個人ブログ文化は衰退したのか

ペンのイラストブログ

昨日、ブログの昔を懐かしんだところで、追加トークです。

 

↓(読まずとも大丈夫ですが、一応昨日の記事はこちらです)

インターネットノスタルジア
phaさんやシロクマさんのエントリーにあてられて、個人的なインターネットの古き良き時代を懐かしんだエントリーです。

 

古参ブロガーたちが引退していって、はてなブックマークの人気エントリからも個人ブログの姿が減っている現在、あの頃のみんなが謳歌していた個人ブログ文化は衰退してしまったのでしょうか。

実際、「もうブログは衰退した」そういう意見は時々みかけます。

でも、江草としては、半分正しくて、半分違うのかなと思っています。

 

確かに昨今のインターネットシーンで、個人ブログの長文が目立つ場面は大分減ったことは否めません。
シンプルに個人ブログの存在感が減ったという点で、これを衰退ととらえることは可能だと思います。

でも、個人的には「存在感が減った」イコール「文化が衰退した」とも言い切れない感覚もあるのです。

 

 

この感覚をご説明するには、まず「なぜ個人ブログの存在感が減ったのか」を紐解くことが必要です。

江草が考える「個人ブログの存在感が減った理由」は大きく2点あります。

それぞれを軸にお話しますね。

 

  

ひとつは、個人発信プラットフォームの分化、発展です。

 

今やインスタグラムやYouTube、音声発信アプリ、Twitterなど、個人の発信の手段には事欠かない状態です。

たとえば、かつてのブログ黎明期では、毎日、ブログ記事に写真を貼ってらっしゃるブロガーの方も少なくありませんでしたが、今ではそういう方は少なからずインスタグラムを始めてしまうでしょう。

YouTubeや音声発信に至っては、スマホや4G通信の普及が進む前には、だいぶ未成熟な発信分野だったと思います。

Twitterこそ、ブログ黎明期にもすでに存在していましたが、もともとあくまで「つぶやく」のがコンセプト。今のようにほとんど「ミニブログ」と言えるような個人発信的な使い方をされる方は少なかったように思います。
あとの話にも関係してきますが、これは当時まだスマホで閲覧する人口が少なくてPCで読む人が多かったからかなと推測します。
ともあれ、言いたいことを書くならブログでちゃんと言葉を尽くして書いたほうがいいだろう――そういう空気はあったように思います。

 

いずれにせよ、このように様々な形態の個人発信プラットフォームが発達した今、わざわざブログで発信する必要がない人が多いのは明らかです。
当時はブログぐらいしか個人発信するプラットフォームがなかったからこそ、誰も彼もがブログで発信していただけなのでしょう。

逆に言えば、これだけ発信する手段が分化発展したのは、個人ブログ文化が「個人で発信するという文化」を醸成したからこそではないでしょうか。

そういう意味では、個人ブログ文化は形を変えて、他の発信メディアに拡散していったと言えます。

見た目上はブログが個人発信のプラットフォームとして目立たなくなってきたとしても、その魂はあらゆるところに残ってる――そう思えば「ブログ文化は衰退した」とはあながち言えないのではないでしょうか。

 

 

 

ふたつめは、インターネット人口の激増による「アテンション・エコノミー」の台頭です。

 

昨今のスマホの普及は目覚ましく、だれもかれもがインターネットに接続するようになりました。
いえ、もはや「ネットに接続する」と能動的に語る表現も正しくないでしょう。
いつでもネットが手元にあり、ネットが日常生活に浸透している、常にネットとともにある――そういう生活に私たちはいつのまにか慣れ親しんでいます。

さて、その人口増加とインターネットの日常化の過程で起きたのが「アテンション・エコノミー」の台頭です。要は、人口が増えインターネットが巨大な市場となったことで、インターネットでのアクセス――すなわち人の注目(アテンション)がお金になる時代がやってきたわけです。

「いかがでしたか」系ブログとして知られる、「情報」を提供することでアクセスを集め広告収入やアフィリエイト収入を集めるブログがある頃から急増しました。
黎明期の個人ブログ文化は「意見」や「日常」の発信とブロガー同士の交流を基礎としていたので、古参ブロガーの中にはこの流れには眉をひそめていた方も少なくないでしょう。

しかし、市場があり、手段が確立され、十分に利益が見込めるなら、とめどなく開発が進むのは資本主義の摂理です。

すぐに「ブログ」という言葉は、「副業」だったり「月収○○万円達成!」だったり、そうした資本主義的なキーワードと接続されるものになってしまいました。

さらに言えば、さきほどの各種個人発信プラットフォームも、無償のボランティア活動でやってるわけではありません。これらも突き詰めてしまえばアテンションをいかに集めるかのビジネスでしかないわけです。
だから、各種プラットフォームは、どんどんインターフェースは洗練されていき、使いやすく、そして気がついたらついつい見てしまうように依存性も高めていきました。

また、新聞や雑誌などの各種メディアもアテンション集めを目指し、こぞって記事をネットに大量に上げるようになってきました。
最近でこそ「コタツ記事」的な質の悪いものも増えてはいますが、腐ってもメディアなので基本的には質も一定は保たれています。
そして、即時性や話題性を煽り、ついついクリックしてしまうタイトル作りに余念がありません。

 

こうなると、個人ブログはアテンション集めという意味では不利な面が増えてきます。

ついつい見てしまう、気軽に見てしまうという意味では、Twitterやインスタグラムのようにタップせずともクリックせずとも、さらさらと何も考えることなく眺められるプラットフォームが有利です。
ブログとなるとある程度は長文にもなってきますから、読む側に少し気合が必要になってきます。
でも、(悪い意味でなく)人間ってなんだかんだ無意識に楽な方を選びがちですから、このちょっとした敷居の高さがアテンションの引きつけには大きな差を生み出してしまうのです。

また、一定の質が保たれていて、タイトルの吸引力が強いメディア記事を見る方が、質の差が激しい個人ブログを見るよりも「はずれ」が少ないので時間の無駄になりにくい側面はあります。

そして何より、ネット上のコンテンツがもはや飽和状態で豊富に潤沢にあることから、わざわざ個人ブログを見る必要もなくなったということもあります。個人ブログを読まなくたって、まだまだ見なきゃいけない面白そうなコンテンツが山のようにあるのですから、なぜ個人ブログを巡る必要があるでしょう。

交流機能だって、最近のSNSは普通に整備されてますから、交流を求める人もわざわざ自前のブログを立てる必要もなくなったということもあります。
なにより、アテンションを引くものが他に山ほどあるために、個人ブログをほとんど誰も読みに来ないのなら交流がそもそも成立しません。

 

こうして、ブログは検索流入を狙った「情報系」が主流となり、かつての「意見」や「交流」を主体とした牧歌的な個人ブログ文化は表舞台から姿を消しました。

 

しかし、これは個人ブログ文化が衰えたと言えるのでしょうか。

人によっては「衰え」と言うでしょうけれど、冒頭にも述べたように江草は「姿を消したこと」は「衰えたこと」と同義ではないと思うのです。

 

現実世界の街でも同じように、人口が集まってしまえば街の様相は変わらざるを得ないのは仕方ないことです。

人口が少なくて「村」的な規模の時は個人商店が町並みの主体であったとしても、人口が激増し「都市」となった時に大通りに面してる店が大規模な百貨店やチェーン店ばかりになるのは必然です。

でも、これはパッと見えるところに個人商店が見えなくなっただけで、多分路地裏ではまだ営業しているんですよ。

大変に見つけにくくなって、たまにしか人は訪れないけれど、それでも消えたわけではないでしょう。

 

そして、こんなアテンション・エコノミーが台頭する中、それでも路地裏で個人で商売を続けてる店――個人ブログはまさしく文化の継承者です。

逆風があるにも関わらず、わざわざそのように文化を継承する人たちが残っていることは、むしろかえって個人ブログの文化の力強さを意味してると思うのです。

「アクセスを集める7つの方法」とか、「フォロワー数が1万人になりました!」とか、「あなたのブログも月○○万円儲かる!」とか、そういうんじゃねえんだよ、と。

ただ純粋に「個人発信をしたい」「思いを書きたい」という意志をそこには感じるのです。

 

だから、逆に言えば、個人ブログはもはや目立ってはいけないのかもしれません。

なぜなら、目立った途端に、アテンション・エコノミーに回収されてしまうから。

強い意志を持った者でさえも、多分本当に莫大なアクセスを集め、フォロワー数が増えたら、どうしても変質してしまいます。それだけ承認欲求と金銭の魔力は強いものがあります。

実際、Twitterなんかでバズって人が変わってしまう方は少なくありません。

でも、人間なんて弱い存在なのですから、そういう変質も仕方ないことで、責められることではないでしょう。(江草も正直言って耐えられる自信はありません)

 

ともかく、目立たない間に、目立たなくても、目立つことを目的とせず、発信する。

もしかして、目立ってしまうこともいつかはあるかもしれないけれど、それまでの期間は目立たない個人ブログとして発信していた事実が消えるわけではありません。

アクセス数もフォロワー数もお金になってしまう世の中で、目立たずに自分の意見を発信をし続ける――個人ブログとは、今やそういう「アート」なのではないでしょうか。

 

 

 

そんなわけで、つらつらと語ってきましたけれど、そろそろまとめます。

 

確かに個人ブログは現在のネット社会で目立たなくなりました。

でも、その「個人で発信しよう」という魂は姿を変えただけで、各種プラットフォームで発信する人たちに受け継がれていると思うのです。

そして、目立たなくても未だに個人ブログやnoteで意見を書き続けている路地裏のブロガーさんたちの興味深い記事を時々拝見するに、見えにくくなっただけでまだ個人ブログ文化は消えてない、そう思うのです。

 

 

大通りやインフルエンサーだけがインターネットではない。

そうでしょう?

 

 

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

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