『科学を語るとはどういうことか 増補版』読みました。
といっても、本体はだいぶ昔に読んではいたので、今回は横着して増補部分だけ読んでます。
正直言って本体部分の記憶はかなり薄れているにもかかわらず、増補部分だけで感想を述べるという、今回はそんなひどい手抜き感想文になります。
まあ、時にはそういうのもあっていいでしょう。
増補部分が追加された
本書は、宇宙物理学者の須藤靖氏と、科学哲学者の伊勢田哲治氏が「科学を語るとはどういうことか」をテーマに対談をするという書です。
といっても、だいぶ須藤氏による科学哲学批判が終始手厳しく、「対談」というよりは「対戦」と言うべきかもしれないぐらい熱い議論として有名な一冊でもありました。
実を言うと伊勢田氏に肩入れしているところもある江草は、読んでて「胃が痛くなった」記憶があります。
本書はもともと初版が8年前ということで、そこそこの年月を経ての追加対談を収録した増補版となります。
急にどうされたかと思いつつも、個人的に大変好物のテーマでもあり、つい買ってしまいました。
今回の追加対談に際しては、別の先生方からの新規提題がなされてるのが特徴的です。
↓新規提題はこちらで読めます。

特に「谷村ノート」で有名な物理学者谷村省吾氏の提題は相変わらず熱すぎて、これだけで読み物としてお腹いっぱいになるパワーを持ってます。
これらの提題を踏まえつつ、お二人が改めて対談されています。
案外お二人の意見が合致しちゃってて面白い
原版ではだいぶ激しい議論だった記憶があっただけに、今回の増補部分ではなんとなく須藤氏と伊勢田氏のお二人の意見がさほど衝突しないというか、案外それなりにいい感じに合致しちゃってる場面も少なくないのが意外でした。
須藤氏自身も「こんなに意見が合ってしまうと面白くないのでは」と対談内で苦笑されてるぐらいです。
江草としては、読む前にどれだけまた荒れるのかとヒヤヒヤしていたのもあり、逆に面白かったです。
8年という年月がそうさせたのか分かりませんが、「科学とは何か」と科学自体について俯瞰的に語るうちに自然と須藤氏も一介の「科学哲学者」になってしまったというところかもしれません。
納得はしてなくても、そういう視方を知ってしまうともう戻れないのが哲学の吸引力の恐ろしいところですよね。
「非科学的」という表現についてのくだりは興味深い
今回の増補部分の中で特に興味深かったのが「非科学的」という日本語表現を巡って交わされた会話のくだりです。
伊勢田 ただ、たとえば非科学的という言葉はやっぱり明確にネガテイブなニュアンスがありますよね。
須藤靖 伊勢田哲治『科学を語るとはどういうことか 増補版』p317-318
須藤 そうそう、たしかにそうなんですよ。これは日本語のニュアンスの問題ではないでしょうか。本来は、科学的と、科学とは矛盾するという意味での非科学的以外に、科学では割り切れないものという意味の三番めの言葉があるべきです。科学的以外のものをすべて非科学的と定義するならば、本来は、科学と矛盾するとも矛盾しないとも言えないものを含むべきですよね。たとえば、文学とか美学とか。
伊勢田 そういうふうに非科学的という言葉を定義しなおすというか使いなおすことはできるけれども、現状において非科学的と言われたらドキッとしますよね。
須藤 そうです。ただし私が言っているのは、単に科学に対して中立的な事象を示す単語が日本語にないと言っているわけ。
伊勢田 そうか。否定的というニュアンスはないけれども科学ではないものを指す言葉が要る、と。
須藤 そうそう。それが一緒くたになっているからちょっと誤解を生む。
「言われてみれば確かに」と頷かされる、非常に示唆深い部分と思います。
「科学でないもの」を否定的な意味合いなく形容したい時に「非科学的」という表現しかなく困るという話。
「科学でないもの」――文学や美学、加えて倫理や科学哲学など――もあくまで「科学でない」だけで、必ずしも価値が低いものでも悪いものでもないはず。むしろそれどころか重要なものさえある。なのに、現状、「科学的」か「非科学的」かの二項対立的な表現しかないもどかしさがある、と。
大変面白い指摘です。
そう考えると、現状みなが批判的ニュアンスで「非科学的」という表現を使う対象には、「非科学的」ではなく「ニセ科学的」とか「疑似科学的」とか「反科学的」などの表現がふさわしいのかもしれません。
でも、これらはあまり一般的な表現ではなく、世の中なんでもかんでも「科学的」か「非科学的」かとして衝突してる印象は否めません。
「語彙というのは人の思考形式を規定する」とはよく言われますけれど、この「科学的」or「非科学的」の二者択一表現しかないことは、確かに科学に対する人々の態度の両極化を生んでる一つの要因なのかもしれません。
科学にまつわる分断を超えるために
その他、増補部分は全体として決して長くないですが、テーマが濃厚なだけに充実感をもって十分興味深く読めました。
やはりこうして最前線の科学者本人も交えて「科学」そのものについて哲学する機会は必要とつくづく感じます。
科学の各専門分野が高度に分化する中で、その分断が課題となってきており、その間を埋めたり、つなぐ活動はますます重要になってきています。
そのためには、各専門家も時には俯瞰した視点をもって分野の垣根を越えて対話する機会と勇気が必要になります。
この本は、そうした対話の大事さと面白さを感じる上で非常に良い一冊だと改めて感じました。[1]今回怠惰にも本対談部分は読み直してはないくせに言うのも偉そうですが
オススメです。
以上です。ご清読ありがとうございました。
脚注
↑1 | 今回怠惰にも本対談部分は読み直してはないくせに言うのも偉そうですが |
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