ブログや文章を書かれるみなさん方がどれぐらい同じ気持ちかは分からないのですが、過去の自分の文章って振り返って読む時めっちゃ恥ずかしくないですか?
「こんなもん真顔でよく書けたなあ」とたじろいだり、「よう言うわ!」と赤面することがあったと思えば、たまに「こいつなかなか良いこと言うじゃないか……って自分の文章だった」と自画自賛して照れてみたり。
執筆時には散々じっくり見ていたはずの自分の文章のくせして、後から見るとなかなかどうして恥ずかしすぎるために、相当に心に余裕がある時でないと直視できないです。
なぜこうも自分の文章って振り返ってみると恥ずかしいのでしょう。
その理由をはっきりとつかめないまま、漠然と疑問を抱きながら過ごしてました。
でも最近、詩人の最果タヒさんのツイートを見て、とうとうその疑問の答えを見つけたのです。
[1] … Continue reading
なるほどなあと。
真剣に取り組んだものほど、後で振り返ってみると恥ずかしいものなのだと。
その時、その瞬間にしかない熱情を全身全霊をかけて叩き込むからこそ、その熱が落ち着いた未来から見ると、自分のその熱さに驚いて恥ずかしくなってしまうのだと。
腑に落ちました。
自分で言うのもなんですが、確かに本気なんですよ、書いてる時って。
あとから見て「なんじゃこりゃ」と思う出来のものでも、その時その瞬間にはなんだかんだ全力を賭けてる。
だから恥ずかしかったんだなあと。
そう考えてみると、最果タヒさんがおっしゃるとおり、後で振り返って「恥ずかしい」と思えることは、必ずしも悪いことではないように感じます。
もちろん犯罪などの人様に顔向けできないという意味での「恥ずかしい行為」はまずいでしょう。
でも、社会にあまりに迷惑をかけたり、責め立てられるような内容でなければ、未来の自分が単純にただ恥ずかしがるような活動は、むしろどんどんやってもよいんじゃないでしょうか。
なんなら多分、その方が自分の人生を真剣に生きることにつながるようにさえ思うのです。
だから、逆説的な話なのですが、
「自分で振り返って恥ずかしい生き方をしよう」
そんな風に改めて思った今日このごろなのでした。
以上です。ご清読ありがとうございました。
脚注
↑1 |
|
---|
コメント