おはようこんにちはこんばんは、江草です。
今日は、斎藤幸平著の『人新世の「資本論」』という本を読んだので、感想を記します。
環境問題を主戦場とした激しい反資本主義の本
斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』を読みました。

著者の斎藤氏は先月のNHKの番組「100分 de 名著」の「資本論」で解説に出ていた方で、話が上手く熱い人だなと興味を抱いたのがきっかけです。

資本主義から脱してコミュニズムに移行するしかない?
読後感としては、なかなか考えさせられるというか、大変に危機感を覚えさせる本でした。
内容を一言で言えば、激しい反資本主義の本です。
資本主義が地球環境を破壊してる現状について、著者がこれでもかというぐらい厳しく繰り返し繰り返し警鐘を鳴らしているのが印象的です。
もちろん、我々日本社会も資本主義社会なので例外ではなく、先進国としてその繁栄の代償を諸外国の人々や環境に転嫁してる様をつまびらかに指摘されます。
今やワードとしても普及してきた「SDGs」すら、「何かやった感」を得て免罪符となるだけの生ぬるい中途半端な策として、「大衆のアヘンである!」と手厳しく批判しています。
技術の発展を促進することで、環境問題をなんとか解決しようという加速主義に対しても「現実逃避の開き直りにすぎない」とピシャリ。
とにかく資本主義から脱して、コミュニズム(共産主義)に移行するしかないと、私達を追い込む構成になっています。
マルクスとコミュニズムの名誉挽回
本の中でちょいちょいマルクスを持ち上げるパートが出てくるのはちょっと違和感がないでもないですが、本のタイトルに「資本論」と入ってるのと、著者がマルクス研究者の方なので、当然といえば当然ですね。
確かに、単純に反資本主義を掲げると「あのソ連の共産主義の大失敗を知らんのか」と一笑に付されがちな世の中です。
それに対抗するために「ソ連はマルクスの思想をちゃんと分かってなかったんですよ」と、一度、丁寧にマルクスや共産主義の名誉を挽回する必要がある、と著者は考えたのだろうと思います。
江草の個人的な意見としては、社会変革を図るにしても、マルクスやコミュニズムという、わざわざ印象が悪くなってるキーワードから入らない方が得策かなあと思ったりしますが、資本主義を批判するなら、古の資本主義のライバルの名誉挽回復活を図るのも一策ではあるのかもしれません。[1]実のとこ、江草は著者ほど極端な反資本主義でもないので、そこで著者と意見が分かれてるかもですが
資本主義ヤバい
とまあ、終始そんな感じなので、歯に衣着せぬ生々しい資本主義の問題点に触れるには適当な本と思います。
こないだNHKスペシャルでも食料クライシスの番組をやってましたが、事実、地球環境への影響をどう抑えるかというのは喫緊の資本主義社会の課題なのは間違いないのだと思います。

共同体や協同組合を理想化しすぎな印象も
ただ、そうした問題だらけの現行の資本主義システムに代わるべく示されてる著者の提案は正直ちょっとピンと来なかったんですよね。
確かに、著者が推す、営利企業主体の「私有」という形でもなく、国家主体の「国有」という形でもなく、「”市民”有化」というコモン主体の形が今後重要なのはそうだとは思います。
ただ、そうしたコモンの形を採用するメリットそのものは否定しないのですが、その反面どうしても出てきてしまう共同体のデメリットについてはあまり語られてないのが気になるんですよね。
資本主義でなくても悲しいかな格差は生じる
著者はどうも共同体や協同組合を理想化して、自由や平等が守られるユートピアのように素朴に考えすぎてる印象があります。
確かに、資本主義下の資本やマネーの暴力による格差も大変に問題です。
ですが、資本やマネーに関係ないところでも、カースト制を敷くのが人間の業なのですよね。
たとえば、利益組織でもなんでもない共同体である学校内のクラスメート同士でも「スクールカースト」が出来ます。
PTAや医局なんかの非営利共同団体でも、不合理で不自由な制度設計や、ヒエラルキーに基づく圧政が敷かれたりします。
狭く閉鎖的な共同体は法による支配も無視されやすく、ほんとうに構成員のみんながかなり意識していないと、容易に内部は腐敗して自由や平等が損なわれるんですよね。
もちろん「だからこそ各自の意識を高めるべき」というのも分かるのですが、それが簡単にうまくいくと考えるのだとしたら、著者は人間というものを買いかぶりすぎてるんじゃないかと感じます。
資本主義が支持されてる理由は贅沢だけではないのでは
そういう意味で、資本主義が支持されてる理由は何も「贅沢したいから」だけでもないのだと思うんですよ。
マネーを基盤とする資本主義は、マネーの持つ「脱人格化」という特性から、個人がまったく交流のなかった他の共同体へ流動的に移動できることを可能にしてくれることがけっこう大きなメリットではないかと。
つまり、今所属してる共同体の中で不当な扱いをされてた時に、お金さえあれば、他の共同体に逃げることができるわけです。
実際、お金や自由市場という概念があるおかげで、束縛や抑圧から解放された人はけっこう居ると思うんですよね。
もちろん、何度も述べてる通り、資本主義も今ややりすぎで、お金で縛ることにより個人を束縛するという逆の側面の問題も出てるのは当然問題です。
ただ、表裏一体と言いますか、「資本主義のデメリット」がやばいのなら、それと同様に、反対側に位置する「共同体のデメリット」についてもあまり甘く見ない方がいいんじゃないかなと、江草は感じます。
とはいえ、資本主義ヤバい
とはいえ、とにかく「資本主義がやりすぎて地球環境ヤバい」なのも確かでしょう。
そんな鬼気迫る状況だからこそ、選択肢も極端で尖ったものになりがちということなんだとは思います。
というわけで、著者の提案の内容については賛否がかなり分かれるかなあとは思いつつも、この本が警鐘を鳴らしてくださっている現代社会の問題点は、ほんと速やかにしっかり対策しないとまずいものばかりですし、資本主義を批判的吟味するためにも、一読には値する一冊であると思います。
以上です。ご清読ありがとうございました。
脚注
↑1 | 実のとこ、江草は著者ほど極端な反資本主義でもないので、そこで著者と意見が分かれてるかもですが |
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