おはようこんにちはこんばんは、江草です。
今日は、ブログという「記録(ログ)」をプライベートでなく公開することの意義についてお話します。
昨日の記事はこちら↓

公開で記録をとるメリットは2つ
昨日の記事は「ブログは記録なので熱いうちに発信しよう」という話でした。
そのついでに生じた疑問、
ただ記録するだけなら、web上に公開しなくてもいい、と思われるかもしれませんね。
に対して回答していきます。
ブログとして公開で記録を取るメリットは2つあると考えます。
自分の思考を一旦はまとめる機会になる
公開ログの1つ目のメリットは「思考をまとめる機会になること」です。
たとえば個人的につけている日記も確かに記録(ログ)です。しかし、その内容は人に見せることを意識してないため、漫然とした記述になりがちです[1]もちろん丁寧にまとめることができる性格の人はこの限りではありません。
極端にシンプルに言えば、
「○○をした」「△△に行った」「✕✕と思った」
なんてのが続くわけです。
その順番も思いついたままであったり、論理的につながりがあるわけではなく、急に話が飛ぶこともしばしばでしょう。
人目を気にしない記録では、自分さえ分かればいいので、ひとりよがりで散逸的になるのは仕方ない面はあります。
そこで、あえて公開することの意義が出ます。
たとえそのブログにあまり人が訪れないとしても、一応は「人が見るかもしれない」という意識で記録を取ることにより、自然と漫然と散逸していた思考をまとめる必要が出てきます。
ブログを書くことで、あまりにも自由に動き回っていた自分の考えを一旦はきゅっとまとめる――少し落ち着かせる――そうした良い機会になるのです。
思考というのは発散するだけでもだめで、時々収束もさせなくてはだめなんで、ブログを書くことは、その収束の習慣作りにとてもよいのです。
記録が誰かの役に立つ可能性がゼロではない
公開ログの2つ目のメリットは「誰かの役に立つ可能性があること」です。
プライベートの日記に、大変すばらしい情報――例えば世界的な数学の難問の証明[2]ノートの余白がなかったせいで発見されずじまいのフェルマーの最終定理の証明とか――を書いたとしても、当然誰の目にも触れないため、誰かの役に立つ可能性はまずありません[3]死後、遺族が中身を見て公表する価値があると思ったら公開されちゃうかもしれません。それはそれでうれしいことなのかどうか。。。。
しかし、公開ログであれば、何かの拍子に検索でふと訪れる人がいるかもしれません。
多くの場合、たまたま迷い込んでしまっただけで、スッと即戻るボタンを押されてしまうかもしれませんが、一部の人にとって「刺さる情報」である可能性はあります。
自分としては大した内容でないと思っていても、「同じような悩み」「同じような考察」を抱いている人はこの広い世界ですから必ずいるのです。
どんな些細なことであっても誰かの役に立つ可能性があります。しかし、それは公開されていてこそ。少しでもまとめられそうな内容であれば、ブログで公開しておくのが、自分にとってもみんなにとっても良いのです。
プライベートの記録も別途必要
と、公開ログのメリットを紹介してきましたが、公開ログだけでもダメというのは念の為強調しておきます。
先程、「ブログを書くのは思考をまとめるよい機会」と書きました。
それは、一方で思考を広げて発展させていくための場所ではない可能性も示唆します[4]無理ではないとは思いますが、人目を気にするシャイな人には難しいと思われます。
当然ですが、まとめたり収束させたりするだけでは、こじんまりとした思考になりがちなんです。
ですので、公開ログでない、人目を気にしないプライベートの記録の場も同時に持っておくことが必要です。そのプライベートの記録の場で、ドシドシ自由に書く段階を経ることで、思考はより多彩で豊かになるのです[5]江草は現時点では、プライベートの記録としてはRoam … Continue reading。
プライベートの記録でばーっと広げて、人に伝える気持ちでブログでちょこっとまとめる、この往復運動が思考にとても心地良いのです。
ぜひお試しください。
以上です。ご清読ありがとうございました。
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