習慣のスクラップアンドビルド

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おはようこんにちはこんばんは、江草です。

今日は、2ヶ月毎日ブログ更新習慣の達成を記念して「習慣」についての雑感でも。

 

江草のブログ毎日更新習慣の目的は特にない

ものすごく私事なんですが、江草は昨年12月よりブログ毎日更新にチャレンジしています。

今日は2月1日ですから、ブログ毎日更新が2ヶ月間継続されたことになります。

いやー、自分でも続くかなあと半信半疑だったので、自分自身、続いたことに驚いております。

正直言うと、「今日はもう書かずにすませたい……」と弱音が頭に浮かぶ日がなかったわけではない……どころか、しょっちゅうでした。でも、せっかくのチャレンジだからと少し意地を張り、なんとか達成に至りました。よかったです。

 

でも、なんでここまでして江草はブログ更新を習慣にしようとしてるのか、と思われるかもしれません。

ものすごく曖昧な漠然とした夢や野望――「いつかは本でも出せたらいいな」とか、「色々考えたことを書きつづったら世の役に立つものもあるかもしれないな」とか――はないでもないのですが、実際のところはそんな確たる目的を江草は持ってないんです。

「ちょっとブログ活動をがんばってみようかな」とか、「文章を書く癖でもつけてみよう」「思考の整理にもなりそうだし」ぐらいの軽い気持ちで、毎日ブログ更新を始めてしまったんです。

 

習慣作りそのものが目的でいい

もともと江草は、ブログに限らず、習慣作りには確たる目的は必要なく、「習慣作りそのもの」が目的でもいいんじゃないか思っていまして。[1] … Continue reading

「具体的で意義深い目的が習慣作りに必要」としてしまうと、習慣作りの理由や目的を考えるだけ、意義が深そうな習慣を探すだけで、多大な時間や労力が必要となってしまいます。

そんなの、そうこうしているうちにおっくうになってきて、習慣作りを始める意欲が失われるのが関の山です。

やる前から習慣の意義を詰めようとしても、完璧主義にありがちな「準備に時間がかかるばかりで一向に動き出さない」というビュリダンのロバ[2]完璧な合理的な選択肢を選ぼうとしすぎて動けずに餓死するロバのたとえ話。参考:ビュリダンのロバ-Wikipedia状態になるだけなんですよね。

だから、ちょっとでも「習慣にしてみようかな」と思えるきっかけがあれば、その勢いで習慣作りに入ってしまうぐらいでちょうどよくって、やってみて意義がなかったとしてもそれはそれで仕方がない、と思うんです。

 

なお、昨日ちょうど同じような話をされてた、honeshabriさんのブログ記事[3]honeshabriさんのブログはいつもとても面白いですも見かけましたし、江草だけの考えではないようです。

江草の今日の記事よりこれ読んだ方が話が早い可能性も……

 

習慣作りは楽しい

「習慣作りそのものが目的でいい理由」の一つとして、「そもそも習慣作りというものは楽しい」ってことがあります。

昨日の江草の記事の話にも似るのですが、自分でルールを設計してそれを攻略するのって、まさしく「子どもたちの遊び」であって、元来楽しい行為だと思うんですよ。

ルールと遊ぶ生き方
「ルール」とどう付き合うかをテーマにしたエッセイ的記事

 

自分の実力や意志力は自分自身が世界で一番よくわかっているはずです。

自分自身が達成できるかどうか、きつすぎずゆるすぎないバランスの目標を設定して、そして自ら挑むという「自分VS自分」のゲームが「習慣作り」の実態なのです。

しんどすぎて拒絶反応があるほどでは難易度が高すぎですし、楽すぎて物足りないほどでは簡単すぎるので、この目標設計も腕の見せどころです。

自分の目標設計と、自分の意志力と実行力がうまく噛み合わさって、ほどよい緊張感の中で習慣作りが達成できた時は、ほんと楽しくて気持ちいいのです。

今回の江草のブログ毎日更新の目標は、油断すると達成できない難易度でありながら、あながち無理というわけでもないという、ちょうどいい難易度だったなあと思います。

 

やってみることで見える景色

もうひとつ習慣作りの目的をきっちり決めなくていい理由として、習慣に意義があるかどうかなんて、結局習慣にしてみないと分からないというのがあります[4]実はこれも先のhoneshabriさんのブログに近い話があるのですが……

路地にふらっとはいってみないとその路地にどんな風景が広がっているかなんて、考えていても分かるはずはありません。

ちょっと気になる路地があるなら、入ってみる他ないのです。

これと同じで、習慣もまず習慣にしてみないと、それが自分自身や自分の生活にどういう影響をもたらすか、分かるはずがありません。

もちろん習慣作りのきっかけや参考として、すでに習慣を確立している他の方の話を聞くことは必要でしょう。

しかし、それはあくまで他人の経験談。

自分が習慣を確立したらどうなるかは、自分でやってみる他ないんですよね。

 

習慣の見直しも大事

というわけで、とりあえずやってみるしかない習慣作り。

難易度設定さえ適切であれば、ひとまず意義の有無は置いといて当初に掲げた一定の目標分はやり続けてみるしかありません。

でも、そうすると、当然ながら失敗の習慣も混ざってきます。

自分に合ってなかったりとか、さすがに意欲が出なさすぎとか、よくよく考えたら意義がないとか。

なので、習慣は惰性でやるものでもなく、時折ちゃんと見直すことも必要でしょう。

 

つらすぎる習慣や明らかに自分に悪影響をもたらしているような習慣はもちろん見直すべきですし、ほんとに習慣として身について日常生活の一部になってしまってるものだって見直すべきものはあるかもしれません。

たとえば、ついついSNS見ちゃうとか、食べ過ぎちゃうとか、夜ふかししてしまうとかは、明らかにまずそうなので見直し対象でしょう[5]こやつらは止めようにも手強いわけですが

一方、当たり前のようにしてる働き方や生き方も、一種の私たち自身の習慣です。今の職場、仕事内容、住んでる場所、付き合う人々、余暇でやってること、などなど。これらが本当に自分に合ってるかも、時々は見直した方が良いんじゃないでしょうか。

 

というわけで、興味の向くままに習慣作りを始めつつ、一方で時々習慣を見直して習慣の断捨離をする――こうした習慣のスクラップアンドビルドが「習慣の習慣」として、まずとても良い習慣なのではないかなと江草は思っております。

なお、今のところブログ更新習慣は断捨離対象ではないので、もうしばらくは続けそうです。

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

脚注

脚注
1 厳密には「ちょっと面白そうだ」「ちょっとやってみたい」「なにかに役に立つかもしれない」ぐらいの軽い目的は必要かもしれませんが、その程度でいいと思うのです。
2 完璧な合理的な選択肢を選ぼうとしすぎて動けずに餓死するロバのたとえ話。参考:ビュリダンのロバ-Wikipedia
3 honeshabriさんのブログはいつもとても面白いです
4 実はこれも先のhoneshabriさんのブログに近い話があるのですが……
5 こやつらは止めようにも手強いわけですが

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