おはようこんにちはこんばんは、江草です。
今日は、峰宗太郎氏と山中浩之氏の「新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実」の読書感想文です。

結論から言うと、とても良い本と思います。コロナに関する情報や知識の整理につながるだけでなく、ピリッとした後味があります。
分かりやすい文体でコロナにまつわる情報が整理できる
本書は今回のコロナ禍にあたって、新型コロナウイルスそのものや、ワクチン、PCR検査等々、コロナにまつわる基本的知識や考え方を丁寧に提示されています。
教師役となるのはSNSでも発信に奮闘されている峰宗太郎氏。さすがの知識量と理解度、説明力をお持ちで、舌を巻きます。
主にインタビュー形式の文体が用いられています。話し言葉のメリットですね。とにかく、すっと言葉が頭に入って来るので、スイスイ読みやすく分かりやすいです。
また、著者の1人である山中氏が生徒役として一般市民目線で峰氏に適宜疑問をぶつけてくれるので、読者が迷子になりにくく、とてもよい構成だと思います。
幅広い話題を扱いつつも、医師でも意外とキャッチアップできてない情報も多く、とても勉強になりました。
ワクチンについても、ちょっとイケイケゴーゴーな空気が医クラ界隈でも支配的なことに対して、峰氏が慎重な態度をキープすべきと釘を刺しているのは、同感ですし傾聴すべきところかと思います。
人や本の言うことをうのみにしない批判的思考の大切さを強調
こうした情報の整理を丁寧にされた上で、最後の最後で読者をドキッとさせる仕掛けがあるのが、この本の非常に面白い点です。
本書では、「情報」と向き合うための大事な心構えについて、くりかえし強調されています。
その中からどういうふうに情報を選び取るか、どういう情報なら信じていいのかを真剣に考える。そして、自分の意見がある程度固まってきたときに「それが本当に正しいのか」と自問自答して吟味して、時には自分の立場や考え方、信条が大きく変わる経験をする。自分の感情に相反するような知的な転換ができるかどうか。こうしたことは、人が生きる上で重要なテーマだと思っているんです。
峰宗太郎;山中浩之.新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実(日経プレミアシリーズ)(Kindleの位置No.2485-2488).日経ビジネス文庫日本経済新聞出版社.Kindle版.
情報を批判的吟味して、自分の頭でよく考えること――つまり、クリティカル・シンキングが大切であると。
これはほんと同感です。正しいと思ったらすわそのまま突き進んじゃってる人は、議論のどちらのサイドであっても少なくないので、社会的課題と思います。
ただ、そう言う江草自身もついついこれを怠って、自分自身の意見については吟味が甘くなりがちなので、「危ない危ない気を引き締めないとな」と改めて気持ちを新たにしました。
そして、この批判的吟味の姿勢を励行するならば、必然、この本書最後の驚愕のどんでん返しに至るわけです。
それというのがこちらです。
それは、「本は読んだけど、峰とYさんから聞いたことを、本当に丸呑みしていいの?」という疑問を感じること、です。
峰宗太郎;山中浩之.新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実(日経プレミアシリーズ)(Kindleの位置No.2665-2671).日経ビジネス文庫日本経済新聞出版社.Kindle版.
(中略)
これで、峰が、あるいはYさんが言うことはみんな正しい、なんて思うなら、おそらく別の本を読んだらまたひっくり返る、出てきた情報に飛びついて振り回される、そういう可能性があるってことでしょう。峰が正しいか、別のなんとか先生が正しいか、などということは、はっきり言えばどうでもいいんです。
つまり、「この本に書いてあったことも疑え」というテイクホームメッセージです。
これだけ高度な情報提供をした上で「この本自体や著者をも疑え」と言い切ってしまう本はなかなかないですよね。
読者の度肝を抜くこの仕掛は非常に面白く、そしてエレガントで、大変に示唆に富む試みだなと感じます。
いやあ、してやられました。
ただ、PCR拡大論の批判の部分は「藁人形論法」「欠如モデル思考」に陥ってる気が
とまあ、全体としてとても良い本なのですが、せっかく「批判的吟味」を推奨されてるので、本書の疑問点についてもあえて指摘しておきたいなと思います。
江草が本書に関して少し気になったのは、PCR検査拡大論に対する批判の部分です。第7章のあたりですね。
実際のとこ、江草もPCR拡大論には懐疑的ですし、浅い主張をされてる方がいるのも知ってはいます。
しかし、本書のPCR拡大論への批判の論証は、そうした倒しやすい「愚かで浅いPCR拡大論」を前提として批判しており、いわゆる「藁人形論法」に近い印象があります。
「拡大論者は検査前確率を分かってない」と片付ける「欠如モデル思考」
たとえば、本書は終始「PCR拡大論者は検査前確率を分かっていない」という前提で論者を批判をする論調を取られています。
そこに抜けているのはPCR検査という「道具」で、できること、できないことの認識で、端的に言えば「検査前確率」という考え方の理解、ということになるんだと思います
峰宗太郎;山中浩之.新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実(日経プレミアシリーズ)(Kindleの位置No.2451-2453).日経ビジネス文庫日本経済新聞出版社.Kindle版.
もちろん、検査前確率を分かってない方もいるのでしょうけれど、拡大論者をまるっと「それぐらいのことを分かってないやつ」でくくるのは少々乱暴ではないでしょうか。
江草の印象では、拡大論者の中でも検査前確率の概念は理解した上で、「現状、一般市民においても検査するに値するほど、その検査前確率が十分に高い」と判断している方はいたように思います。
つまり、検査前確率についての理解の有無というよりは、「コップに水が半分も入っている」と考えるか「半分しか入ってない」と考えるか、のような、現状認識の感覚の差による意見の相違の面が強く、これを「検査前確率のことが分かってないから彼らは誤った主張をするのだ」と安易に片付けるのは「欠如モデル」的な思考であり、危険ではないかと感じます。
特異度における桁問題のブーメラン
また、特異度をとりあげて、拡大論を批判する議論の箇所にも疑問があります。
この検査の特異度は99%ととても高いのですが、仮に99・9%としても受ける人数の桁が上がってくると、間違える人数がものすごいことになる。
峰宗太郎;山中浩之.新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実(日経プレミアシリーズ)(Kindleの位置No.2399-2406).日経ビジネス文庫日本経済新聞出版社.Kindle版.
(中略)
疫学の話で大事なのは、細かい数字の整合性より「桁を間違えない」ことです。
この部分も、拡大論者が「特異度の概念を誤って捉えていること」「桁の感覚を忘れていること」を前提として話が進んでいます。
ただ、実際の拡大論者の主張は「特異度は99.9%どころではなく99.99%、なんならそれ以上だ」とさらに特異度が高い、と想定しているのが主流の印象です。
それこそ桁数のとらえ方が意見の分かれ目なんです。
なので、それぐらいの精度をもった「本当のところ特異度はどれぐらいの数値なのか」こそが両者で議論すべき重要ポイントであって、これを「仮に99.9%としても」と勝手に「こんなもんでしょ」と仮定して終わらせてしまうのは乱暴な論証と言わざるを得ません。
「相手はこんなことも分かってない」と過小評価してあっさり論を退けてしまうのは、逆に「疫学における桁の大事さを軽視している」と批判のブーメランがかえってくることになりかねないのではないでしょうか。
共通の足場を探る
このあたりの本書の議論の疑問点については、先日の伊勢田先生のオンライン講義で扱われたテーマにも関わるところかと。
「相手が愚かで無知だから意見を誤ってる」と即断することなく、双方の共通の足場はないのか、愚直に探ることでしかより良い議論にはつながらないのです。
もちろん、拡大論者の側にも、同様の丁寧な姿勢が求められるのは言うまでもありません。
議論や考察が深まる良書
とまあ、あえて疑問点も提示してみましたが、コロナ禍に向き合うための「情報」や「考え方」を丁寧に提供してくださってるからこそ、こうして議論や考察を深められるきっかけにできるわけで、やはり良書であることには違いないと思います。
今後ワクチン接種が進み、コロナ禍の論争も新たなステージに進展することでしょう。
適切に行動できるように、改めて、しっかり知識武装し、思考回路を温めておきたいですね。
以上です。ご清読ありがとうございました。
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