> [!NOTE] 過去ブログ記事のアーカイブです おはようこんにちはこんばんは、江草です。 今日はケアの必要性が高まっているのに多くの人がケアをしたがってないという社会の矛盾した構造を考えます。 肩車社会。 みなさんもどこかで聞いたことはあると思います。 高齢者が増加するのに対して現役世代が減ってしまい、ほとんど肩車のように少人数の現役世代で多くの高齢者を背負う社会になることを指す言葉です。 寿命が長くなった一方で、少子化が進んでいるのですから必然的に起こる状況ではあります。 で、実際にそうした少人数の現役世代で高齢者を支えるためには、必然的にそうした高齢者の方をケアする役割を担う人が現役世代の中に増える必要があります。 しかし、江草としては、あまり現役世代のケアの時間を増やそうという社会の雰囲気がないように見受けられるのです。 なんなら現役世代はケア活動ではない別の労働に追い立てられてるようにさえ感じます。 現代は共働きが進んでいるのはみなさんご存知の通りです。 しかし、それって冷静に考えると不思議なことではないでしょうか。 共働きフルタイムでそれぞれ週40時間働いたら、のべ週80時間なわけです。いわゆる昭和の専業主婦モデルで夫だけが週40時間働くよりも家庭単位で見れば倍の所定労働時間になっています。 現に、都会の保活では、希望の保育園に入れるためには、共働きフルタイムでそれぞれ40時間勤務していることが最低条件とさえ言われています。 ほとんどの人がケア職につくために共働きの動きが出ているというならまだしも、どうもそうとは思えません。 現役世代の割合が減少し、明らかに社会でのケアの必要性が高まっているのにもかかわらず、いわゆる非ケア活動的な労働に従事する時間ばかりが長くなり、むしろ介護や育児など家庭内でのケア活動に充てる時間が減る傾向にあるのは、なかなか矛盾した状況ではないでしょうか。 しかし、ここまで色々言ってる江草自身、ケアに対して前向きなのかと聞かれると少しためらう気持ちがないと言うと嘘になります。 それはなぜかと言うと、社会におけるケアの地位が低すぎるからです。 まず1つは金銭面です。 介護士さんや保育士さんの待遇の低さは広く知られるようになりました。 ケアを生業にしている人でさえこの状況で、さらには、家庭内で自分の家族を介護したり育児したりする、社会的にも本来重要なはずのケアを担っている人には対価さえありません。 現状、ケアを担う者に対しての社会的な金銭面でのサポートは著しく乏しいと言わざるを得ません。 もう1つは名誉の面です。 誰しも口では「介護や育児は大事だ」などと言いますが、本気で進んでやる人は少ないです。 その絶対的価値は認めつつも、皆がケア活動に及び腰なのはなぜかと言えば、賃金労働に対して相対的な社会的価値が低く見られているからです。 正確に言えば、ケア活動が軽視されているというよりは、「労働は美徳」の金科玉条が掲げられ、会社勤めの賃金労働などのいわゆる「生産的な」仕事があまりに社会では重視されすぎているのです。 このあたりの名誉の不均衡はデヴィッド・グレーバー氏も「ブルシット・ジョブ」で指摘しているところです。 [ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論 | デヴィッド・グレーバー, 酒井 隆史, 芳賀 達彦, 森田 和樹 |本 | 通販 | AmazonAmazonでデヴィッド・グレーバー, 酒井 隆史, 芳賀 達彦, 森田 和樹のブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論。アマゾンならポイント還元本が多数。デヴィッド・グレーバー, 酒井 隆史, 芳賀 達彦, 森田 和樹作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。またブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事...](https://www.amazon.co.jp/dp/4000614134/) こうした社会的にもケア活動の必要性が高まっているにもかかわらず、いわゆる「生産的な」仕事の名誉ばかりが高いままなので、できるなら皆その「生産的な」な仕事の方にばかり従事したがるのです。 社会でのケア活動の絶対的な必要性が高まっているにもかかわらず、金銭面でも名誉面でもケアの社会的地位が低いとなれば何が起きるでしょうか。 そう、競争です。 ケアを自分でやると金銭面でも名誉面でも不利なので、みな「ケアを他人に任せる」ため、すなわち「ケアを他人に外注するため」の競争に走らざるを得なくなっているのです。 たとえば先程挙げた保活もそうですね。 「共働きフルタイム」という「ふたりともバリバリ働いてるのだから仕方ないよね」という社会的地位を保つことで「他人に保育というケア活動を外注する」闘いに有利になります。 認可外保育園や老人ホームなども、高額化が進んでいると聞きます。これは「ケア外注権」を巡って「お金での殴り合い」をしていると言えるでしょう。 なんなら少子化にもかかわらず過熱する受験戦争も、我が子に「立派な職」についてもらって「ケア外注権」を勝ち取ってもらうための競争であると考えることもできるかもしれません。 このように、私たちの社会はいつのまにか皆でケア活動を押し付け合う社会になっているように、江草には思えてなりません。 どうもこれはなにかおかしいのではないでしょうか。 注意して欲しいのは、江草は、共働きの人や、ケア活動を外注してる人たちを非難しているわけではないことです。 共働きをしないとお金の面で家庭が回らない、ケア職でも収入が期待できない、だから共働きしながらケア活動を外注する――これ自体は自然な気持ちだと、江草も思います。 だから、まず改善すべきは、ケア活動の社会的地位です。 ケア活動の金銭的なサポートの充実化や、ケアがいわゆる「ビジネス的な労働」に負けず劣らず社会にとって非常に価値のある活動であると――「労働は美徳」から「ケアは美徳」へと――ケア活動の名誉を高めることが、殺伐とした社会の雰囲気を変えるために今、必要なことではないでしょうか。 以上です。ご清読ありがとうございました。 (ちなみにタイトルは「そう、誰も消防車を呼んでいないのである!!!」というネット上の有名なミームから取りました) #バックアップ/江草令ブログ/2021年/1月