本屋ってほんといいですよね。
たとえば、一番目につく平積みコーナー。
資本主義の権化とも言えるビジネス本のすぐとなりに脱資本主義を唱える本が並び、
「○○力」みたいなまさしく能力主義的な自己啓発本のすぐとなりに能力主義を批判するサンデル本が置いてある。
常に矛盾とともに生きている人間の有り様がとてもよく表れていますよね。
また、小説やマンガのスペースも一大勢力で、人が理屈っぽい話だけでなく感情を動かされる体験や物語が好きってことがよく分かります。
そして、人は多趣味です。
それぞれスペースは広くはないものの、本屋には驚くほど多様なジャンルの本が収められています。
絵を描いたり、園芸をしてみたり、フィットネスをしてみたり、サバゲーをしてみたり。
まさしく人間社会の縮図です。
だからいつ見ても本屋さんは面白いのです。
しかし、それにしても目立つのは自己啓発本やビジネス本ですね。
ためしに「○○力」とか「△△の方法」とか禁止ワードにしてみたら、本屋さんのフロアにかかる荷重は激減しそうです。
でも、なんでここまで自己啓発本やビジネス本は増えてるのでしょう。
本屋は人間社会の縮図とすれば、これは考えるのに面白いポイントでしょう。
江草の勝手な説を披露します。
2つほど大きな理由がありそうです。
1つ目は、実利的な必要性です。
世の中の競争社会の性格が強くなって、自分個人の力を高めないと生き延びれなくなってきました。
だから、自分の力を高めてくれると期待される自己啓発本やビジネス本が跋扈することになったのでしょう。
そもそも、金融や投資関係の業界の羽振りが良いことから分かるように、資本主義社会では人は「自分にお金をくれる人」「自分にお金を儲けさせてくれる人」にこそお金を気前よく出すものです。
自分のお金を儲けさせてくれると期待できる自己啓発本やビジネス本も、「元を取れる」と思わせる魔力があるので財布のヒモが緩みやすいんですよね。
だから、出版社のビジネス的にもたいへん美味しいために、書店を訪れる度に違う顔ぶれに一新されてるほど、自己啓発本やビジネス本が量産されるのでしょう。
2つ目は、精神的な必要性です。
神様を崇めるような、いわゆる宗教的な信仰が下火になって久しい現代社会。
偉大な畏怖すべき存在を失った結果、人々の信仰の対象が外界ではなく自分の内側に移ったように思うのです。
つまり、自分の潜在能力です。
まだ発揮できてないだけで、自分には力が潜んでいる。
うまくやれば自分も成功できる。
自己啓発本でよく聞くようなフレーズですよね。
こうやって努力を促したり、実際に発奮することはもちろん必ずしも悪いことではないでしょう。
否定はしませんし、むしろ良いことなんじゃないかなとも思います。
かくいう江草自身も、やる気出したいときには、自己啓発本の類を見て気分を高めることはよくあります。
ただ、それでもやっぱりこれって、ある種の信仰だと思うんですよね。
人々が精神的な拠り所にできる神秘がもはや「自分の潜在能力」しかない。それを信じるしかない。
そんな風に感じるんです。
信仰はいい面もありますけれど、こじらせるとそれは呪いにも似てしまいます。
書店一面に咲く自己啓発本は、そうした、人のなにか「寂しさ」みたいなものを表しているようにも思えるのです。
ま、あくまで個人の感想です。
でも、願わくば、本屋からもう少し自己啓発本が減って、詩の本なんかが増えて、もっと多趣味感が出せるようになれば、人間社会もちょっと余裕が出てきたかなって思える気はするんです。
とにもかくにも。
こんな風に人のもろもろが垣間見えて、考えがいがあるので、本屋さんはやっぱり好きなんです。
また行こう。
以上です。ご清読ありがとうございました。
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