どうして感染拡大にもかかわらず経済活動は止められないのか

お金のやり取りのイラスト経済

おはようこんにちはこんばんは、江草です。

今日は「こんなに感染拡大しているのに、どうして経済活動は止められないのか」について説明してみます。

 

感染拡大と経済活動は両立しないはずなのに

収束の兆しが依然見えないコロナ第三波。

第一波の緊急事態宣言時と違って、人出は多いし、リモートワークも進んでおらず、営業の自粛も限定的であると言われています。

こうした経済活動の抑制があまり進んでいないことに対し、特に医療関係者から「なぜこんな感染拡大の非常時に経済活動がしっかり抑えられないのか」と疑問の声があがっています。

代表的なのはこのTaka先生のツイートです。

疑問の声を代表するTaka先生のツイート

 

逼迫する医療現場の過酷な様子も知った上で、妙に賑やかな街中の雰囲気を見れば、医療者としてはそりゃ「いったいこれはどういうことなんだ、まじめにやってるのか」と疑問を呈したくなるのは当然でしょう。

「感染拡大しながら経済を回すのは難しいのでは」という指摘も至極もっともです。

確かに、感染拡大と経済の両立は困難なのは明らかで、より感染が拡大していけばしていくほど、より経済活動も困難となるでしょう。

いわば、現在の経済はこのままではこの先の崖から落ちるのを分かりきった上でブレーキを踏めない暴走車の様相になっています。

 

ではなぜこんな非常時にもかかわらず経済活動を抑えることは難しいのでしょうか。

 

それには根深い原因があるのです。

この原因については、医療関係者を始め、もしかすると少なくない方々にとって、あまりイメージがわいていないのかなと感じましたので、勝手ながら江草が少し説明を試みてみます[1] … Continue reading

 

経済活動は無数の「約束」でできている

結論から言うと、経済活動を止めることができない最大の理由は「経済活動が約束でできているから」です。

たとえば、

・「いついつまでに商品を納めますよ」といった受注契約

・「代金はいついつにまとめて払いますよ」といった掛け取引

・「家賃を毎月○日に払います」といった賃貸契約

・「労働してもらう代わりに毎月給料を払うよ」といった労働契約

など。

社会にはこうした「約束」で満ち溢れています。

その約束の期日も、当日で決済されるような短期のものから、何年もかけて果たされる巨大プロジェクトまで様々です。

こうした確実な未来を保証する性格を持つ「約束」というものは、まさしく「感染症の動向」といった気まぐれに動く不確定要素と極めて相性が悪いです。

「感染症が広がったからといって急に止めろと言われても、もう大事な約束しちゃってるんで、止めることが難しい」となるのは、気持ちとしては仕方がないところではないでしょうか。

ただ、「それでも止めるしか無いのだから止めようよ」と思われるかもしれません。

でも、それもそうもいかないのです。

経済活動の「約束は破りたくても破れない」、なんなら「約束を破ったら経済ごと死ぬかもしれない」なかなか困った代物なのです。

 

連鎖している「約束」

この「約束」というのが、「友達同士で遊びに行く約束」程度の、約束を取り消してもたいして他に影響がないようなものであれば問題ないでしょう。

しかし、経済での「約束」というのは得てして連鎖しています。

 

たとえば、

・旅行会社勤務のAさんは毎月の給料をあてにしてアパートを借りています

・AさんのアパートのオーナーのBさんはAさんからの家賃収入をあてにして、アパート全体のローンを組んでます

・Bさんのローンを管理してるC銀行は、Bさんからの収入をあてにして銀行員のDさんに給料を払います

・DさんはC銀行からの給料をあてにして・・・

と、こんな感じで、延々と連鎖することができます。

 

実際、このように「支払ってもらえるという約束」をあてにして、自分も「支払う約束」を組んでるケースは少なくありません。

住宅ローンを組んでる方は少なくないと思いますが、住宅ローンこそ「将来の給料をもらえる約束」をあてにして「家の代金を何十年もかけて払うよ」という代表的な例ですので、珍しいことではないのは実感いただけるかと思います。

 

で、さきほどの連鎖の例で、感染症の拡大でAさんの勤める旅行会社が倒産したとしましょう。

Aさんが給料をもらえなくなって家賃を払えなくなるとBさんが困ります。

Bさんがローン破産したら、C銀行が困ります。

C銀行が経営不振になってボーナスが減らされたり、リストラになったらDさんが困ります。

こんな感じで、経済活動での「約束の破綻」はしばしば連鎖反応を引き起こします

「連鎖倒産」という言葉を聞かれたこともあるかもしれませんが、まさにこういう状況です。

かのリーマンショックも、サブプライムローンという住宅ローンの破綻がきっかけですので、突き詰めればこういう「約束の破綻」の連鎖です。

まさに約束破綻の大連鎖は「経済のメルトダウン」とも言える状況で、経済界や政治家の方々はこれを心底恐れているのです。

 

各自の備えにも限界が

もちろん経営に不確定要素はつきものなので、どんな企業だってある程度の備えはしています。

しかし、今回のコロナ禍での旅行会社や飲食店のように、売上の激減が長期に渡るとなると、さすがに耐えきれない企業は多いはずです。おそらくは少しはあった備えも第一波の緊急事態宣言時の自粛で吹き飛んでるのではないでしょうか。

そして、面倒なことに、感染症というのは目に見えません。

地震や竜巻のようにいっそ街が崩壊していれば経済活動どころではないのは明らかなので、ある意味で諦めもつくのですが[2]街が崩壊した方が良いという意味ではないですよ、もちろん、感染症では見た目上は街も壊れてないですし、街行く人も元気です。

そうした状況におかれると、

「なんとか約束を守りたい」

「感染対策はできる限りするから、営業は続けさせて欲しい」

つい、そうした思いが出てきてしまうのは人情として理解可能でしょう。

経済活動はこうして「止めたくても止められない」に陥っていくのです。

 

「約束を破る」という「不義」を誰が担うかという難題

人々の生命という大事なものを守るために経済活動を抑制するという当たり前のことがなぜできないのか。

こうした疑問はもっともです。

しかし、一見「当たり前」に見えることがなぜかできない時というのは、得てして他の「当たり前」と衝突しているものです。

今回のコロナ禍の場合は、言ってみれば「生命を守ることは大事」「約束を守ることは大事」の2つの「当たり前」の衝突です。

 

「約束なんて」と思いますか?

 

実のところ、経済活動での「約束」というのは、パッと切り捨てられるような赤の他人同士というよりは、長年付き合って信頼や友好を築き上げてきた取引先同士、お得意様同士で結ばれることがかなり多いものです。それは「コミュニティ」とも「友情」とも言える深い付き合いです。

医師でいえば、長年勤めてきた病院や、あるいは医局のようなコミュニティを想像してみてください。

 

本当にそこで親交の深い人達との「大事な約束」破れますか?

ちょっと遊びに行く約束を取り消すような話じゃないですよ。

相手のお金や生活にも関わるような「約束」です。

 

何の罪もない「仲がいい人」だったり、「お世話になった人」を裏切る。

こう考えると、これが人情としてなかなかに酷な選択であることはおわかりいただけるかと思います。

 

それに、約束を破るという不義を果たせば、その後の信用だって失われます

できれば誰だって約束を破りたくないのです。

 

こうして人々が「生命」「約束」という2つの大義に挟まれるジレンマが発生します。

なので、この状況下で感染拡大を防ぐという「生命」の大義を優先しようとすると、誰が「約束を破る」という不義を担うのか、という難題が同時に発生します。

誰も約束は破りたくないのに、どこかの誰かが「約束を破る」という「不義」を果たし、何の罪もないのに「信用」を失わないといけないのです。

 

経済活動を止めるというのはこういう意味です。

さあ、どうしましょうかね。

 

以上です。

ご清読ありがとうございました。

脚注

脚注
1 ただし、江草は経済の専門家ではないので、間違ってるところもあるかもしれません。今回の説明はあくまでイメージをわかせるのが目的です。話半分に聞いてくださいね。
2 街が崩壊した方が良いという意味ではないですよ、もちろん

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