘氏の切り捨て方はさすがに適切ではないように感じました。

 

というのも、ネットでも議論を呼んだサンデル氏提唱の「大学入試くじ引き案」を、橘氏は「ハーバード大のステータスを保つためのポジショントーク」や「哲学芸人のパフォーマンス」として一蹴しています。

これはサンデル氏の意見を批判するにしても、あまりに人格批判的で大人げないように思います。

 

それに、サンデル氏の書を読んだ記憶からすれば、サンデル氏も何も能力主義を完全に消滅させることをもくろんでいるわけではなかったはずです。

世の中には現に優秀な人材が必要だという点と、現状の能力主義の常識への歩み寄りという点から、「ある程度の実力がある者の中から抽選で合格者を選ぶ」という案はサンデル氏の現実的な妥協案とも見ることができます。

これをハーバード教授のポジショントークとするのは、いささか無理があるのではないでしょうか。

 

批判するにせよ、ここの議論についてはもう少し丁寧な論がほしかったなと感じます。

 

  

むすびに

というわけで、総論で褒めちぎった上で、細かい箇所では批判的コメントも添えておきました。(他、気になったところを思い出したら後日追記するかもしれません)

 

色々言いましたが大変に面白い読書経験であったのは違いありませんし、橘氏のこの内容を一冊にまとめる力量にはただただ脱帽するばかりです。

また今後の本も期待しております。

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

 

無理ゲー社会(小学館新書)
人生の攻略難易度はここまで上がった。 〈きらびやかな世界のなかで、「社会的・...

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