映画「ガタカ」の意外な感想にハッとさせられた思い出

映画

おはようこんにちはこんばんは、江草です。

 

今日は、映画「ガタカ」に関連した思い出話を。

twitterのタイムラインに「ガタカ」の話題が流れてきてたので、なんだか懐かしい気持ちになったんですよね。

 

↓リンクはBlu-ray disc版を貼っておきますが、prime videoでも見られるようです。

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映画「ガタカ」は1998年制作とわりと昔の映画にもかかわらず、未だによく引き合いに出される名作として知られています。

amazonレビューの点数も高得点で、江草もとても好きな映画の一つです。

 

一言で言えば、「ガタカ」は、遺伝子操作技術が普及し人間が遺伝子の優劣で選別される未来のディストピアを描いたSF映画です。

今日の社会も、出生前診断等々で「優生思想」とどう向き合っていくかという倫理的難題を抱えており、現在でも通用する重要なテーマを扱った秀作です。

 

ストーリーとしても非常によくできていて完成度が高く、最後のクライマックスでは誰しも胸に熱いものを感じることでしょう。

大変にオススメの映画ですので、ぜひ皆さんご覧になってください。

 

 

……で、実はここからが本題なのですが。

 

この「ガタカ」、江草は本当に好きな映画なので今まで多くの方に勧めてきています。

 

しかし、ある時、江草の勧めで実際に視聴してくださった方の感想に、ハッとさせられたことがあったんですよね。

その時、そこまで思いが至ってなかった自分の考えの浅さに恥じ入ったものです。

 

いい機会なので、これからその感想を提示しようと思うのですが、当然ながらネタバレを含むものになってしまうのです。

 

なので、未視聴の方は急いで観ていただいてから、続きを読んでくださいね。

 

 

 

 

以下、ネタバレあり。

 

 

 

 

では、ここからは思う存分ネタバレをできるということで。

 

まず、本作の主人公は遺伝子操作なく、「劣った」遺伝子を持って生まれた青年でしたね。

その青年が、「優れた」遺伝子を持ちながらも事故で半身不随となってしまった相棒の青年の協力を得て、遺伝子検査を誤魔化し続けながら、宇宙行きを果たすのが基本ストーリーでした。

 

主人公は「劣った」遺伝子を持っていながらも、持ち前のハングリー精神と不断の努力により、他の「優れた」遺伝子を持つ人材に引けをとらないほど、実際に能力を向上し実績を上げます。

結果、「優れた」遺伝子を持つ者の中でも、特に優秀な者しか選ばれないような宇宙行きの資格を主人公はとうとう獲得する――その姿は大変感動的でした。

特に、最後の最後で遺伝子検査に引っかかってしまったところを、検査の担当のおじさんがその主人公の努力に敬意を表して見逃すシーンは、素敵でしたね。

 

 

さて、このストーリーから、「遺伝子」という先天的な要因にとらわれず、情熱を持って努力することの大切さを皆感じ取ったはずです。

しかし、こうした映画を観た人の「平均的視点」と言えるであろう感想には盲点があったんです。

その盲点を江草は気付かされて衝撃を受けたわけです。

 

 

皆さん、さきほどのストーリーで出てきた相棒がどうなったか覚えてらっしゃいますか。

主人公の宇宙行きの発射と同時に、焼却炉に入り自殺していますね。

確かに、彼は、親友である主人公の宇宙行きという一大計画を終えた達成感とともに誇り高く自分の人生を閉じたと言えるかもしれません。

だから必ずしも非業の死とも言えません。

しかし、やはり映画の描き方の中では明暗が分かれたと言うことはできるでしょう。

 

 

それで、ようやくですが、江草が言われた感想はこれです。

 

 

「この映画、障害者は死ぬべきものなんですね」

 

 

……もちろん、思い出話のうろ覚えなので、一字一句一緒ではないと思いますが、だいたいこんな感じでした。

 

言われた瞬間、江草が単純に主人公の努力に感動してばかりで、そこに思いが至ってなかったことにハッとさせられました。

正直、能天気に勧めた立場であった手前もあり、この意外な感想に頭が真っ白になりました。

実際、しばらく言葉を返せなかったと思います。

 

 

で、確かに「ガタカ」は、遺伝子はもちろん、生まれや人種といった先天的な要因による差別に明確に「ノー」を突きつけた、非常に素晴らしい映画ではありました。

しかし、その一方で、この映画は他の差別を容認してしまったのかもしれません。

それは、「能力主義[1]この場合、メリトクラシーでもよいでしょう」という名の差別です。

 

結局のところ、主人公も遺伝子はどうあれ現実として「優秀な人材」でした。そして、その「高い能力」が認められたからこそ、宇宙に行くことができたわけです。

しかし、相棒は半身不随の障害者であり、社会から「劣った人材」として扱われてしまってました。

彼のその苦悩ももちろん描かれてはいましたが、映画内で最終的に彼に与えられた「救い」が「誇り高き死」であったことは、確かにモヤモヤが残ります。

 

 

――果たして能力の有無で、結末にこれだけの差があってよかったのか

と。

 

 

主人公の不断の努力と優秀な能力に共感すればするほど、それと同時に、相棒の「努力ではどうにもならない障害」を「劣ったもの」として潜在的に認識してしまうジレンマがここにあるのです。

 

 

もちろん、このジレンマが潜んでいるからといって、大事で難しいメインテーマを華麗に描いてみせた「ガタカ」が名作であることには違いありません。

しかし、一方で、映画の結末が抱く他の含意にも鋭く気づき、問題の根深さや奥深さ、そして、広い視点を持つことの大事さも痛感したのでした。

 

とかく、世の中は一面的でなく、多面的なものですね。

 

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

 

脚注

脚注
1 この場合、メリトクラシーでもよいでしょう

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