『Humankind 希望の歴史』読書感想文~確信犯的な人類啓発書~

読書

各所で熱烈な反響も見られる話題の書『Humankind 希望の歴史』読みました。

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一言で言えば、「ほとんどの人は、本質的にかなり善良だ」という考えを述べてる本です。

要は性善説ですね。

 

 

本書を読むことになったのは勝間和代さんがこの本を激推しされている記事がきっかけです。

あくまで「勝間さんの記事を読んだ感想」として、江草も直観的に

「未読で気になってる本ではあるんですが、個人的には、人間は『利己的かつ利他的』という矛盾した存在なだけなんじゃないかと思ってます。『どっちかだけが本質のはず』とするから現実との齟齬が出るのでは。」

と性善説にも性悪説にも否定的なコメントをしたところ、「(本を)読んでから書いたらいいのに」というエアリプをいただいたので、「それも確かにそうか」と思い読んでみました。

 

 

……さて、本を読んだ結果として、実のところ江草の先ほどの直観に変化はありませんでした。

ただ、予想を超える良い本でした。

正直言って面白かったですし、大変感銘を受けました。

著者の提案も、そもそもの江草のスタンスにかなり近く、素直に賛同できます。

 

「え、性善説に否定的な見方が変わらなかったのに、性善説を謳う著者に賛同するってどういうことよ」と疑問に思われるかもしれません。

でも、これ矛盾はしないんです。

というよりむしろ、「これが矛盾しないこと」こそが、本書の最大の特長です。

 

どういうことかというと、本書は「性善説が事実かどうか」という事実レイヤーではなくて、「私たちは性善説を信じるべきである」という「思想」あるいは「信念」としてのレイヤーの話をしている本なんですね。

ほとんどの人間は信用できない、とあなたが思うのであれば、互いに対してそのような態度を取り、誰もに不利益をもたらすだろう。他者をどう見るかは、何よりも強力にこの世界を形作っていく。なぜなら、結局、人は予想した通りの結果を得るからだ。地球温暖化から、互いへの不信感の高まりまで、現代が抱える難問に立ち向かおうとするのであれば、人間の本性についての考え方を見直すところから始めるべきだろう。
はっきりさせておこう。本書は人間の美徳について説くものではない。明らかに、人間は天使ではない。人間は複雑な生き物で、良い面もあれば、良くない面もある。問題は、どちらを選択するかだ。

ルトガー・ブレグマン.Humankind 希望の歴史 上 人類が善き未来をつくるための18章(文春e-book)(Kindleの位置No.398-403).文藝春秋.Kindle版.

 

「人は利己的でも利他的でもある矛盾した生き物であること」は著者も否定はしていません。

しかし、それを分かった上で著者はあえて「性善説を選ぶこと」を提案してるわけです。

だから、あくまで事実レイヤーの話であった江草のコメントと矛盾しないまま、思想レイヤーとしての著者の提案に賛同することは可能なのです。

 

 

誤解ないように言っておくと、江草は「本書は事実無根である」と言ってるわけではありません。

本書には「事実レイヤー」の話は当然でています。

むしろ、著者による執念深い調査検討の結果を提示しながら、ミルグラム実験をはじめとした性悪説の論拠となってる「事実」を突き崩すことが本書のほとんどのボリュームを占めています。

この「性悪説をやっつける各章」は、いわば「勧善懲悪もの」であって普通に面白いですし、説得力もあります。

 

ただ、これらの話を読んで「そうか性善説が正しいんだ」と腹落ちしてしまうのは拙速です。

とくに最近、社会心理系、行動経済学系の学説の再現性や不正の問題が取り沙汰されています。

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この流れの中で性悪説の論拠となる研究にも批判を加えたのが本書の功績なわけですが、こうした批判的吟味は性善説にも当然向けられなくてはなりません。

本書で性善説の論拠としてでてきているエピソードや研究も、性悪説がそうであったように、バイアス、誤謬、不正が多分に含まれている可能性は否定できないのです。

ですから、本書の論拠だけをもって、手放しで性善説に与するのは「お人好しがすぎる」というものでしょう。

 

なのですが、本書が言いたいことはまさにこの「あえてお人好しになれ」ということなんですよ。

 

「事実レイヤー」での課題が残っているのを織り込み済みで、確信犯的に「性善説たれ」と説くところがこの本の最大の特長であり、また野心的なところなのです。

すなわち、この本はあくまで「人の本性を正確に捉えよう」という本ではなく、「人の本性を善と考えると社会は良くなる」と主張しているいわば「人類啓発書」なんです。

これが本書を読み解く上で最大のポイントと思います。

 

本書が数々の有名な「性悪説の論拠」を崩す試みを行ったのは、みなが性善説を受け入れやすくするためであって、性善説の正しさを厳密に証明するものではないのです。

実のところ、それは目的ではなくあくまで手段なのです。

だから、この本の「人の本性は善である」というスローガンに惹かれて、事実レイヤーでの「厳密な性善説の正しさの証明」が書かれてあると思って読むと肩透かしを食らわされることでしょう。

バートランド・ラッセルに親しみを覚えるような懐疑主義者(江草を含め)は、野暮なことに「いやまだつっこみどころがあるのでは」とついつい思ってしまいがちですが、この本はそういう「疑い続ける人」でなく「信じることのできる人」のための本なのです。

 

 

とはいえ、この特徴は本書を否定するものではなく、むしろそういう本だと理解してこそ、素晴らしい価値ある本と言えます。

あとがきによれば、ベーシック・インカムを支持する前作を記した著者が「ベーシック・インカムなんて配ったら人は怠けるに決まってる」という批判を受けたことがきっかけで本書は生まれたのだそうです。

(前著はこの本ですね。) 

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江草自身もベーシック・インカムに支持的な立場なのもあり、ベーシック・インカム批判で必ず登場する「人は怠けるはずだ」という主張の根拠はどこから来るのかをずっと考えていました。

でも、おそらくそうした性悪説に事実レイヤーでの根拠はさほどなくて、ある種の「思想」であり「信念」でしかなかったというのがまさしく本書が示したところです。

もともと世に広まってる性悪説だって根拠が薄いのであれば、人々の頭の中にある性悪説を性善説に書き換えることはさして問題ではないでしょう。

それで社会が良くなるのであれば、なおさらです。

 

 

「人の本性は善である」などと言われると、「また青臭い理想論を」と反発する人は少なくないでしょう。

しかしこの本の本質はむしろ理想論とは真逆で、著者自身が高々と宣言している通り、これは「あたらしい現実主義」を提示する本なのです。

日頃、現実主義者(リアリスト)を自称している性悪説論者こそが現実に即してない「空論を述べる者」であると喝破し、「人の善性を信じること」のみが社会を良くすることができる唯一現実的な方法であると主張する、そういう現実の実践を重んじてる本なのです。

その意味で言えば、江草のように、やいのやいのとツッコミどころばかりに気を向けて「厳密な真実の追求」に永遠にとらわれてる方がよほど青臭い理想論ではあるのかもしれません。

 

 

本書は上下巻に分かれていてそこそこのボリュームがありますが、文章は平易で読みやすく、各章のエピソードも普通に面白いので手に取りやすい本だと思います。

一般的にももはや「常識」と化している「人間の恐ろしさ」は本当なのかを批判的吟味する体験は知的冒険として非常に楽しいですし、もしかすると社会を良くするきっかけになるかもしれないというオススメの一冊です。

 

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……といいつつ、ここから余談です。

野暮とは思いつつも江草の性格的に、多少はつべこべ言っとかないと気がすまないんですよね。

 

 

繰り返しますが、これまで見てきたように、本書は「人の本性は善である」と実は断定はしておらず、あくまで「現実的に考えて人の本性は善であると信じるべき」と提言する本です。

「性悪説の方が性善説よりもよほど嘘っぽい」とさえ示せれば本書の主張の論拠としては十分で、厳密に「人の本性は善である」と証明する必要はないところがキモです。

なので、すぐ出てきそうな「人の本性は善であるはずがない」という批判には「真実は知らないけど性悪説よりは根拠があるなら性善説を採るのが現実的でしょ」とかわすことができる仕組みになっています。

 

ただ、一方で本書にも堅守しないといけない大前提が存在しています。

プラセボ効果とノセボ効果です。(ピグマリオン効果とかゴーレム効果という方が社会心理学的にはすわりがいいのかもしれませんが)

 

何かを強く信じると、それが現実になることがある。ノセボ効果を避けるための教訓が一つあるとすれば、それは、「考えは単なる考えではない」ということだ。人は考えた通りの人になる。人は探しているものを見つける。予想したことは現実になる。
何を言おうとしているかは、もうおわかりだろう。そう、人間についての厳しい見方も、ノセボの産物なのだ。

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つまり、「自分がそう思えば実際その通りになる」という「自己成就予言」的な現象です。

プラセボ効果(ピグマリオン効果)がポジティブな作用、ノセボ効果(ゴーレム効果)がネガティブな作用を指すイメージです。

 

著者は「人間に対する厳しい見方」も「ノセボ効果である」と断じています。

つまり「人間は恐ろしいんだよ」と性悪説を散々聞かされ続けたせいで、実際に人々は利己的になってしまったんだというロジックですね。

「ノセボ効果」という言葉は「人が利己的になってしまった理由」として本書を通じて繰り返し登場しますし、「性善説をみなが信じることで人は本性である利他的な性質を発揮できるようになる」という本書の最重要提案には「プラセボ効果」が大前提があることは明らかです。

だから、一見目立つ「性善説」ではなく、この「プラセボ効果」や「ノセボ効果」こそが本書の最大の急所なんですね。

 

プラセボ効果やノセボ効果は医学領域でも常識として普通に語られる概念ですし、別に荒唐無稽というわけではありません。

でも、本来利他的な本性である(と著者が言うところの)人間を利己的に変えたり、あるいは利己的になってしまった人間を利他的に戻すほどの効果があるかどうかはまた別の話です。

そういう現象の存在が確かに知られているからといって、「強い主張の論拠となるほど十分に強力か」は分からないのです。

 

本書では性悪説の否定や性善説の肯定にはかなりの労力を割いていますが、こうしたプラセボ効果やノセボ効果にほんとうに著者が言うほどの強大な力があるかどうかについては、けっこうスルッと話を進めている印象です。

それこそ、今や社会心理学や行動経済学の定説にまで再現性の問題が指摘されてる中で、「人間が利己的になった理由はノセボ効果で、人間を利他的に戻す処方箋はプラセボ効果なんだ」と断じるのはあまりに素朴すぎるように感じてしまいます。

 

 

また、著者は「人の本性は利他的なんだ」などと「人の本性」にこだわりすぎてるきらいもあります。

とりあえず著者の言うノセボ効果の強力さを素直に受け入れるとして、たしかに何も社会の荒波にもまれなければ人々は善良で利他的なのかもしれません。

でも、それでも社会や共同体なしに生活し育つ人はもはやいないでしょう。

本性が善であれ悪であれ、結局は社会の影響がまぬがれないのであれば「何も外的作用がない状態を想定する本性」にどれほどの現実的意味があるのでしょうか。

 

たとえば、リベラリズムの偉人ロールズが提案した「無知のヴェール」という思考実験があります。

「各々が自分の人種や性別や家柄、富裕など自分に関する情報を知らないとして理想の社会制度を考えるなら最も苦しい立場の人に有利な制度を人は選ぶはずだ」というやつですね。

これはもちろん大変に重要な考え方と思うのですが、厳しい批判もあるのです。

その1つに「個人の価値観はどうしたって自分の所属する共同体の文化からの影響は受けてるのだから、何も無知な状態での価値判断という想定はそもそも不可能」というものがあります。

つまり、「所属してる共同体の背景を消去してしまうとそもそも価値判断なんてできなくなるでしょう」と。

 

本書の「人の本性は~」という切り口も、ちょっと似たものを感じるんですよね。

「何もなければ善良」と言ったって、何もかもがありすぎる世の中でどれほどの現実的な意味があるかは疑問です。

もちろんそうしたことを考える価値がないというわけではないのです(江草もあれこれ考えるのは好きですし)。

でも、人の本性がどうだろうと、ノセボ効果の影響でもなんだろうと、現実に「ほとんどの人が利己的に染まってしまってる」のだとしたら、「理由はどうあれ人は利己的」という現実から始まらざるをえないのではとも思うのです。

 

何より無垢な状態の本性にこだわりすぎると、「じゃあその本性とやらに人は戻れるのか」という大きな課題が立ち上がってしまいます。

「がん細胞も本来は普通の細胞だったんだよ」という事実を前提にしたとしても、だからといって「がん細胞をもとの善良な細胞に戻せる方法がある」とは限らないわけです(そう簡単な話でないから医学はずっと頑張ってるわけで)。

しょうがないから、がん細胞は切るなり焼くなり薬で殺すなり、とまあまあ野蛮な対処になってしまってます。

 

なので、性善説を広めることでこれから育つ子どもたちや若者たちは「本性そのままの利他的な人物」になれるとしても、じゃあ「既に年月を経て性悪説がこってり染み付いた利己的な大人たち」をどうするのかはかなり厄介な話ではないでしょうか。

 

 

もちろん「いやいや既に性悪説がこびりついた大人たちにもちゃんと性善説を強力に布教すればもとの善良な人間に戻るんだよ」と考えることも可能でしょう。

プラセボ効果やノセボ効果を用いれば十分に外部から人の価値判断に介入できるという考え方ですね。

しかし、これを受け入れたら受け入れたで、こんどはまた別の底なし沼な問題が発生するんですよね。

 

「性悪説に触れすぎたせいで人は本当に悪くなる」とか「性善説の布教でもとの善良な人間に戻る」という考え方は、要は「人の価値観や判断は他人が左右できる」と言ってることになります。

ここまでくると本書から示される最大の発見は「人の本性は善である」というよりは「人の価値判断はプログラム可能だ」でしょう。

ノセボ効果やプラセボ効果を強く見積もれば見積もるほど、そしてそれを他者の「価値観改善」の介入に用いることを認めれば認めるほど、「人の思考は書き換え可能だ」と強調することになります。

 

であるならば、そもそも「個人の自由意思」とは存在するのでしょうか。

ここまで外部から個人をコントロールできるのであれば、もはや個人の自由意思なんて存在しないのではないでしょうか。

誰かが利己的な判断で悪事を犯したとしても、それはその個人の責任と言えなくなるのではないでしょうか。

 

もっとも、こうした「個人の責任を厳しく見ない考え方」こそが、本書内でも出てきた「優しい刑務所」の発想につながってると言えます。

だから、本書もこの辺の議論を無視してるわけではないかもしれません。

 

ですが、少なくとも「個人の自由意思はあるのか」という最大級に厄介な哲学的課題に片足突っ込みつつある本であることは間違いないでしょう。

それは江草のようなカジュアル勢にはおいそれと語れないほどの底なし沼です……。

 

 

本書の主張や提言は大変に興味深く、魅力的ですが、強力に推し進めれば推し進めるほど、こうした別の問題を呼び寄せる諸刃の剣でもあるように思うのです。

 

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

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