高所得者層児童手当廃止から国民が受け取るメッセージ

政治

おはようこんにちはこんばんは、江草です。

今日は、話題沸騰中の高所得者層児童手当廃止についての所感を述べます。

 

高所得者層の児童手当廃止が決定

前も一度ポッと出て批判されていた、高所得者層の児童手当廃止がいきなり決定に至ったようです。

児童手当「年収1200万円以上」支給せず 法案を閣議決定
政府は2日の閣議で、一部の高所得世帯の児童手当を廃止する児童手当関連法改正案を決定した。2022年10月支給分から対象を絞り、世帯主の年収が1200万円以上の場合は支給をやめる。今国会に提出し、成立を目指す。児童手当は子ども1人あたり月1万~1万5千円を支給する。一定以上の所得がある世帯には「特例給付」として児童1人あ...

江草のアンテナが鈍感だったためか、どういった議論を経てこの決定に至ったのか知りませんが、いったいどの方面を見てやってるのか理解に苦しむ政策です。

ネット上でも既に強い批判の嵐が巻き起こってますが、江草もちょいと物申してみようと思います。

 

ほんとうに待機児童問題解消につながるなら良いこと

今回の高所得者層の児童手当廃止は、待機児童問題対策の財源にするためとの報道です。

実際のところ、待機児童問題は確かにまだまだ根強く残っていますし、その解消に本当につながるなら、その点については確かに良いことと思います。

 

国民のデメリットとなる高所得者層の児童手当廃止については、「高所得者層でも子育てをしていたら余裕がないんだ」と、高所得者層の家計逼迫を理由に反対する声が多く聞かれます。

江草も事実、高所得者層でも案外余裕がないこと自体には同意するものの、今回の政策の批判のメインの理由として使うのは少し危険ではないかと感じています。

なぜなら、そうはいってもやはり、今回の児童手当を撤廃されるような高所得世帯に比べれば、所得が多くなく家計維持のために共働きをしなければならないのに待機児童問題にひっかかって共働きができない世帯の方が、より家計は苦しいだろうと思うからです。

その時に「高所得者層も苦しいんだ」ばかりを批判の理由として強調して挙げてしまうと、「じゃあ低中所得者はもっと苦しめというのか」と子育て世帯間で諍いが生まれるきっかけにもなりえるので、あまり得策ではないように思うのです。

 

なので、江草は別の視点から今回の政策の問題点を指摘しようと思います。

 

育児にこれ以上予算を割く気はないというメッセージに

今回の政策における最大の問題点は、事実上、「政府は育児支援政策にこれ以上予算を割く気がない」というメッセージになってしまっていることです。

待機児童問題の対策に予算が必要なのは分かります。しかし、その財源を育児手当という他の育児支援の予算から補うというなら、「育児支援の予算を増やす気がなく今のままでやりくりしよう」という姿勢にしか見えません。

もとより、少子化に歯止めがかかっておらず、さらなる少子化対策に育児支援の強化が期待されていた中で、このような「予算の天井感」を演出するのは「少子化対策は問題視しておらず育児にこれ以上注力しないよ」という政府からの明確な意思表示と受け止められても仕方ないと思います。

もちろん価値観は様々ですから「少子化対策なんて不要だ」という考え方も、もしかするとあるのかもしれません。しかし、いくら昭和的で保守的な自民党の価値観とはいえ、「男尊女卑」「良妻賢母」モデルを目指すぐらいならまだしも、「子供が生まれない社会」を理想とするのはさすがに保守を通り越し過ぎていていると思うのですが、本気なのでしょうか。

 

国民の分断を誘う政策

また、もうひとつの問題は、こうした手当の対象層を条件で分ける政策設計が国民の分断を誘うことです。

国民皆保険でも年金でもそうなんですが、本来、社会保障政策の隠された役割に国民の連帯感を引き起こすというものがあります。同じ助け合いの仕組みの中に共に身を置くことで仲間意識が芽生えると言ったところでしょうか。

児童手当が社会保障とまで言えるかはわかりませんが、子供を持つ世帯に手当で支援することによって、国民みんなで子育てを支援している連帯意識を支持する政策ではあるでしょう。

 

そんな中「所得が高いから君たちからは手当取り上げるね」と言われた高所得者世帯はどう感じるでしょうか。

「ああ、私たちの子育ては望まれてないものなんだな」ならまだかわいいものです。

悪くすると「ああ、私たちのことをみんなねたんでるんだな」という憎しみに似た気持ちに至る可能性も十分あります。

そんな気持ちの中、もしも、今回児童手当が取り上げられた高所得者世帯が、結局保活に負けて保育園に入れられなかった場合、その負の気持ちは最高潮に達するでしょう。

「手当取り上げられた上に、保育園入れられなかった。日本も貧乏人どもも死ね!」

これは最悪の例ですが、このようにキレてしまう人が出るおそれは否めないと思います。

 

実際のところ、今でさえ、納税負荷が強い高所得者層の中には、その不満がつのってか、「我々の税金で公共サービスを使ってるくせに」と悪い形で低中所得者を見下す態度を示す方がしばしば見られます。

ここでさらに高所得者層の負担感を増すような政策を追加するのは、子育て世帯でない人達も含んでの高所得者層と低中所得者層の分断を助長する原因の一つとなりえ、非常に危険だと江草は感じます。

見せ方が下手

あと、本質的なところではないですが、意外と重要な問題点として、今回の政策の見せ方が下手というのもあります。

なぜ先に「高所得者層の手当廃止」というコスト面の具体性だけ見せちゃったんでしょう。

先にちゃんと待機児童問題対策の具体案もババーンと提示して、「おお、すごい魅力的な政策だ」と思わせておいてから、「でもその分、この点については我慢して欲しいんだ……」と申し訳無さそうに手当廃止の側面をしずしずと出せば、まだ高所得者層も「…まあ待機児童問題がほんとに解消するなら仕方ないか」と納得しやすいというもの。

それをババーンと「手当カットします!」とコスト面を提示しておいて、「待機児童問題がんばるので、乞うご期待」と大変に抽象的なメリット提示で終わるのは、とっても心証が悪く、正直「プレゼン下手くそかよ」って思います。

iPhoneだってなんだって、新製品の発表はこれでもかと魅力的な点をアピールしてから、価格をちっちゃい字で最後にそっと出すでしょう。

今回の政策の見せ方だと、本当に待機児童問題解消で国民側にもメリットが多いかもしれないのに、がっつりコスト面のデメリットばかり強調する形になっているので、本当もったいないと思います。

 

万人の万人に対する闘争を推奨する政府

今回の児童手当廃止も同じ流れのようですが、今の菅総理が率いる政府は「自助」を強調したり、「最終的には生活保護があるから」と補償を渋ったりと、どうも人々を競わせ切磋琢磨させる中で、個々人の努力やハングリー精神を限界まで引き出そうとしている向きがあります。

確かに、個々人の努力も大事ですしスパルタ的に追い込む指導が功を奏す場面も世の中ではないではないでしょう。

しかし、やみくもに競争をけしかけすぎて、国民を追い詰めてしまうと、互いの人生や家庭の生存をかけた「万人の万人に対する闘争」状態に陥るのではないでしょうか。

国民同士がいがみ合い分断し、生き馬の目を抜くように騙し合い奪い合い、しまいには未来世代とも分断し少子化で先細り。

全然「美しい国」じゃないでしょう。

先程も言いましたけど、いくら保守的な自民党と言えど、さすがにこういう殺伐とした日本社会を望んでいるはずはないのでは、と違和感を覚えざるを得ません。

愛国心だってこんなんじゃ生まれるものも生まれないと思いますよ。

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

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