コロナ禍のおかげで知った「日記の面白さ」

ドキュメントのイラスト生活

おはようこんにちはこんばんは、江草です。

今日は、コロナ禍のおかげで「日記の面白さ」を知ることができたよ、というお話。

 

去年の元日から5年日記を書き始めた江草

何事も熱しやすく冷めやすいことで定評のある江草ですが、昨年の2020年の元日から日記を毎日つけています。

日記は面白いからやってみなさいと、「ほぼ日5年手帳」を妻からプレゼントされたのがきっかけです。

続けられる自信はあまりなかったのですが、プレゼントしてくれた妻への恐怖心感謝の気持ちもあり、なるべく習慣作りに励んだところ、無事毎日日記を書くのを続けられています。

今ではブログも毎日更新してるのですから、「案外やってみればできるものだなあ」と、自分でも驚かされています。

くしくも昨年からコロナウイルスが流行

5年日記というのは、同じ日付の5年分の日記が同じページに並ぶ構造になっていて、同じ日の1年前、2年前、3年前、4年前(最大)の日記が振り返られるようになっているのが特徴です。

始めて1年間は当然ながら過去の日記がないので、そうした過去の日記を振り返られる楽しさは実感できなかったのですが、2021年に入り、ようやく振り返りができるようになってきました。

普通に自分の他愛のない日記を振り返るだけでも、こそばゆい感じがして十分面白かったのですが、ある時ふと気づいてしまったんです。

くしくも日記を始めた昨年は、今をときめくコロナウイルスの流行が本格化した年です。

ですが、まだ去年の自分の日記(2020年1月17日)の中に「コロナ」の文字は出てきていません

最近コロナの国内感染者が初めて確認されてから一年経ったという報道もありましたが、まだ日記の中の江草氏は反応を示してないのです。

このことに気づいた時、じゃあいったいいつ自分の日記に「コロナ」は出てくるんだろう、と俄然興味がわいてきました。

 

自分の日記のコロナ言及の初発が興味深い

で、ちょっと先読みをしまして、とうとう発見したんです。

日記の中の「コロナ」の初出

それは2020年1月29日でした。

超絶恥ずかしいですが、その時のコロナに関する記述をそのまま引用してみましょう。

 

世の中はコロナウイルスで大騒ぎ。現時点ではさわぎすぎな気がする。TVの報道がしつこすぎ。まあ、みんな不安なんだろうなとは。避難訓練みたいなんが要るのかも。

2020年1月29日江草の「ほぼ日5年手帳」より

 

はい。

もう、なんかつらいですね。

この人、完全にコロナなめてますね。

ちょっとなんか専門家ぶって「さわぎすぎ」「しつこすぎ」とか言ってますしね。

避難訓練とか、どんだけ上から目線なのかと[1] … Continue reading

 

……ため息付くのはこの辺にしておいて、じゃあ、この「2020年1月29日」とは実際どういう段階の時だったのかを見るとまた面白かったんです。

 

世間も急に危機感が出てきてた時期

ちょうど昨年のコロナ禍報道を振り返る記事があったので、照らし合わせてみました。

 

1年前、コロナを新聞はどう報じたか 朝日は「それほど感染は広がらないとみている」 | デイリー新潮
中国の武漢市で「原因不明の新型肺炎」が確認されたのは2019年11月22日。…

 

「新型肺炎 帰国便1機 武漢へ 政府発表 邦人あす羽田着 指定感染症 閣議決定」(1月28日夕刊)

「新型肺炎 国内『人から人』感染か 奈良の男性 武漢渡航なし ツアーバス運転手」(1月29日朝刊)

「武漢から帰国12人入院 新型肺炎 第1便206人到着 第2便出発」 「5人は陰性」 「陽性か武漢で邦人重篤」 「バス同乗ガイド感染 奈良の男性運転」(いずれも1月30日朝刊)

1年前、コロナを新聞はどう報じたか 朝日は「それほど感染は広がらないとみている」

2020年1月29日とは、ちょうどチャーター便で武漢から邦人を帰還させようとしてたり、国内でのヒトヒト感染が疑われたりで、大わらわになってた時期なんですね。

記事によると、それまでは楽観的な雰囲気だった報道も急に危機感を帯びるようになったようで、江草もこの世間の空気の変化に対して、日記で反応したということのようです。

つまり、それまでは江草にとっても各種報道機関にとっても、あくまで対岸の火事で、あまり危機感がなかったことが分かります。

さらに言えば、江草はこの段階になっても「まだ大丈夫なんじゃないか」と楽観視していたわけです。

後から見れば「バッテン」を付けたくなる回答ですが、自分の未来予想能力の限界を教えてくれる有意義な記述であったとも言え、ほんと面白いなとしみじみ感じました。

 

その時自分がどう思ったのか残せるのは自分しかいない

このように、過去の自分の感覚が大外しであったことを日記によって知ることができたのですが、逆に言えば、これは日記がなかったら知り得なかったことなんですよね。

人の記憶ってけっこう都合がいいもので、「自分は最初から予想してた」だの「自分は最初から警告してた」だの、平気で他人だけでなく自分自身をも欺きます。

ですが、こうして日記がちゃんと残っていると「自分がどう思っていたのか」をごまかせなくなるので、正確な自己反省ができるようになるんです。

これが「日記の面白さ」でもあり、「日記の大切さ」、「日記の醍醐味」なんだなあと、日記初心者の江草は初めて痛感したのでした。

 

世の中に起こった出来事は、なんだかんだ報道機関だったり他の人だったり、誰かが記録に残してくれていて、google先生に聞けば紐解くことはできます。

しかし、その時に自分がどう思ったのかを残せるのは自分しかいないんですよね。

自分が残さなければ未来永劫それはこの世から消え去ってしまいます。

だから、自分の思いを残す「日記」とは、ほんとすごい代物と思います。

オススメです。

 

以上です。ご精読ありがとうございました。

脚注

脚注
1 一応解説すると、疫病は地震のようにシミュレーション訓練経験のない災害だから、みんな不安になりやすいのではないか、と考えたのだと思われます

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